9 日寛の『当家法則文抜書』について≠破す

 汝は、当方が『邪誑の難を粉砕す』に引用した『当家法則文抜書』の文を根拠にして、近年、あなた方は、日寛にも法主信仰があった、として前出の『当家法則文抜書』をよく持ち出します(中略)あたかも日寛が法主信仰を認めていたかのごとく論じています≠ネどといっているが、日蓮正宗の教義に「日寛上人にも法主信仰があった」などと論じたものなど皆無である。
 当方が論じた趣旨は、御法主上人に大聖人以来の御内証が相伝されている事実を述べただけのことであり、なぜそれが「法主信仰」などという表現になってしまうのか。これは汝の勝手な飛躍的解釈であることを指摘しておく。
 また汝は「当家御法則」の文について、もっともらしく『当家法則文抜書』は、「抜書」すなわちメモの類であって、何かを主張するために執筆された論書ではありません日寛自身が後世の宗徒に残そうとした重書とは言えません≠ネどと同書を位置づけているが、いかに汝の文献考証が杜撰であるかがここにも露見している。
 この『当家法則文抜書』には、抜粋された要文に続き、「大貮云く」として私註を加えられ、日寛上人御自身の教学的見解を述べられた箇所も多く拝せられるのである。さらに註の中には、
  予が末法相応抄の如し(研教九―七五七頁)
と記されており、明らかに他人の閲覧を想定された御配慮をされており、これ以外にも随所に同趣旨の御教示をされているのである。
 これより拝するならば、同書は日寛上人が御自分の法門研鑽のために要文を抜粋され、御自身の要文集として御所持遊ばされたことはいうまでもないが、さらには日寛上人の御弟子方はもちろんのこと、後世の弟子の教学研鑽に資するために同書を残されたことは明らかである。よって汝が同書について日寛自身が後世の宗徒に残そうとした重書とは言えません≠ニの見解は、まったくの見当違いであることを指摘しておく。
 汝は、この『当家法則文抜書』の文献としての価値を意図的に下げることで、そこに抜書された文言の有する重要な意義をも葬り去ろうという魂胆であろう。しかし、同書は日寛上人が「抜書」としてお持ちになられていたものであり、当家以外の他門の文献の引用も見られるが、その中には数多くの尊い日寛上人の御教示が存在するのであり、同書全体を軽々しくメモ重書とは言えません≠ネどいう汝の言は、日寛上人に対する冒涜に他ならない。
 また汝は日寛がかねてより抜き書きし、心に留めていた『当代の法主の処に本尊の体有るべきなり』との義は、日寛の出世の本懐とも言える再治本の六巻抄の中でまったく採用されなかった。そのことは、日寛が法主信仰を実質的に否定した、という何よりの証拠ではないのか≠ネどと事実に反する莠言を述べるが、日寛上人は『文底秘沈抄』に、
法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや(六巻抄六五頁)$
と現御法主上人の処に「蓮師の心月」すなわち、金口嫡々血脈相承に基づく御本尊の御内証の法体を御所持遊ばされていることを明示されているではないか。これは「当家御法則」の文の、
末法の本尊は日蓮聖人にて御坐すなり。然るに日蓮聖人御入滅有て補処を定む、其の次々々に仏法を相属して当代の法主の処に本尊の体有るべきなり、此の法主に値ふは聖人の生れ替りて出世し給ふ故に、生身の聖人に値遇し結縁して師弟相対の題目を声を同く唱へ奉り(研教九―七四〇頁)
の文と同義の御教示である。よって『当代の法主の処に本尊の体有るべきなり』との義は、日寛の出世の本懐とも言える再治本の六巻抄の中でまったく採用されなかった≠ニの汝の言は当たらないのである。
 またこの文が左京日教師の『類聚翰集私』の文であることを奇貨として、日寛は、法主の内証が本尊の体であると説くこの文が左京日教の作であることを知らず、ただ「当家御法則」として伝承されてきたとの認識しか持ち合わせていませんでした≠ネどとして、この文の趣旨が本来当家の伝統教義とは無関係であるかの如くいっている。
 日寛上人は、抜書された「当家御法則」の文が、『類聚翰集私』中にあることを御存知であったかどうかは不明であるが、もし御存知でなかったとしても、この内容は大石寺の伝統教義であると認識されていたのである。すなわち左京日教師と同時代の日有上人の『化儀抄』には、
手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり(聖典九七四頁)
とある。この代々の御法主上人の所に宗祖の御法魂が在すとの御指南は、「当家御法則」の文と同意義である。よって「当家御法則」の文に示された、御法主上人の御内証を「本尊の体」と拝するのは大石寺の伝統教義であり、日寛上人が要文として抜書された意味もここに存するのである。
 またさらにいえば、日亨上人は左京日教師の『類聚翰集私』について、
類聚翰集私ト名ケタルカ、即チ宗祖ノ書翰ヲ類聚セシ私集ノ意ナルカ
(自然鳴 大正四年七月号五頁)
と推察なされているように、同書は当時大石寺に伝承されていた宗義を集め、それらについて私見を述べたものである。しかもこの『類聚翰集私』には、当時は容易に披見することのできなかった日有上人の『化儀抄』の引用も見られ、左京日教師が大石寺において、日有上人の影響を受けたことがわかる。その左京日教師が当時の大石寺に伝わる法義を自らの解釈として述べられたのが「当家御法則」の文であると考えられるのである。したがって「当家御法則」の文が左京日教師の『類聚翰集私』の文であったとしても、この文を御覧になった日寛上人が大石寺の伝統法門を伝える要文としての意義をお認めになられたものと拝する。
 いずれにせよ「御本尊の体」が唯授一人血脈相承によって当代の御法主上人の御内証に伝承されていることは大石寺に伝わる伝統教義であり、汝の稚論などでは決して打ち消すことのできない真実義なのである。
 また『当流行事抄』や『当家三衣抄』の中では、『三宝抄』にみられる「三宝一体」の義も、完全に排除されていますどこまでも六巻抄の中に、日寛が最終確定した大石寺の教学があると考えます≠ネどと、学者ぶって勝手な臆測をしているが、これらは日寛上人の御意を無視し、日寛上人を貶めるものである。
 汝は『三宝抄』に示される「三宝一体」の義が『六巻抄』に明文として示されていないことを根拠にして、あたかも日寛上人が三宝一体義を排除≠オたかの如く嘯いている。しかるに三宝一体の法義は下種仏法の基本である。根本的な意義であるから、それをあらゆる処に示さねばならぬ道理も必要もない。この点からして汝の評定は迷乱している。
 次に六巻抄が日寛上人の主要な御著述であることは勿論であるが、一々の御法門に関していえば、六巻抄に表面上述べられていないことをもって日寛上人の重要な教学ではないなどと軽々に論ずることはできない。数多ある日寛上人の御著述に説かれる内容の一言一句のすべてを尊い日寛上人の教学であると拝することが正しい教義研鑽の姿である。汝は殊更に六巻抄のみを持ち上げるが、六巻抄は下種仏法の御法門それぞれの主意を当時の状況に応じて開陳されたものであり、六巻抄にのみ日寛が最終確定した大石寺の教学がある≠ネどいうのは、汝が妄想の上に作り上げた虚構であり、「軽率な概括による虚偽」に当たる。
 ことに『当家三衣抄』に示された三宝義の御指南と『三宝抄』の御指南は、内証と外用の両義よりするも同義であり、日寛上人は全く排除≠ネどされていない。但し、『当家三衣抄』は三衣を主眼として御教示されるのに対し、『三宝抄』は三宝について御教示されるのであるから、下種三宝に関する、より詳細な御指南が示されているのは当然である。故にこの両書における御指南の表面の文相のみを曲解し、日寛上人が排除≠オたなどというのはこじつけであり、虚偽の論証というほかはない。汝の思惑は、単に御歴代上人を僧宝とする伝統教義を否定せんとするところにある。その邪論を正当化するためには、当然御歴代上人を僧宝とされた日寛上人の御教示が邪魔になるのであり、汝はその御指南の意義を無意味なものにするために無理な策を種々に弄しているにすぎない。
 そもそも汝如き門外漢が日寛上人の教学をあれこれひねくり廻した挙げ句、その内容の軽重を判断するなどまことに言語道断である。わがまま勝手にして筋違いの詮索は、正法誹謗の大罪に当たることを知れ。



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