8 十二箇条の法門について≠破す

 汝は、日顕上人が『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』において、『観心本尊抄文段』の「重々の相伝」について述べられたことに触れ、あなたは以前、この「重々の相伝」を「秘伝ながら外用の範囲」にとどまるものとし、「さらに内用において、金口嫡々唯授一人の相承」があると述べました。そして、そう考える文献的根拠として日精の『家中抄』の「日道伝」から「(日目は)御上洛の刻には法を日道に付属す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり、惣じて之を謂はば内用外用金口の智識なり、別して之を論ぜば十二箇条の法門あり甚深の血脈なり其の器に非ずんば伝へず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付属す、爰に知りぬ大石寺を日道に付属することを、後来の衆徒疑滞を残す莫れ云云」という箇所を抜き出しました。あなたの説では、ここにみえる「十二箇条の法門」こそが、今も公開されていない「内用」「別して」の唯授一人相承の極秘伝にあたる、ということでしたね≠ニ、汝が知りもしない御相承の内容について、邪智を逞しくして勝手な妄想を膨らませ、血脈御所持の日顕上人の御指南をあなたの説≠ネどとして、日顕上人と対等の立場で議論できるかのような不遜な驕慢心をむき出している。誠に愚の骨頂というほかない。日顕上人は血脈御所持の当事者であり、血脈に関する御指南は「説」ではなく、全て「真実」なのである。そのことをまず指摘しておく。
 そして汝は、自らの資料分析能力の低さから起こる種々の疑問を恥ずかしげもなく披瀝している。まず、あなたにとっては最大事の法門を説明する段で、日精の『家中抄』のごとき誤謬の多い史伝書を使っていることです。大石寺の血脈承継者であり、あなたの先師でもある堀日亨氏は、あなたが引用した「日道伝」の箇所について「本師の弁証は精義ならざる間付会を加えて益(ますます)誤れり後生悲しむべし」と天註を付し、内容の真実性に疑問を呈しています≠ニ述べ、日精上人の『家中抄』を誤謬の多い史伝書≠ネどと貶めているが、無慚無愧も甚だしいものである。仮にも大石寺門流の宗学並びに宗史を研究している≠ニ自称するなら、『家中抄』を誤謬の多い史伝書≠ネどと非難することは全く出来ない。なぜならば、『家中抄』は大聖人以来およそ四百年に亘る史伝書であり、宗門上代の歴史の多くは『家中抄』によらなければ解明できないことが多いからである。また『家中抄』の内容が、歴史事実において、日亨上人との見解の相違や多少の間違いがあったとしても、宗門上代の歴史を記録した文献として高い権威があることは揺るぎないものである。
 また日精上人は、血脈相承の授受に関して非常に厳格な判断をされておられる。例えば『家中抄』「日有伝」に、
一、日阿上人、日有師の相伝に云わく、日時上人の代官なり、応永十四丁亥年三月十日没したもう、贈上人の事、日秀・日弁両人は贈官なり、然れども貫主と一同には列せず、(中略)此等の例に随順して案ずるに貫主か。(聖典七四八頁)
とあり、当初日精上人は、日阿上人を大石寺の歴世に含むのか、疑念をもっておられたようである。
 また『家中抄』の最後に、
当山列祖は一宗の血脈相承の大徳なるが故に書き加うる所なり、見ん仁之れを計れ。(同七五四頁)
と記されて、日精上人は、特に血脈を受けられた方と、そうでない方とを明確に立て分けられた。そのことは同じく日精上人の、
当家甚深の相承の事。全く余仁に一言半句も申し聞かす事之れ無し、唯貫首一人の外は知る能わざるなり。(歴全二―三一四頁)
という御指南からも伺える。そして日精上人は、後に日阿上人への認識を改められた。すなわち日精上人は、
日有上人直筆、日阿上人に付法の体遊ばさる。之に就いて異説有りと雖も此の御筆跡を見るに疑滞を散ず故に之を書して以って後証と為す者なり。(同三一八頁)
と述べられている。日有上人直筆の『御歴代忌日表』を発見された日精上人は、日阿上人がまさしく血脈付法の御歴代上人であると確信されたのである。そして日精上人は、日阿上人のお立場が代官ではなく御歴代上人であり、その立場を後に混乱することがないよう、わざわざ書き付けを残された。ここまで血脈に厳格な日精上人が、日目上人から日道上人への血脈の授受について間違った記述をするわけがないのである。
 とくに日亨上人の付された天註についてであるが、天註には、年号等の誤りなどの歴史事実の食い違いや文字の誤記などに対するものと、論述が簡略な箇所に対して補足として詳細な註を付されたものの両方がある。「日道伝」全体の天註をよくよく検証するに、「日道伝」の他の箇所における天註においては、日亨上人は本文中の文字に傍点を付すなど明確に場所を特定し、その内容について註を付されている。しかしこの天註は、本文に傍点が付されておらず特定の文言につけられた註とは見られないこと、「日道伝」の最末尾に付されていること、などから考えて、特定の箇所に付された註ではなく、「日道伝」の全体についての註と拝されるのであり、「日道伝」の御相承に関する記述に註を付されたものではない。また汝は、精義≠ニ読んでいるが、日亨上人御筆の「」の字は「美」の俗字であって、正しくは「精美」である。「精美」とは、
すぐれてうつくしい。巧でうつくしい。(大漢和辞典八─九一二頁)
ということである。したがってこの天註は、「精美ならず」すなわち完全ではないという意であり、「日道伝」における日精上人の御記述が、義において誤りがあるという意ではない。
 また何よりもこの天註は、昭和十年に『富士宗学全書』に加えられているが、日亨上人が『家中抄』を昭和十一年及び昭和三十一年『富士宗学要集』に掲載して刊行される際には、いずれも省かれている。つまり日亨上人は、読者に注意を促す大事な註であれば、必ず『富士宗学要集』にも残されたはずであり、これを省かれたということは重要な註ではなく、省くに如かずという日亨上人の御意志の表れと拝される。したがって、『富士宗学全書』にこの天註が付されているからといって、『家中抄』「日道伝」の、御相承についての記述に誤りがあるなどとは決して言えないのである。
 次に汝は、例えば、あなたは日精の「内用」「外用」という立て分けを採用していますが、堀氏も指摘しているように、「内用」は「内証」の誤記とみてほぼ間違いありません「内用」という仏教語は、私も寡聞にして知りません。どういう意味ですか。「内証」とどう違うのか、「内証」の意ならば、なぜこの新奇な語を補足説明もせずに使うのか、そもそも先師が“誤り多し”とした書を、なぜ何の断り書きもなく論拠とするのか、すべてご説明下さい≠ネどと無知丸出しの質問をしているが、まず、堀氏も指摘しているように、「内用」は「内証」の誤記とみてほぼ間違いありません≠ノついてであるが、日亨上人も註において「用字証の誤り歟」とされているように、自ら決せざる「歟」の字を付されている。これは日亨上人におかれても卒爾に断定できない要素がおありだったと見るべきである。つまり、この「日道伝」には草本としての『家中抄』があるが、そこにも日精上人は、
内用外用金口智識なり(研教六─四三八頁)
と仰せられている。つまり日精上人は二度までも「内用」の語を使用されているのであり、単に誤字であるとして片づけられないのである。
 汝は自らの勉強不足を棚に上げ「内用」という仏教語は、私も寡聞にして知りません≠ニ言っているが、「内用」の語は『法華玄義』に、
一切の法とは、権実の一切法を皆摂するなり。此れ経の名を証す。一切自在神力とは、内用を自在と名づけ、外用を神力と名づく、即ち用を証するなり。(玄会上八四頁)
とあり、さらに『玄義釈籤』にも、
一切の言は即ち権実相摂す。相摂するが故に妙なり。内用自在なる故に、疑等を除くこと方に遍し。即ち自在神力なり。具に三千を含し、通じて三徳に摂す。(同八五頁)
とある。このように天台大師・妙楽大師は権実二智を得た自在の境界を「内用自在」と述べられている。つまり悟りの内容に約せば「内証」であり、その「内証」を用いることを「内用」というのである。
 汝は前回の悪書でも「名同体異」の語を混乱して何度も誤用していたが、今回また私も寡聞にして知りません≠ネどと思い上がった言を弄している。しかし学者を騙っている汝は、仏教の基本を知らないだけではないか。
 そもそも先師が“誤り多し”とした書を、なぜ何の断り書きもなく論拠とするのか≠ニの言もしかり、『家中抄』のアラばかりを探して、結果としてそれを引用して述べられた日顕上人のお言葉を貶しているのであるが、無知丸出しの汝の批判は、単なる言い掛かりであると指摘するものである。
 次に汝は、第二の質問は、あなたが引用した「日道伝」の箇所を素直に読むかぎり、あなたの解釈は論理的に破綻しているのではないか、ということです。「所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり、惣じて之を謂はば内用外用金口の智識なり、別して之を論ぜば十二箇条の法門あり」というくだりは、「形名種脱の相承、判摂名字の相承等」が、総じて言えば内証と外用に関連する知識であり、別して論ずるならばこれに「十二箇条の法門」がある、という意味になるはずです。つまり、「十二箇条の法門」とは「形名種脱の相承、判摂名字の相承等」に関する法門である、と解するのが正しく、「形名種脱の相承、判摂名字の相承等」以外に「十二箇条の法門」がある、とするあなたの解釈はあまりに無理があると言わねばなりません。どうしてそんなに文脈を無視した解釈に走るのか、とくに、文中に二度出てくる「之」という指示語の意味を、きちんと明確化したうえで説明して下さい≠ネどと、質問を羅列している。そして虚偽の論証を繰り返して「十二箇条の法門」が「形名種脱の相承・判摂名字の相承等」であるとこじつけ、「十二箇条の法門」が特別なものではないと言いたいのである。
 汝のこの主張は、最初に結論ありきとして我見によりこじつけられたものである。その証拠に汝は、この後、
@形名種脱の相承や判摂名字の相承が「十二箇条の法門」の内容である
A「十二箇条の法門」は形名種脱の相承や判摂名字の相承を含み
と、「十二箇条の法門」について何の根拠も示さずに、その認識を微妙に変化させ、最終的に何らの説明もしていないにもかかわらず、
Bすでに説明したように、「十二箇条の法門」とは「形名種脱の相承、判摂名字の相承等」に関する法門である、というのが日精の見解です
と、虚偽の日精の見解≠ネるものをでっち上げるのである。
 まず、@とBの主張は明らかに違う。まず@の「形名種脱の相承や判摂名字の相承」≠ェ「十二箇条の法門」の内容≠ナあるという場合、イコールの関係を論じている。しかしAの「十二箇条の法門」は形名種脱の相承や判摂名字の相承を含み≠ニいう場合、「十二箇条の法門」≠ノは形名種脱の相承や判摂名字の相承を含≠でいるが、今度はそれがイコールの関係ではなく包括の関係として論じている。この場合、逆は真ならずで形名種脱の相承や判摂名字の相承≠ノ「十二箇条の法門」≠含むということは出来ないから、つまり汝は形名種脱の相承や判摂名字の相承≠ニ「十二箇条の法門」≠ヘイコールではないとしているのである。
 そして最終的な結論Bとして「十二箇条の法門」とは「形名種脱の相承、判摂名字の相承等」に関する法門である、というのが日精の見解≠ニ虚偽の日精の見解≠ネるものを作り上げるのであるが、このように汝が「十二箇条の法門」について微妙に表現を変えつつ、虚偽の論証を行うこと自体、汝が「十二箇条の法門」について何らの理解も得ていないことを証明しているのである。
 つまり汝は、「十二箇条の法門」に「形名種脱の相承や判摂名字の相承」が含まれるのか、「十二箇条の法門」と「形名種脱の相承や判摂名字の相承」とは内容的にイコールのものなのか、何一つ分かっていないのである。そして汝は何一つ分かっていないにもかかわらず、自分に都合の悪い日顕上人の御指南を否定しようとするのであるが、既に述べた通り、汝の主張は当てずっぽう以外の何ものでもなく、単なる非難中傷の域を出ないのである。
 では次に、「日道伝」の意味をとくに、文中に二度出てくる「之」という指示語の意味を、きちんと明確化したうえで説明して下さい≠ニの要望に応えよう。これは難しいことではなく、何ら微妙な判断も必要ない。「日道伝」の『家中抄』草本と対比して拝せば、その意味は明々白々なのである。表現方法に多少の相違はあったとしても、よほどのことがない限り、同趣旨のことを述べられていると拝して差し支えないわけである。すなわち草本に、
御上洛の刻み法を日道に付属し玉ふ。惣じて之を謂へば内用外用金口智識なり。委細に之を論ずれば十二箇条の法門有り。又御書并びに血脈抄に於て一大事の相伝あり。謂く形名種脱の相承、判摂名字の相承也。此の二ケ相承は当家一大事ナル故甚深の血脈なり。其の器に非れば伝へず。斯の如く当家一大事の法門既に日道に付属す。爰に知りぬ、大石寺を日道に付属することを。後来の徒衆、疑滞を残すこと莫れ。(研教六―四三七頁)
とある。ここに明らかな如く、「十二箇条の法門」と「形名種脱の相承、判摂名字の相承」は別個の法門なのである。さらに、日精上人の、
当家甚深の相承の事。全く余仁に一言半句も申し聞かす事之れ無し、唯貫首一人の外は知る能わざるなり。(歴全二―三一四頁)
との御指南。さらに『家中抄』「日興伝」の、
正和元年十月十三日に両巻の血脈抄を以つて日尊に相伝し給う、此の書の相承に判摂名字の相承、形名種脱の相承あり、日目・日代・日順・日尊の外漫りには相伝し給わざる秘法なり。 (聖典六三五頁)
との仰せ、これらを考えるとき、日精上人は、総じての法門相承である両巻抄と、「全く余仁に一言半句も申し聞かす事之れ無し」という唯授一人の相承について厳格に立て分けられていたことが拝されるのである。
 その上で「日道伝」を拝せば、
御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承なり。(同六九五頁)
と、「等」の字に「形名種脱の相承、判摂名字の相承」以外に御相承の内容があることを、きちんと示されている。その上で、
総じて之れを謂えば内用外用金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、甚深の血脈なり(同頁)
との文を拝せば、唯授一人血脈相承の全体の総別を「之」と仰せられていることが明らかである。つまり、「内用外用金口の知識」とは、先に挙げた『玄義』の「内用を自在と名づけ、外用を神力と名づく」との文に明らかな如く、唯授一人血脈相承における御本仏大聖人の「内用」「外用」の相伝である。そしてこの御相伝に、別しての「十二箇条の法門」が存するということなのである。要するに「十二箇条の法門」とは、「形名種脱の相承、判摂名字の相承」と別個のものなのである。さらに「十二箇条の法門」は、名目から「十二箇条」あることが察せられるが、具体的な内容は勿論、「十二箇条」個々の名目すらも伺うことが出来ない、唯授一人の秘法なのである。
 そして汝は証言者の名前すら明かすことが出来ない次の文を挙げ、堀氏が「ダメな法主が相承を受けると、かえって法門が制約される。十二箇条の相承と言っても、多くの法主がその使い方をわからなかった」などと、述べていたことを聞き及んでいます≠ニしている。これは、怪文書まがいの日亨上人への冒涜の言であるが、学者を気取るなら、誰が、いつ、どこで聞いた内容なのかを、明示すべき責任がある。
 さらにこの項の最後に汝は、こうしたことは、お互いに主観的な証言の披露にすぎません。けれども、どちらの証言に真実味があるのかは、後世の聡明な学徒たちが的確に判断するでしょう。あなたと同じく堀氏等から「十二箇条の法門」の話を聞いた人たちが、今も宗の内外にいるのです。もし、あなたが何か証言できるのなら、是非とも行ってみて下さい≠ネどと述べているが、汝が云う如く日亨上人が何らかの講次において十二箇条の法門の存在について触れられたことがあったとすれば、その事自体に於て、日亨上人が十二箇条の法門の存在を述べられていたにも関らず、同上人はその内容名目を絶対に公開されなかったことが明らかである。何故なら今日にいたるまで、宗の内外を問わず十二箇条の法門は、その名目すらどこにも、まただれからも表示されたことがないからである。もし、あなたが何か証言できるのなら、是非とも行ってみて下さい≠ネどの無礼かつ非法な浮言をも含め、汝の下劣な臆測と十二箇条の法門は天地の距たりがあるのだ。また汝の如上の言より十二箇条の法門の内容を知らないことが明らかにも関らず、その内容はすでに日寛上人によって公開されているともいう。しかし知らないものについて何故断定できるのか。汝はまさしく認識なくして評価するという愚を犯している。要するに無価値な当て推量であり、十二箇条の法門について、汝が論難を構えれば構えるほど、汝の主張がいかにインチキで、何の根拠もなく、恣意的な主観で事実をねじ曲げたものであるかが、次々と露呈していく。それは後世の聡明な学徒≠待つまでもなく、童子にも分かる道理なのである。松岡よ、汝は学者を騙る前に、驕慢・計我・浅識極まる佞人であると自覚せよ。




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