六 大石寺の唯授一人相承の永遠性について≠破す


 『十項目の愚問を弁駁す』の破折において、我らが『日蓮一期弘法付嘱書』の、
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。(新編一六七五頁)
『百六箇抄』の、
直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。(同一七〇二頁)
との御指南を引用し、正像二千年で滅尽する釈尊の脱益仏法とは違い、末法万年に亘る下種仏法においては、大聖人の御当体に在す本門戒壇の大御本尊と、唯授一人の付嘱による金口嫡々の血脈法水は永劫に存続する、と述べたことに対し、汝は余りに粗雑な議論≠ニしている。しかし、我らの主張は、あくまで大聖人の御金言に基づくものであるから、汝の謗りは全く当たらない。なぜなら、汝の言は、大聖人に対して粗雑な議論≠ニ批判していることになるからである。
 因みに、汝は、今回の邪書で、日蓮の見方を採用すると、像法一千年の間に、正統相承の所在は中国の天台山から日本の比叡山へと移っている。ここから、末法万年における正統相承の所在が富士大石寺から別の教団に移っても不思議ではない、という理屈も成り立つ≠ネどと述べている。しかし、これこそが余りに粗雑な議論≠ナあり、汝の己義我見にすぎない。
 そもそも像法時代における仏法の弘通は、釈尊よりの付嘱に則っているのである。迹化への総付嘱による仏法弘通が、中国、日本と二国間に跨っているからといって、それが大聖人の下種仏法においても同様であるとの根拠とならないことは、言うまでもない。何故なら、大聖人は、仏法の一切を唯授一人日興上人のみに付嘱遊ばされたのであり、以来、大聖人の正統なる相承は、血脈付法の御法主上人によって厳然と承継されるところだからである。富士大石寺から別の教団≠ノ正統相承の所在が移るなどという理屈は全く成り立たない。牽強付会の邪論と断ずる。別の教団≠ニは、当然、創価学会を想定しているのであろうが、我田引水のかかる邪論を述べることこそ、汝が創価学会の御用学者であることを証明している。
 また汝は、『観心本尊抄』の、
此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す。(新編六六一頁)
の御文について、当文によれば、上行菩薩等の地涌の四菩薩は、「摂受」の時代には出家の僧となって出現するが、「折伏」の時代には在家の賢王となって出現する、とされている。つまり、末法には「摂受」の時代と「折伏」の時代とがある。「摂受」の時代には上行別付の「正法」(三大秘法)を唯授一人相承で伝える僧の意義も重要だろうが、「折伏」の時代になると上行等の四菩薩は在家の「賢王」となって出現する。だから、「僧」が主体となる唯授一人相承はいずれ役割を終え、かわりに「賢王」主体の広宣流布の時代が到来する──そう解釈することは、先の日蓮の予言に基づく合理的推論であると言えよう≠ネどと述べている。この汝の珍解釈は下種仏法に対する汝の信解が根本的に狂っていることを明示している。すなわち、汝は右の『観心本尊抄』中の「折伏を現ずる時」と「摂受を行ずる時」との御指南について、つまり、末法には「摂受」の時代と「折伏」の時代とがある≠ニ、「摂受」と「折伏」を僧侶と在家における末法の時代的前後関係と捉えていることである。当該の御文について、日寛上人は、『観心本尊抄文段』に、

問う、応に「四菩薩、折伏を現ずる時は聖僧と成って」と云うべし。即ち蓮祖の如し。何ぞ「賢王」と云うや。答う、折伏に二義有り。一には法体の折伏。謂わく「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏。謂わく、涅槃経に云わく「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に☆刀剣弓箭鉾槊(とうけんきゅうせんむさく)を持すべし」等云云。仙予国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍摂受と名づくるなり。或は復兼ねて順縁広布の時を判ずるか云云。(御書文段二八四頁)

と述べられ、また日顕上人は『観心本尊抄』の御説法において、
法体の折伏は既に大聖人の御出現によって確立され、あとは日興上人以下、僧宝による伝持の折伏となりますが、問題は国王による化儀の折伏です。これは大聖人御出現当時より現在、そして未来へ向かう時の流れのなかに正法を篤く信仰してその威儀を顕し、法の威光を発揚するとともに、勧善懲悪の働きをなす大人格の出現であります。(大日蓮 平成二年四月号五六頁)
と述べられるように、大聖人が『観心本尊抄』に仰せの「摂受」と「折伏」とは、「僧」と「賢王」の弘教のあり方の相違についての御指南である。日寛上人は、この御指南中の「摂受」を「法体の折伏」、「折伏」を「化儀の折伏」と定義され、日顕上人はその「化儀の折伏」について、大聖人以来の三世にわたる時の流れの中における、正法信仰の功徳をもってなす勧善懲悪の働き、そしてその大人格の出現と解説されている。『観心本尊抄』の御指南に「摂受」の時代の次に「折伏」の時代が来るなどという意味はまったくないのである。
 日寛上人の「兼ねて順縁広布の時を判ずるか」との意を拝したとしても、その順縁広布の時に、汝がいうごとき「僧」が主体となる唯授一人相承はいずれ役割を終え≠驍アとなどは絶対に有り得ない。それは『四恩抄』の僧による仏法伝持の御指南からも、また『百六箇抄』の、
上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。(新編一七〇二頁)
との御指南からも明らかである。末法万年にわたり、血脈付法の御法主上人により令法久住せられる中に、順縁広布の時を迎えたとき、「摂受」「折伏」両々相まって、末法における真の「折伏」の意義が成就されるのであり、御本仏日蓮大聖人の眷属としての地涌の菩薩が僧俗の立場に応じて、かかる「折伏」を行ずべきことが『観心本尊抄』の御文の真義と拝すべきことは当然である。
 汝の言は、まさに下種三宝破壊の邪説である。なお、『三大秘法抄』における「有徳王」「覚徳比丘」の御金言に照らしても、大聖人以来の尊厳なる下種仏法の血脈を否定する汝ら創価学会に「賢王」の資格など微塵もないと告げておく。
 また汝は、我らが、これまでの破折において、『日蓮一期弘法付嘱書』と『百六箇抄』の末文を引用したことについて、『日蓮一期弘法付嘱書』は日蓮から日興への付嘱に関する書状であり、これを歴代法主間の血脈相承にまで拡大適用するのは「合成の誤謬(fallacy of composition)」という論理的誤りである「上首☆巳(ママ)下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡々付法の上人を以つて総貫首と仰ぐ可き者なり」(要1―21)という『百六箇抄』の記述が日蓮の真筆でなく後加文であることは、日蓮遺文の文献学的研究上の定説であるだけでなく、宗門の五十九世・堀日亨も認めたところである≠ネどと非難している。この汝の疑難こそ、誤謬である。
 無論『日蓮一期弘法付嘱書』が、大聖人から日興上人への御付嘱であることは言うまでもない。しかし、『百六箇抄』に、
直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。(新編一七〇二頁)
と仰せられ、また日寛上人が『文底秘沈抄』に、
今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり。(六巻抄六六頁)
と御指南されるように、日興上人が、御所持の仏法の一切を日目上人に御相承遊ばされ、爾来歴代の御法主上人は、唯授一人金口嫡々の血脈相承により、厳然と大聖人の仏法の一切を御所持なされているのである。汝の主張する合成の誤謬≠ネどという理屈はまったく当てはまらないのである。
 また『百六箇抄』の末文については、日亨上人は『富士宗学要集』の当該御文の箇所に一重線を引かれ、その説明として、
後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き(富要一―二五頁)
と述べられている。このように、日亨上人は、『百六箇抄』の当該箇所が、後加文であるから、大聖人の真意ではない、などとの断定はしておられないのである。その証拠に、あくまで「後加と見ゆる」が「義において支吾なき」と仰せではないか。よって、日亨上人により編集された御書全集には、当該箇所も収録されているのである。汝が、『百六箇抄』の当該箇所を、日蓮の真筆でなく後加文である≠ネどと述べて、血脈相承を否定することはできない。
 なお、汝は、創価学会が過去に『百六箇抄』の当該箇所を大聖人の御指南と認めていたことが都合が悪いためか、我らが、前回までの破折において、創価学会発行の御書全集に、当該箇所を含む『百六箇抄』が御書として収録されていることを指摘したところ、それに対して汝は今回、「人に訴える論証の誤謬」である論理的誤謬の一つ≠ネどと誤魔化し、我らの指摘への☆真摯(しんし)な回答を忌避している。しかし、御書全集に、『百六箇抄』の当該箇所が収録されていることは事実である。しかも、池田大作は、かつて『百六箇抄』の当該箇所も大聖人の金口の御指南と拝すべきであると講義していたではないか。ゆえに、前回の破折において、汝に対し、
汝に質問するが、汝は、御書全集にも収録され、また池田大作がかつて講義をしたこともある『御義口伝』『百六箇抄』を、大聖人の正当な御指南と認めるのか、認めないのか。認めないというのなら、それらを得々と講義した汝らの首魁池田大作と相談して、その理由を公表することが先決であると申し渡しておく。(十項目の愚問を弁駁す三四頁)
と詰問したのである。その我らの指摘に満足な回答も出来ないことは、汝の論が欺瞞そのものであることを証明しているのである。
 なお、汝はここで、学会と宗門が和合していた頃の法主は、少なくとも大石寺正統の本尊信仰を踏み外していなかった。ゆえに、例えば『百六箇抄』の「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり」(全集869・定本なし)との後加文をあえて日蓮の直説とみなしたとしても、当時の法主に根本的な謗法がなかった以上、学会の本尊信仰にとっては許容範囲内にあった≠ネどと述べるが、その主張が如何に道理に外れた驕慢謗法かが分からぬとは、汝の頭の程度が知れる。すなわち、創価学会もしくは汝の御法主上人に対する見解の変化によって、『百六箇抄』の当該箇所が、大聖人の御指南と見なしうるか否かが決まるということになる。なんとふざけ切った主張であろうか。大聖人の御書を拝する態度は厳正でなければならず、師伝によらねば、その正意を得ることはできないのである。汝の主張する文献学的研究≠ネどというものは、所詮はその程度のいい加減な代物なのである。
 また汝は、本宗の血脈相承を否定しつつも、気になるらしく、相も変わらず師弟の契約≠ネどと云々している。しかし、これまでにも教えたとおり、金口嫡々の血脈相承は唯我与我の御相承であるから、余人の伺い知るところではなく、汝ごとき門外漢が☆容喙(ようかい)すべき事柄ではない。
 本宗の御相承については、時代や状況により様々なあり方が存したのであって、御相承の有無と儀式の有無とは全く別次元のことである。御相承の形態が内付の形であって、儀式がなかったからといって、日達上人から日顕上人への御相承が否定される道理はない。日達上人と日顕上人の間には厳然と師弟の契約がおありになったことは当然の道理である。
 汝の血脈相承に関する主張は、その全てが邪推、憶測であると呵しておく。
 『十項目の愚問を弁駁す』において、かつて池田大作が、
第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである。(広布と人生を語る二―一二三頁)
と発言したことを挙げ、この「だれ人」が汝にも当たるのか否か、大作に確認するように告げたが、汝からの返事が未だにない。
 また『十項目の愚問を弁駁す』において、汝が総本山の建造物の解体を理由に日顕上人の御相承の有無を論ずるという牽強付会の暴論を吐いたことに対し、その一々について正理を丁寧に答えたにもかかわらず、今回、またもや同様の理由により、日達上人から日顕上人への血脈相承を否定している。「馬鹿に付ける薬はない」とは、まさに汝のことである。その理由はこれまでの破折書に述べたとおりであるから、再度熟読せよ。
 また汝は、☆懲(こ)りることなく、日達上人の御弟子方の集まりである「日達上人遺弟会」に対する日顕上人の対応をもって、日達上人から日顕上人への血脈相承を否定している。しかし、汝の言は何の根拠もない言い掛かりにすぎず、幼稚極まる邪推と一笑に付すものである。
 因みに、『十項目の愚問を弁駁す』でも述べたように、日顕上人の御登座以来、二十五年余の長きに亘り、日蓮正宗総監として、自らの片腕とされた藤本日潤御尊能化は、日達上人の一番弟子であられたことだけ、再度教えておく。




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