九 日寛の『当家法則文抜書』について≠破す


 この項で汝は、我らの『六巻抄』の御文の解釈と、左京日教師の『当家法則文抜書』を日寛上人が書写された意義、および文中の「当代の法主の処に本尊の体有るべきなり」の文の解釈を否定することによって、汝の邪論を正当化しようとして無駄な悪足掻きをしている。
 しかし日教師の主旨は厳然たる当家の正義である。故に我らは、『十項目の愚問を弁駁す』において、
『類聚翰集私』には、当時は容易に披見することのできなかった日有上人の『化儀抄』の引用も見られ、左京日教師が大石寺において、日有上人の影響を受けたことがわかる。その左京日教師が当時の大石寺に伝わる法義を自らの解釈として述べられたのが「当家御法則」の文であると考えられるのである。したがって「当家御法則」の文が左京日教師の『類聚翰集私』の文であったとしても、この文を御覧になった日寛上人が大石寺の伝統法門を伝える要文としての意義をお認めになられたものと拝する。(五九頁)
と、その意義を述べたのである。これは『文底秘沈抄』の、
法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや(六巻抄六五頁)
との御文も、日寛上人が御法主上人の処に「蓮師の心月」すなわち、金口嫡々血脈相承に基づく御本尊の御内証の法体の伝持を御指南されたものであることからも明らかである。ところが不信謗法の汝はこの教誡にしたがわず反論を企てている。それにしてもいたずらに冗長な駄文である。
 その要点は一連の文脈を丹念にたどると、当該箇所は、日蓮の「御心」の所在地をめぐる議論であることがすぐにわかる。すなわち、『波木井殿御書』を引用した論者は日蓮の心が永遠に身延山に在ると言い、日寛の方は日興の身延離山以来の経緯を説明しつつ富士山に日蓮の心が在ると反論している。とすれば、「蓮師の心月豈之に移らざらんや」の「之(此)」とは、大石寺の所在地である「富山」を指すことが明らか≠ナあり、「蓮師の心月」とは、いささか文学的な表現ながら、日蓮の心を意味するとみて差し支えない。では、日蓮の心とは一体何なのか。阿部の言うごとく、本尊の法体なのだろうか。そう言えなくもないが、議論の文脈からは外れてしまう。「未来際までも心は身延山に住むべく候」(定本1932)との『波木井殿御書』の一節が、ここでの議論の出発点である。そこから、日蓮の心が「住む」べき場所について縷々論じられることを思えば、結局のところ、「蓮師の心月」とは〈本仏の加護〉という信仰実践的な意味合いで理解するのが、最も文脈に合った読み方である≠ニして、結論を「蓮師の心月豈之に移らざらんや」という『文底秘沈抄』の文は、かつて身延山の門下にあった〈本仏の加護〉が今は富士大石寺の一門に及んでいる、という意味であることが判明した。この文を、現法主の処に本尊の内証の法体を所持している、と読み換えてしまうあたり、阿部らの思考が徹頭徹尾、法主信仰に根ざしていることを痛感させられる≠ニするところにある。
 これは汝の詭弁である。『日蓮正宗要義』に、
四条金吾殿御消息に 「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか。娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模国、相模国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に、日蓮が命をとゞめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」(新編四七八)とあるように、仏身・仏土は能依・所依の関係であっていささかも相離れることはない。文は仏土を挙げて能依の仏身が日蓮であることを顕わすもので、明らかに本仏開顕を証示されているのである。(一五五頁)
と、御教示のように、仏身・仏土は能依・所依の関係であっていささかも相離れることはないのである。したがって『文底秘沈抄』の御文を、たとえ汝のように解釈したとしても、御法主上人の胸中に日蓮大聖人の魂が存することに変わりはない。つまり「蓮師の心月」が、所依である富山すなわち大石寺に住むということは、能依たる大石寺住職である御法主上人の心中に日蓮大聖人の心月が存しているという意味になるからである。故に日寛上人は、
法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや(六巻抄六五頁)
と御指南せられたのである。このように拝することが、この文の文脈・文意の正しい拝し方である。汝は長々と詭弁を述べたが、悉く誤りである。
 このように汝の反論の主旨である『文底秘沈抄』の御文の解釈は、虚偽であり誤謬である。したがって汝の主旨の前提が不当な仮定である以上、汝の以上の考察により、「蓮師の心月豈之に移らざらんや」という『文底秘沈抄』の文は、かつて身延山の門下にあった〈本仏の加護〉が今は富士大石寺の一門に及んでいる、という意味であることが判明した。この文を、現法主の処に本尊の内証の法体を所持している、と読み換えてしまうあたり、阿部らの思考が徹頭徹尾、法主信仰に根ざしていることを痛感させられる≠ニの結論は全くの誤謬ということが判明したのである。つまり汝が「蓮師の心月豈之に移らざらんや」の「之(此)」とは、大石寺の所在地である「富山」を指すことが明らか(中略)〈本仏の加護〉が今は富士大石寺の一門に及んでいる≠ニすることは、能依・所依の意義により、御法主上人の御胸中に御本仏の心が存することを意味するのであるから、我らの現法主の処に本尊の内証の法体を所持している≠ニの説の正当性が、逆に汝によって証明されたのであった。これによって汝は『当家法則文抜書』の内容の正当性を否定することはできなくなった。汝の論証は関連しており、同じく不当仮定の誤謬に属するからである。
 
 つぎに汝は、日寛は、『観心本尊抄』の中で「『信力』とは一向に唯この本尊を信じ、この本尊の外には全く仏に成る道無しと強盛に信ずるを即ち『信力』と名づくるなり」(文段集486)と明言している。このように、大石寺門流の正統な信仰では、日蓮図顕の曼荼羅本尊の外には「全く仏に成る道無しと強盛に信ずる」こと、すなわち本尊に対する純粋一途な信順が強く求められる。ところが、阿部の考えは「本門の本尊といっても唯授一人の血脈相承を所持なされる御法主上人を離れては利益成就はない」(『法主信仰反論書』一八頁)というものである。阿部によれば、日寛が指南した「一向に唯この本尊を信じ、この本尊の外には全く仏に成る道無しと強盛に信ずる」信仰では不可であり、「この本尊の外に」法主の内証への信仰が絶対に不可欠とされる。否、それどころか「御本尊の実体・深義は御内証によって伝承されているのであって、御内証の伝承を抜きにして御本尊の伝承はないのである」(『法主信仰反論書』五頁)と訴えるわけだから、これはもう法主に付随する本尊≠ヨの信仰と呼ぶにふさわしい。私はこの意味から、阿部の逸脱した信仰を簡潔に「法主信仰」と呼び、大石寺正統の「本尊信仰」から区別したのである≠ニ述べている。これはスリカエであり汝の悪辣な虚偽の論理である。
 我らは、御本尊の御内証と御法主上人の御内証は而二不二であると論じているのである。『本因妙抄』に、
此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。(新編一六八四頁)
と示されるように、日蓮大聖人・日興上人以来七百五十年、日蓮大聖人の御内証は唯授一人金口嫡々血脈相承によって清浄に伝持されてきたのである。
 汝が引用する日寛上人の、一向に唯この本尊を信じ、この本尊の外には全く仏に成る道無しと強盛に信ずる≠ニの御文の御本尊とは、まさしく本門戒壇の大御本尊であり、また本門戒壇の大御本尊の御内証を伝持される日興上人乃至日寛上人乃至日顕上人等の御歴代上人によって書写される血脈の御本尊にほかならない。汝は創価学会のニセ本尊を正当化しようとして大石寺正統の「本尊信仰」≠ネどを立てるが、それは全くの邪義以外のなにものでもない。汝がどのような邪難を構えようとも、この日蓮大聖人の御本尊の厳然たる伝承は微動だにしないのである。
 このように我らは、御本尊の御内証と御法主上人の御内証は而二不二であることを述べているのであって、法主に付随する本尊≠ネどと述べているのではない。にもかかわらず、汝が法主信仰≠ニか法主に付随する本尊≠ニ邪難することは、悪質なスリカエすなわち詭弁なのである。
 
 さらに汝は論点を変えて、『当家法則文抜書』は基本的に日寛が自分の思索の参考とするために用意した要文の抜書であり、弟子等に見せることを重要な目的として書かれた作品ではない。思索の参考とするための抜書要文集であるから、そこに日寛自身の私見が付記されるのは当然であり、それによって同抜書の備忘録的性格が否定されることもない──もちろん、これは私の推測である。けれども同時に、「日寛上人の御弟子方はもちろんのこと、後世の弟子の教学研鑽に資するために同書を残された」(『阿部側回答書』五七頁)とする阿部の見解もまた、考えられうる多くの推測のうちの一つにすぎないと言える。そこで、問題はどちらの推測の方に高い蓋然性が認められるか、ということになってくる。私は、自分の推測が高い蓋然性を有しており、阿部の推測は蓋然性が低いと考えている。その理由を以下に列記してみよう≠ニ述べている。つまり汝は『当家法則文抜書』について、我らの後世の弟子の教学研鑽に資するため≠フ書との位置づけと、汝の思索の参考とするための抜書要文集≠ニしての書との位置づけの、どちらが正しいかを、その理由の蓋然性の高低によって判断しようと言うのである。そして私は、自分の推測が高い蓋然性を有しており、阿部の推測は蓋然性が低いと考えている≠ニ結論づける。自惚れるのもいい加減にしろといいたくなる、噴飯ものの自画自賛である。
 そもそも『当家法則文抜書』の、
末法の本尊は日蓮聖人にて御坐すなり。然るに日蓮聖人御入滅有て補処を定む、其の次々々に仏法を相属して当代の法主の処に本尊の体有るべきなり、此の法主に値ふは聖人の生れ替りて出世し給ふ故に、生身の聖人に値遇し結縁して師弟相対の題目を声を同く唱へ奉り(研教九―七四〇頁)
との文については、その意義が正当か否かという点に本来の論点が存したのである。これについての意義は前述の通りであり左京日教師は正義を述べているのであって、だからこそ日寛上人も書写し留められたのである。ここをもって我らは、「後世の弟子の教学研鑽に資するため」の書と位置づけたのである。 ところが汝は、我らの主張をなんとしても覆そうとして、手前味噌の論理を造り上げて我らに対抗しようとしている。しかも全て汝ももちろん、これは私の推測である≠ニ自白しているように推測に過ぎない。推測に過ぎないものを、私は、自分の推測が高い蓋然性を有しており、阿部の推測は蓋然性が低いと考えている≠ニ結論づけることは、これまた不当仮定に相当する。
 以上、汝の論証は全て「虚偽論」「誤謬論」であり、悪質な詭弁である。
 



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