15、
(斉藤克司の大失態。邪義の上塗りに馬脚あらわす。)

一、時局班は、日精の「日蓮聖人年譜」に対する日亨上人の頭注についても邪難を加えている。そして、ここにおいても、基本的に「家中抄」の場合と同じ過ちを犯している。
 そもそも「日蓮聖人年譜」とは、その名が示すように、日精が編集した御本仏・日蓮大聖人の忍難弘通の御生涯を記す年譜である。
 項目ごとに御書を引いて大聖人の御振る舞いと法義を示している。
 ところが、文永九年の記述のうち、「一佐渡国より弟子共に内々申す法門とは何等の法門ぞや」という問いで始まり三大秘法について論述した項において、日精は「或ル抄」なるものを引いて、富士の立義とは異なる要法寺流の邪義を延々と紹介して注釈としているのである。
 確かに日精は、この書では一応、「或ル抄」の立義の誤まりを指摘しており、要法寺流の邪義にべったりというわけではない。しかし、その一方で、富士の正義を十分鮮明に示すまでには決して達していないのである。
 「本師未タ富士ノ正義ニ達セザルナリ」との日亨上人の頭注は、まさにこの点を喝破したものなのである。
 この項に対する日亨上人の頭注は、いずれも、宗旨である三大秘法に関わる、その重大な邪義への破折である。それはまた、邪義を書き捨にして人々を誤解へ導きかねない日精の態度と、要法寺流を引きずる日精の教学的な浅さへの破折なのである。

 『日蓮聖人年譜』について御法主日顕上人猊下は、
その日精上人の『日蓮聖人年譜』を見ると、日精上人は、要法寺の日辰が『観心本尊抄』や『本尊問答抄』等について釈した文を『日蓮聖人年譜』のなかに引いておるのです。しかも、その日辰の義を日精上人は批判して、日辰の義が間違いだということを言っておられるのであります。すなわち、『日蓮聖人年譜』のなかに、
「其の上或抄に本尊問答抄を引き法華経を以て本尊と為す可しと此の相違はいかんが心得可きや、答へて云はく此の或る抄を見るに一偏にかける故に諸御書一貫せず」(富士宗学要集五―一一八頁)
 つまり、答えとして「このある抄は偏った義において書いているから、この筋では大聖人の諸御書の意が一貫した正しいものとならない」という日精上人のお言葉があります。その「或る抄」というのは日辰の書であります。さらに続いて、
「其の上三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり今便に因みて略して之を出さん、其の中に……」(同頁)
と、日精上人が、日辰の義をちなみに略して引用しよう、と言われているのであります。そして、そのあと、
「初には本尊に二あり」(同頁)
とあるのは日辰の文であり、以下、ずっと日辰の義を挙げ、その最後の所で、日精上人はまたさらに、日辰の義をはっきり破しておられるのです。            (創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す五九頁)
と御指南されている。この御指南で明らかなように、日精上人は日辰の文を引用され、その後で日辰の義を破折しておられるのである。
 先にも述べたが、これまで貴殿ら創価学会は、日精上人を要法寺の広蔵日辰流の造読家であったとし、それを御法主上人に対する誹謗中傷の論拠としてきた。ところが、ここでは貴殿は、確かに日精は、この書(『日蓮聖人年譜』)では一応、「或ル抄」(要法寺日辰著の邪抄)の立義の誤まりを指摘しており、要法寺流の邪義にべったりというわけではない≠ニいうように、これまでの創価学会の邪説を改めたのである。
 この「或ル抄」の立義の誤まりを指摘しており、要法寺流の邪義にべったりというわけではない≠ニは、日精上人が要法寺流の立義、つまり造読思想の誤りを指摘されているから要法寺流の邪義ではない、ということである。要するにそれは、日精上人が造読家ではないということを貴殿らが認めたということである。しかも続けて、日亨上人は、当該個所が「或ル抄」の引用とそれに対する日精の破折であることは百も承知なのである≠ニも述べて、日亨上人は、日精上人が日辰の邪義を破折しておられたことを御存知であったと、訂正したのである。それは、これまでの貴殿らの説が偏執の邪説であったことを意味する。
 しかし、毒気深入の貴殿は、正直に誤りの全てを認めようとはせず、陳腐(ちんぷ)な邪義の上塗りを企てて、しかし、その一方で、富士の正義を十分鮮明に示すまでには決して達していないのである≠ニいう。このように、誠に苦しい言い訳をするが、日精上人が造読家ではないことを認め、しかも日精上人が日辰の邪義を破折しておられることを認めたので、貴殿らの邪義は根底から崩れたのである。これを認めた以上、あとで日精上人が富士の正義に達していない≠ニ、たとえ百遍言ってみたところで、それは「焼け石に水」でなんの効果もないのである。
 このように、貴殿ら創価学会は、御当代日顕上人の信用失墜を図るための悪口罵詈の理由付けとして、血脈法水相承を否定するために、日精上人を謗法の造読家に仕立て上げたのである。しかし日顕上人から日精上人の正義を明示されて破折されるや、貴殿の言をもって、たちまちにその邪説を翻したのである。創価学会崩壊の予感に怯(おび)える貴殿は、日精上人を誹謗することが邪義であり、それが創価学会の内外に知れ渡り、会員が動揺することを恐れて、新たなる邪義の上塗りをするという、腐り果てた所業に出た。斉藤克司よ、これは今回の文書で貴殿が犯した第二号の大失態であり、最大の失態である。
 さらにいえば、貴殿は「本師未タ富士ノ正義ニ達セザルナリ」との日亨上人の頭注は、まさにこの点を喝破したものなのである≠ニ言うが、この頭注が日精上人の文章の上にあるのであれば、そのような論理も成立するであろう。しかし、この頭注は日精上人が日辰を破折するために引用した日辰の文章の上にあるから、そのようなことは全く当たらないのである。すなわち、この頭注は『日蓮聖人年譜』の、
初には本尊に二あり先ツは惣躰の本尊、(中略)次には別躰の本尊なり(同頁)
との文章についてのものである。この文は貴殿も認めているとおり、日辰の「或る抄」の引用である。以下、六箇所にある頭注は、いずれも日精上人が日辰を破折するために引用した日辰の文章に対して付されている。これらの文章に日亨上人が頭注を付されたのは、日亨上人が、日辰の文章を日精上人の文章であると思い込まれていたこと以外には考えられないのである。よって、そこに日亨上人の頭注が付されているからといって、その頭注をもとに宗旨である三大秘法に関わる、その重大な邪義邪義を書き捨てにして人々を誤解へ導きかねない日精の態度要法寺流を引きずる日精の教学的な浅さ≠ネどと日精上人を誹謗するのは、甚だ見当違いの大謗法である。
 したがって、今回の貴殿の説は、日精上人に対する貴殿らの従来の見解を、百八十度変えたということであり、いかに厚顔無恥な貴殿らでも、白を黒と言う如き、ごり押しはできぬと観念したのであろう。
 さらに念のために言っておくが、貴殿らは日精上人が要法寺流の邪義にべったりというわけではない≠ニの表現をもって、日精上人の日辰破折の意義を薄弱化しようとするが、日精上人は、
然るに三大秘法の義を取ること偏に取るが故に相違甚多なり此ノ故に今之レを挙ケて以て支証とするなり。(富要五―一二〇頁)
と、日辰の義は当家の義と「相違甚多」であると破折されているのである。
 この「相違甚多」という言葉を刮目して見よ。「相違」とは当家の正義との「相違」であり、「甚多」とは「甚だ多い」ということである。つまり「相違甚多」とは、日辰の造読義は「当家の正義との相違が甚だ多い」という、厳然たる破折である。貴殿は誑惑して要法寺流の邪義にべったりというわけではない≠ニ述べるが、そんな生易しいものではないのである。
 このように、『日蓮聖人年譜』において、日精上人は一言のもとに日辰の邪義を粉砕されているのである。破折に充てられた文章の長短によって正義を十分鮮明に示す≠ゥどうかが決まるのではない。


一、ところが、時局班は浅はかにも「これは日亨上人が『或抄』の引用であることにお気づきになられなかっただけである」と簡単に片付けてしまっている。即ち、「家中抄」の頭注を「日辰の引用であることを失念した」と見なしたのと全く同様の短慮にはまったのである。
 一知半解の半可通が、自分がしばしば陥りがちな過ちを、大学匠もたびたび犯すだろう、と不遜にも考えているのである。
 日亨上人は、当該個所が「或ル抄」の引用とそれに対する日精の破折であることは百も承知なのである。そのうえで、日精が長々と邪義を引用しているにもかかわらず、その邪義を十分に破折し、富士の正義を示しきっていないので、富士の正義との違いを明確にするために、三大秘法に関するこの項ではしばしば頭注を付けられているのである。不十分な破折は邪義を容認するものになるからである。
 このように見てくると、日亨上人の頭注は、日辰の書からの引用文への破折の形をとっている場合でも、その真意は、邪義を引用しながら十分に破折できず、邪義から脱け出せていない日精を破折することにあることが分かる。このことに、「日蓮聖人年譜」を読んだ後世の人が富士の正義から寸分も外れないようにと配慮された日亨上人の慈悲を感じるものである。
 このような厳格にして慈悲にあふれた智勇兼備の頭注に対して「或る抄への破折と気づかなかったための誤読」と時局班が評するのは、いかにも愚かであり、正法正義を守らんとする気概がいかに不足しているかを露呈するものではないか。
 しかも時局班は、日亨上人が憤激の注を加えられているほど不十分な日精の破折に対して「要点をピシャリと押さえてこれを粉砕し、日辰の邪義に対する御自身の見解を表明しておられる」と最大級の賛辞を送っているのであるから、笑止千万である。
 この日精擁護の愚論を賛嘆する貴殿は、日亨上人の如き峻厳なる護法の志を持たない者であることを図らずも露呈している。むしろ、日精のごとき邪義謗法を容易に容認してしまう程度の仏法理解であることを白日の下に曝してしまっているのである。それもすべて貴殿が天魔の魔性に狂っているからであると思うがどうか。

 ここで貴殿は、日亨上人は、当該個所が「或ル抄」の引用とそれに対する日精の破折であることは百も承知なのである日亨上人の頭注は、日辰の書からの引用文への破折の形をとっている場合でも、その真意は、邪義を引用しながら十分に破折できず、邪義から脱け出せていない日精を破折することにあることが分かる≠ニしている。これこそまさに牽強付会の詭弁(きべん)と言うほか無い。日精上人が邪義を引用しながら十分に破折できず、邪義から脱け出せていない≠ニ言うならば、先にも述べたが、日精上人が日辰を破折された「相違甚多なり」との文の上に頭注を付されるはずではないか。しかるに日亨上人は、『富士宗学要集』でいえば三十行も前の引用文の上に頭注を付されているのである。このような日辰の文章の上に付された頭注を見て、どうして日精上人は邪義から脱け出せていない≠フで日亨上人はそれを破折されている、と理解するのだ。どう見ても日辰の邪義に頭注を付されているとしか見えないではないか。したがって、貴殿の主張する日亨上人の頭注は、(中略)邪義から脱け出せていない日精を破折することにある≠ニの弁解は、まったく幼稚極まる見えすいたデッチ上げと言う以外にない。このような愚論を恥ずかしげもなく質問状に記載したことが、斉藤克司の大失態の第三号である。
 貴殿の今回の駄文では、邪難の大方の根拠に日亨上人のお言葉を挙げている。つまり日亨上人が文章を「誤解」して頭注を付されたとなると、貴殿ら創価学会が、日亨上人の頭注をもとに日精上人を批判するという邪難を維持できなくなるからである。そこで新しい誑惑として、「日精上人は邪義を破折されているが、日亨上人の頭注も正しい」という矛盾する牽強付会(けんきょうふかい)の理論を構築せざるを得なくなったのである。貴殿は少なくとも日精上人が正しいと認めたのであるから、教学部長として前言を撤回し、日精上人及び日顕上人に学会を代表し謝罪する義務があると思うが、どうか。
 総本山四十八世日量上人は、『続家中抄』の冒頭において、
(日精上人の家中抄三巻は)実に末世の亀鏡門家の至宝なり(富要五―二六七頁)
と述べられているとおり、『日蓮聖人年譜』『家中抄』の編纂は、富士門家にとっては稀有の大事業であり、これらは貴重な伝記史である。なぜならば、大聖人御誕生より日盈(えい)上人までの、実に四百年間の長期にわたる史伝であって、我が門家にはこれに比類する史伝書がないからである。四百年という長期の歴史を、しかも不便な時代に編纂されたのである。『日蓮聖人年譜』や『家中抄』の記録のなかに、多少の誤謬があったとしても致し方ないところであり、しかもそれは宗義上の誤りなどでは断じてないのである。
 『日蓮聖人年譜』に日亨上人が頭注を付されたことも、それは日精上人を誹謗する目的などあろうはずはない。しかるに日亨上人の頭注を悪用して、御先師批判に及ぶ貴殿らの所行に対して、日亨上人が憤激遊ばされていることに疑念を差し挟む余地はない。

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