は じ め に

※背景がこの色と同じ深緑の部分は自称正信会の邪難です。

 このたび、貴殿ら自称正信会は、日蓮正宗各寺院へ「正信会編『阿部妄語録 日顕師の綺語・悪口・両舌』」
なる悪書を送りつけてきた。
同書の内容は、まさに貴殿らの限り無い謗法狂乱の虚言集というほかはない代物である。今更ながら、日蓮正宗の信仰の根本命脈たる、本門戒壇の大御本尊と血脈法水に対する不信謗法に陥った貴殿らの悩乱の末路を見る思いがする。
ここまで毒気が深入していたのでは、逆縁の貴殿ら自称正信会の者たちが三悪道から救われる日は、無限の未来でしかありえないと断ずるものである。
貴殿らは表紙や発行所を正信会としているが、編集者は「正信会企画部」或いは「出版委員会」となっており、貴殿らは正信会中でも劣悪な一部の者なのであろう。
 このような虚言集は、本来無視すべきが当然であるが、未だに自称正信会に隷属する者は、この悪書により日蓮正宗に対する誹謗の念慮を一段と助長し、更なる罪業を積む恐れがある。
 今回、我ら「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」が、虚言の悪書を徹底して破折する所以は、大聖人・日興上人以来の血脈相伝仏法の正義に基づき、毒気深入の自称正信会の迷妄を粉砕することにある。
 そもそも貴殿ら自称正信会の言い分は、根本的なところに救いがたい迷妄がある。それは「阿部宗門」とか、「阿部師」とかの発言に明らかな如く、貴殿らは日蓮正宗の厳然たる血脈法水を継承遊ばされる御法主上人猊下に対する信心尊崇の念を全く喪失し、まるで御法主上人と自分たちが対等のように思い上がっていることである。
 創価学会をはじめ、異流義を構えて日蓮正宗から離れていった者たちは、みな等しく、日蓮正宗の血脈法水を誹謗する。そのように貶めなければ自分らの立場が成り立たないからである。けだし異流義の者たちの一切の考え、一切の主張は、血脈否定による下種仏法破壊というおぞましい謗法の念慮が基になっている。貴殿ら自称正信会の者たちも全く同様である。貴殿らは自らの根本的な立場が謗法であり、自らが謗法者に堕していることを自覚すらできないのであり、したがってその所論もすべてが狂いに狂っている。貴殿らは日蓮正宗と創価学会の関係について、


阿部宗門と池田学会が決裂して早や十二年。諍いの発端は多分に阿部日顕師と池田大作氏の感情的対立であったのですが、時の経過と共に阿部師は教義論争のように粉飾して来ました

として、日蓮正宗による創価学会破門を、「諍い」、「感情的対立」などと誣言し、双方の立場を同次元のものと捉えている。貴殿ら自称正信会も、当初はともあれ創価学会の謗法を責めようとしたはずだ。にもかかわらず自らが謗法に堕落すると、正しい仏法上の処置さえも、単なる「諍い」や、「感情的対立」と表現し事実をねじ曲げている。誠に身勝手な言である。
 今回、日蓮正宗が創価学会を破門したのは、御先師日達上人へのお詫びと反省を、創価学会が無慙にも反故にし、その大慈悲に背いて再び謗法を犯した故である。これは二度目のことであり、しかも今回は宗門の度重なる訓戒にも従わず、徹底して三宝破壊の言動を繰り返したがためである。この創価学会の大謗法を見て、諍いの発端は多分に阿部日顕師と池田大作氏の感情的対立≠ネどと歪曲する自称正信会の性根は、腐り果てていると言うほかはない。
 御法主日顕上人猊下が、仏法所持の御立場からなされる創価学会に対する厳然たる破折は、日蓮正宗僧俗の等しく、尊崇し信伏随従し奉るところであり、自称正信会員の中でも毒気にあまり犯されていない者には、その御指南の正当さと尊さの一分が分かるようだ。しかし貴殿ら自称正信会における誑惑の中心者にとって、それは我慢できないことなのであろう。そこで貴殿らは


阿部師のこれまでの発言を網羅して一書を草し、『阿部妄語録』としました。阿部師の過去における発言と現在の発言とを対比してみるとき、その言うことに一八〇度の違いがあり、これが同一人物の発言かとあきれるほかはないでしょう

と批判している。全く顛倒極まる妄言である。一般世間においてすら、二つの個別的存在があれば、時間の経過に伴い、両者の関係が変化することは当然である。すなわち同一人物の発言においても、世の中の一切は相手が存在することであり、その相手の状況の変化についての当否が論じられるべきである。
 例えば、世間的に尊敬を受けていた立派な人がおり、その人が突然卑劣な犯罪を犯したとする。その時、当初はその人を賛嘆していた人が、後に批判をするようになった。その場合、批判した人をこれが同一人物の発言か≠ニ非難すべきであろうか。その場合の責任は、批判されるようなことをした犯罪者にあるのであって、批判した人に対し、たとえそれが過去の賛嘆の発言と百八十度違った批判であったとしても、責めるべきでないことは当然である。こんな小学生にも分かる道理にすら迷う、貴殿ら自称正信会の者はまさに幼稚・悩乱の極みというべきである。
 このことは深縁の波木井氏や兄弟弟子である五老僧に対する日興上人の御化導の変化として、身延離山後における厳しい破折によっても明らかである。
 同様に、御法主上人猊下の、いよいよ邪義を露わにしてきた創価学会に対する御指南と御処置は、あくまでも個人的感情ではなく、広宣流布・令法久住を基準としてなされたものであることはいうまでもない。
 それは御先師日達上人が、正本堂建立に際し、妙信講(現顕正会)の浅井らの批判を受けられながらも、創価学会の広宣流布への貢献を第一に考えられ、池田大作を護りお褒めになられたのに対し、一たび創価学会が昭和五十二年の謗法路線に堕落するや、一転してこれを厳しく責められたのと全く同様である。
 自称正信会の者たちはこの日達上人、日顕上人の厳愛の慈悲を理解しようともせず、

仏教では人の犯す悪事を十挙げている中に、「妄語」「綺語」「悪口」「両舌」と、四つまでが口に関わることであります。本冊子を読めば、四つともに阿部師がいかほど犯しているか驚くことでしょう

と、御法主上人猊下を悪人扱いしている。これらの全てが貴殿ら自称正信会の虚言であることは、道理の上からも明白であり、後の本文中に徹底して破折するところである。そしてさらに自称正信会の最大の謗法が、


阿部師は、詐称とはいえ日蓮正宗の貫首を名乗っているのですから、その罪過はひじょうに大きいと言わねばなりません

の妄言である。これこそ創価学会や離脱僧らと軌を一にする大謗法の言である。すなわち、御先師日達上人が居られないのをいいことに、日達上人はどなたにも血脈相承をされずに御遷化なされたというもので、これは御先師に対する最大の侮辱であると同時に、宗開両祖以来の日蓮正宗の厳然たる血脈法水を否定する大謗法の言ではないか。
 もし御法主日顕上人猊下が血脈を詐称したというのなら、自称正信会は、なぜ御登座以来、一年有余の間、御法主上人猊下の御指南に随従し奉ったのか。某檀徒が週刊誌において血脈相承について云々したとき、自称正信会の元僧侶荻原昭謙は何と述べているか。これについてははっきりした資料も残っている。当時のほかの自称正信会の者の考えも同様であろう。こういうのを「耳を掩いて鈴を盗む」如き自語相違というのである。
 貴殿ら自称正信会の元僧侶達が寺院を占拠しつづけるために血脈否定の所謂管長訴訟を起こし、自分達の生活と引き替えに、信仰の根幹たる血脈法水に対する信心を放棄する大謗法行為に走ったきっかけが、創価学会の元顧問弁護士であった山崎正友氏の週刊誌における御法主上人猊下の血脈相承に関する疑義発言であったことは否定できない。
 しかし結局は、僧侶の立場にありながら、一介の在家者の言に紛動された貴殿らに一切の責任があるのだ。その山崎正友氏もすでに、御法主上人猊下の血脈相承に対する疑義には全く根拠がなかったことを深くお詫びし奉り、現在は日蓮正宗信徒に復帰して御登山も叶う身である。貴殿ら自称正信会元僧侶各氏には、いつまでも信徒を私物化せず、その人々を御法主日顕上人猊下にお詫びせしめ、御登山できるようにするのが、長い間、配下の如く引き回してきた檀徒各位に対する、せめてもの償いである。しかるに貴殿ら自称正信会の者は更に次のような悪態をついている。


池田大作氏の悪をとっくの昔から見抜いていたかのように言うことは、過去の絶賛発言がまったくの綺語ということを自ら白状しているに等しく、却ってその不誠実な人間性、恐るべき欺瞞性を問われましょう。
 また、阿部師は、創価学会の謗法について、正信会が一貫して指摘し、主張し続けて来た義を盗み取って、あたかも昔からそう考えていたかのように臆面もなく説教し、さも憂宗護法の念あつき名貫首を気取っているようですが、阿部師がせねばならぬことは、先ず自分の過去の判断の誤りを率直に認め、そのことによって多大な苦労をかけた正信会僧俗に全面的に謝罪し、自らは潔く退くことではないでしょうか

 御法主日顕上人猊下に対し奉り、過去の判断の誤りを率直に認め・・・多大な苦労をかけた正信会僧俗に全面的に謝罪≠ケよとは、一体、貴殿ら自称正信会の者たちはどこまで厚顔無恥なのか、余りの図々しさと莫迦さ加減には呆れ果てる。だからこそ始めに貴殿らが救われるのは無限の未来でしかありえないと言ったのだ。
御先師御遷化の後、あくまでも池田大作処分を叫ぶ貴殿ら自称正信会に対し、御法主日顕上人猊下には何と御指南遊ばされたかを思い出してみよ。
当時、御先師日達上人にお仕えし、創価学会を反省せしめたのは貴殿ら自称正信会の者だけではない。むしろ御法主日顕上人猊下には教学部長として、総監として、また法を内付された大所高所の御立場から、厳然と創価学会を善導しておられた。
 すなわち、御先師日達上人が創価学会の反省とお詫びを受け容れられ、御遺言とも拝すべき昭和五十四年五月三日の御指南により、創価学会問題の一切を最終的に収束され、御存生中に以後の創価学会への批判を禁じられて、きちんとけじめをおつけになられ、創価学会善導和合路線を敷かれたことは、貴殿らも充分承知のことであり厳然たる事実である。
御法主日顕上人猊下には、その御先師の尊い慈悲の御姿を拝され、その後を承け継がれた御立場におかれては、創価学会が下種三宝尊に対し奉る反省懺悔を守る以上は、その創価学会を善導する路線を歩まれることが、御先師日達上人の御高志でもあり、また一切衆生を救済されるべき御法主上人猊下の御立場における至極当然の御指南と御方針であられたと拝する。
故に宗門の僧俗一同はこの御法主上人猊下の御方針に、有り難く信伏随従し奉ったのであり、これに異議を唱えた貴殿ら自称正信会こそ、御先師日達上人また日顕上人違背の大謗法者集団であることが、今日においても、我ら日蓮正宗僧俗一同の揺るがぬ見解である。この道理を、貴殿ら自称正信会の者たちはその盲瞽を開いて明白に知るべしと告げておく。
しかし当時、あくまでも自説に固執する貴殿ら自称正信会の者に対し、御法主上人猊下には、何とか僧道を全うさせたいとの大慈悲から、もし創価学会が再び謗法を犯した時には、自分が先頭に立って折伏を開始するから、今は宗門と一致団結して事に当たりなさいと、理を尽くして話されたではないか。しかるに我賢しとの驕慢謗法と創価学会に対する仏法者にあるまじき怨念により、御法主上人猊下の大慈悲に背き、宗制宗規に背いて処分されたのが貴殿ら自称正信会の者たちなのである。
貴殿らは、自称正信会の者が、創価学会問題で長年苦労したかのように言っているが、それこそまさに理非曲直に迷うものであろう。咎を棚に上げて恥知らずにも自分の身を過賞するより、前代未聞の血脈否定の訴訟を起こし、宗門に多大の迷惑をかけ、仏法の根幹たる血脈法水に汚泥を投じた大謗法行為に対し、死身の懺悔をしなければならないのは、貴殿ら自称正信会の者たちである。
貴殿ら自称正信会の者たちは日蓮正宗から擯斥処分となり、すでに正式な僧侶の立場を失っているのだから、万一にも深く懺悔してお許しを頂くことのない限り、一刻も早く日蓮正宗の袈裟・衣を仏祖三宝にお返しし、在俗の身となって深くお詫びすることが死後のためと申しておく。したがって、


阿部師の発言からは、「疵を蔵して徳を揚げ自ら省ること能はず、是れ無慙の人なり」という醜悪な自己保身の姿しか浮かばないのです

との言い分は、そっくり貴殿ら自称正信会元僧侶各氏に返しておく。すなわち貴殿らの言い分は、自らの謗法の疵を隠した、妄言虚言そのものであり、まさに醜悪な食法餓鬼の姿を晒す無慙の人々≠ニ言うほかはないからである。
更に貴殿ら自称正信会は、


阿部師も池田氏に媚び諂っていた忌わしい己れの歴史を急ぎ書き換え

とか、


阿部師こそが、学会員も含めて日蓮正宗の信徒を翻弄した張本人

などと御法主日顕上人猊下を口を極めて誹謗している。
 しかし、御先師日達上人と御当代日顕上人に背き、日蓮正宗の根本命脈たる血脈法水を誹謗した自らの大反逆行為とその罪の大なることをこそ思い起こすべきである。死身の懺悔をせよと重ねて申しておく。
また我ら「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」は、総本山第六十七世御法主日顕上人猊下こそ、富士の清流の根本たる血脈法水を正しく護られ、自称富士大石寺顕正会問題、自称正信会問題、創価学会問題の全てを誤りなく処置されて、法を付嘱せられた御先師日達上人への御報恩を悉く尽くされた御法主上人猊下にあらせられることを貴殿らに告げるものである。


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