02〔正本堂〕
いずれ奉安堂も誰かに破却される運命か≠フ逆言を破す


俗に「毒を喰らわば皿まで」と言うが、まことに以て謗法者の振る舞いはこの俗説のとおりである。日蓮正宗の信仰の根幹である「本門戒壇の大御本尊」への帰命と「血脈付法の御法主上人」への信順を、自らの地位と生活のために捨てるだけでは気が済まず、自称正信会なる徒党を組んだ愚癡の輩が、衆議という名の隠れ蓑を着て、「本門戒壇の大御本尊」への参拝をやめ、「血脈付法の御法主上人」に反逆し、悪口罵詈していることは、まさに「毒を喰らわば・・・」そのものである。まさに『兄弟抄』の、
 「始めは信じてありしかども、世間のをそろしさにすつる人々かずをしらず。其の中に返って本より謗ずる人々よりも強盛にそしる人々又あまたあり」(新編九八七)
との仰せのとおりである。この「世間のをそろしさにすつる」との御金言の御意を、万分の一でも噛みしめてみよ。貴殿らが正視できない心底が明らかではないか。元出家の身でありながら、「世」を恐れて右往左往するその姿は、あまりにも醜く、まさに謗法者の堕獄相である。しかもその言辞たるや、大それた事をするわりには、あまりにもお粗末であって、本『虚言集』はさながら軽佻浮薄の見本のような駄文集である。

 阿部師が正本堂の破壊を思い立ったのは、平成10年4月5日、日達上人時代の大客殿を壊して、新たに建てた新客殿の落成式のその時であった。阿部師は突如、戒壇の大御本尊を正本堂から奉安殿に遷座すると発表。これは二、三の側近を除いてはまったく寝耳に水の話。
 御遷座はその日のうちにそそくさと行われ、5月には正本堂の解体に入る予定という急ぎよう。こんな重大変更が宗内のどの機関にも諮られず、すべて阿部師の独断専横で進められた。

謗法の毒気が深入して、簡明な事柄も判断できなくなっているようである。このような者に指導される元信徒こそ哀れである。なぜならば、まず大客殿の解体は平成七年一月十七日に起きた阪神大震災を機縁とし、総本山においても、近い将来に予想される東海大地震を睨んだ専門家による建築物の耐震性の慎重な見直しが行われた結果、大客殿にはその安全性に重大な懸念が生じたからである。解体の理由が、あくまで第一に耐震性という客観的判断に基づくものであることは、客殿の落慶大法要の慶讃文をはじめ前後の諸報道に述べ尽くされており、疑念を差し挟む余地は全くない。
 しかるに自称正信会の悩乱者は日達上人時代の大客殿を壊して≠ニ述べて、御当代日顕上人が御先師日達上人時代に建立された大客殿を、不必要に解体しているかの如き印象を言外に匂わせている。このやり口は創価学会の誹謗と全く軌を一にするものである。自称正信会は創価学会の謗法を糺すために立ち上がったと嘯きながら、貴殿らにとって最も唾棄すべき創価学会のマネをして恥ずかしくないかと呵しておく。
次に自称正信会は、阿部師が正本堂の破壊を思い立ったのは、平成10年4月5日、日達上人時代の大客殿を壊して、新たに建てた新客殿の落成式のその時であった≠ニ言うが考えてもみよ、当日、準備万端整えられ、正本堂から奉安殿へ粛々と何の蹉跌もなく、本門戒壇の大御本尊が御遷座され、無事に法要が奉修されたのである。これは『大日蓮』『大白法』等で詳細に報道されているから宗内周知のことであり、当然自称正信会も知っているはずである。
 この事実は何を物語るか、既に周到な計画、準備、手続きを経た上で、当日公表され、即座に実行に移されたことが自明ではないか。一体どういう神経になれば、御法主日顕上人猊下が正本堂の破壊を思い立ったのは新客殿の落成式のその時であった≠ネどと言えるのか。新客殿の落成式のその時≠ノ正本堂の破壊を思い立った≠フでは御遷座のしようがないではないか。莫迦さ加減にも程がある。この誹謗文書の著者である貴殿らは、このような悩乱した人物であるということを、まず指摘しておく。
 次に貴殿ら自称正信会は、こんな重大変更が宗内のどの機関にも諮られず、すべて阿部師の独断専横で進められた≠ニ言う。全く悩乱者につける薬はない。
 恐れ多いことだが、『日興跡条々事』に、
 「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」(新編一八八三)
と仰せのように、「本門戒壇の大御本尊」は御歴代上人に御相伝遊ばされるのであるから、「本門戒壇の大御本尊」に関する一切の権能は御法主上人に存するのである。したがって御法主上人が「本門戒壇の大御本尊」をどこに御安置なされようと、御法主上人の御随意である。ほかの者が触れることではない。
また大石寺の代表役員・責任役員は御法主上人猊下と総代である。寺院の運営の議決について代表役員・責任役員以外に関与できる者はいないはずである。自称正信会の連中も宗教法人の元代表役員なのだからそんなことは知っていよう。それを忘れて、あたかも誰人にも関与する権利があるように考えているとしたら、まさに悩乱である。それとも、事情に疎い人々を騙すためにこのように書いているのか。そうであるなら、許し難い邪智の者と言っておく。

 阿部師は「法主を誹謗することは大聖人を誹謗すること。そんな池田の造った正本堂に大御本尊を御安置しておくことはできない」とか、「池田が正本堂を三大秘法抄に示される法華本門の戒壇と勝手に独断したことは大驕慢」という理屈をつけて正本堂を取り壊すわけだが、そんなことを言える資格が阿部師にあるだろうか。池田氏の言うことに宗内でもっとも追従し、迎合していたのが阿部師であったことは紛れもない事実。因みに阿部師のかつての発言を検証してみると、
「正本堂は世界の民衆が懺悔滅罪する戒法の根本道場であり、また今日の世界広布の時機に最も適する名称と実体を具える殿堂」(昭和57年10月12日・正本堂建立十周年)
と言って来ている。
 ところが、平成12年8月5日(大石寺)
「池田大作の謗法が元となって造られたのがあの正本堂でありました。したがって正本堂が存在するということは、謗法・邪宗の創価学会の精神がいつまでも総本山に存在するということでありまして……」
と言った。
 池田氏が謗法だと言うなら、長年「慈無くして詐り親む」ことをしてきた阿部師にも謗法与同の罪があることになる。そうすると、正本堂を壊したあとに建てた「奉安堂」もいずれ「阿部日顕の謗法の固まりだから壊す」という者が出て来るかもしれない。

 一体貴殿らは、誰に向かって言っているのだ。御法主上人猊下は当時、
「『もしも信仰的に創価学会が独立するというのならば、独立してもらえば良い』ということです。そのときには我々は、法主が陣頭に立って、徹底的に創価学会の全体を折伏して、改めて大折伏戦を日蓮正宗から展開すれば良い。そのときは、多くの人が、直ちに改めて日蓮正宗に入ってくるでしょう」(昭和五十四年十月十日・全国宗務支院長会議 大日蓮四〇五‐一四)
と仰せになられていたではないか。そして当時創価学会の謗法を破折していた多くの僧侶と法華講員が御法主日顕上人猊下の御指南に信伏随従したのである。今回の創価学会の離反に際し、本当に本門戒壇の大御本尊と御法主日顕上人猊下を御護り申し上げることができたのは、そのときの僧俗が中心なのである。貴殿ら自称正信会はわがまま勝手な驕慢心で宗門に反逆し、大いなる障害となるばかりだったではないか。大言壮語を吐く前に、本門戒壇の大御本尊と御法主日顕上人猊下と宗内僧侶とかつての檀徒・現在の法華講員に深くお詫びし、反省懺悔せよと呵しておく。
次に貴殿らは全く何の道理も判らぬ悩乱者である。本宗の施設は本門弘通広宣流布という大目的の上に、それぞれの建物の建築目的が存しているのである。しかして特に正本堂は広宣流布の日までの本門戒壇の大御本尊御収蔵安置と御内拝を賜ることを目的とした建物であるにとどまらず、その規模といい建立当時の信徒の急激な増加といい、本門戒壇建立の御遺命達成をめざす本宗僧俗にとって、未来に本門戒壇となるべき願望を込めて命名建立された建物であった。故に日顕上人猊下は、
 「正本堂は世界の民衆が懺悔滅罪する戒法の根本道場であり、また今日の世界広布の時機に最も適する名称と実体を具える殿堂」(大日蓮四四一‐九五)
と述べられたのである。ところが池田大作の悩乱と具体的な宗門離反により、創価学会は破門となり、池田大作は信徒除名となって、正本堂の建立目的が果たされる可能性は皆無となった。それどころか、その存在自体が池田大作の我見による本門戒壇観をはじめとするあらゆる邪義の根源と変質し、正本堂に本門戒壇の大御本尊を御安置し続けること自体に大いなる問題が生じてきたのである。御法主日顕上人猊下は、かかる状況の変化に即応し、
 「池田大作の謗法が元となって造られたのがあの正本堂でありました。したがって正本堂が存在するということは、謗法・邪宗の創価学会の精神がいつまでも総本山に存在するということでありまして」
(大日蓮六五五‐六三)
との理由により正本堂を解体し、そして奉安堂を建立するという大英断に基づく処置を執られたのである。

否、それよりもっと明確な理由「戒壇の大御本尊はニセモノと言っていた阿部師が建てた堂宇に、大聖人様の御魂は住まわれず」ということで、きっと取り壊されよう。因果は廻るのである。

あきれ果てた妄言である。まず、日顕上人猊下が「戒壇の大御本尊はニセモノ」と言っていたなどというが、これも全く創価学会の疑難の受け売りである。これは、所謂「河辺メモ」を根拠に、昭和五十三年二月七日、河辺慈篤師と面談した日顕上人が、「戒壇の御本尊のは偽物である」「種々方法の筆跡鑑定の結果解った」と語り、本門戒壇の大御本尊は偽物だと発言した≠ニ言うものである。
この件について、すでに宗門では、河辺師の証言などに基づき、日顕上人のお言葉の御真意は、当時、宗内外で語られ、また語られる可能性のある本門戒壇の大御本尊への誹謗に対する破折であったことを明らかにしている。
その後、宗内有志による『慧妙』紙が、さらに具体的に、当時、宗内にあった、後に正信会となる僧侶が、大御本尊への疑義を懐き、日顕上人がこれを破折したものと思われる≠ニ論じ、この推論を裏付ける重要資料を発見している。その記述によれば、
「正信会・大黒喜道編纂による『日興門流上代事典』の七三六頁には、本門戒壇の大御本尊の解説文として、次のように記されており、その中で戒壇の大御本尊に向けられた疑難は、まさに、『河辺メモ』に記された疑難と、みごとに一致しているではないか!
 『弘安二年(一二七九)十月十二日に書顕されたと伝えられる富士大石寺蔵宗祖御筆本尊で、曼荼羅下部には『右為現当二世造立如件/本門戒壇之願主弥四郎国重/法華講衆等敬白/弘安二年十月十二日』と記されている。現在は板曼荼羅として大石寺に厳護されているが、非公開であり、古来より宗祖の御筆に対して疑問が提出されている。(中略)
 富谷日震『本宗史綱』二四五は『重須日浄記』に拠って当本尊の彫刻を大石寺日有によるものと推定し、日蓮宗事典はその筆跡や脇書等から室町期の成立と推測している。(中略)大石寺所蔵の宗祖本尊の中では、元は東京・法道院所蔵にて昭和四五年に大石寺に奉納された弘安三年五月九日書顕の宗祖本尊(脇書『比丘日禅授与之/〔日興上人加筆〕少輔公日禅者日興第一弟子也。仍所申与如件。奉懸本門寺可為万年重宝者也』興全一四一)が、その相貌と言い大きさと言い、当本尊と酷似しており、注意される。』
 この『日興門流上代事典』なる書の発刊は『二〇〇〇年一月一日』と記され、近年の発刊となっているが、問題は、そこに述べられた『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』の関係についての説が、いったい、いつから存在したか、という点である。
 そこで今回、本紙が編者に問い質したところ、重大な事実が判った。
 すなわち、すでに昭和五十年頃、虫払い大法要の際に宗内の何者かが撮影した『日禅授与の御本尊』の遠景写真(これは、いま編者の手元にある)、及び『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』が酷似しているとの説があった、これについて編者(大黒)自身は別の意見を持っているが、『事典』という性質上、中立にあらゆる意見を載せたにすぎない、というのである。
 やはり、というべきか、この事実は重大である。
 編者が自称・正信会に籍を置いている関係からすれば、右に言う『写真』も、おそらくは正信会関係者から入手したものであろうし(その氏名を聞くことは、ついにできなかった)、『河辺メモ』に記された、昭和五十三年当時、『日禅授与の御本尊』と『戒壇大御本尊』の関係を疑って云々していたのも、後に正信会となる宗内一部僧侶であったことは、もはや確実である」(慧妙平成十四年六月一日付)
ということである。まさに貴殿らの言こそ盗人猛々しいと言わねばならない。本門戒壇の大御本尊に対する疑難を自作自演し、それを創価学会の疑難の尻馬に乗った振りをして、一切の責任を日顕上人に転嫁し誹謗しているからである。

それならば、全国にある池田氏寄進建立の末寺にも謗法の精神が存在している≠フでは? これも壊しますか?

要は、池田大作が大謗法者と化し、正本堂が本門戒壇となる可能性も無くなり、正本堂の存在が謗法の固まりと言ってもよいような意味に変わってきたために、本門戒壇の大御本尊が御遷座され、無用の長物となった正本堂は解体撤去されたのである。
しかるに全国の末寺の建立目的は何か。それは地域の法城として、檀信徒の教化育成と広宣流布を目的とした建物であることは自明ではないか。その建立目的が健在であるのに、仏祖三宝所有の寺院を何故壊す必要があるのか。呵々。


次項        目次
     ホーム