03〔三大秘法〕
厚顔無恥の阿部師 与同罪と知れ!≠フ毒言を咎(とが)

阿部〈法主を侮蔑し、宗門を軽視するとはけしからん。驕慢だ!〉池田〈ナニ! そっちこそ学会に対する感謝の念が足りない。権威でモノを言うな!〉
 これが阿部宗門と池田学会の喧嘩の始まりだったのだろうが、阿部師、これではあまりに低次元でみっともないと思ったか、にわかに教義論争の装いをこらしはじめ、池田氏にはそもそも昔から重大な誤りや謗法があったのだと言い出す。
 平成3年1月6日、全国教師指導会において阿部師は、
「池田問題の根元は、池田大作の教義解釈の誤りにある。『三大秘法抄』の本門の戒壇とは正本堂のことであると池田が断定したことに由来する。信徒の立場で増上慢になり、重要御書の御文、すなわち御本仏の御指南を勝手に解釈、曲解し、法主さえも軽んじ無視することが池田大作の誤りの根元である。このことは十年間、私は登座以来一度も言わなかった。今日初めて発表する」
と言った。
 はたして阿部師に「池田大作の教義解釈に誤りがあった」「正本堂を本門事の戒壇と言ったことがそもそもの誤り」などと大言する資格があろうか。池田氏の誤った教義解釈に率先して迎合していたのが、ほかならぬ当時宗門の教学部長をしていた阿部師だった。昭和51年刊『本門事の戒壇の本義』という本の中では、
「戒壇の本尊おわします所、直ちに事の戒壇であるから、昭和四十七年建立の正本堂が現実の事の戒壇である。この正本堂は、広宣流布達成の地歩が着実に展開されている現在の実相を鑑みるとき、一期弘法抄・三大秘法抄に仰せられる戒壇の意義を含むものといわねばならない」
と言っている。
 阿部師はきっと「あの当時はいろいろ経緯があって止むを得なかった」と言い逃れするであろう。しかし、その後も頻々と正本堂を本門事の戒壇とする発言を積極的にしている。たとえば、
「正本堂は世界の民衆が懺悔滅罪する戒法の根本道場であり、また今日の世界広布の時機に最も適する名称と実体を具える殿堂であります」(昭和57年10月12日・正本堂建立十周年)
「大御本尊を安置する広布の根本となる堂宇、すなわち正本堂こそ本門の戒壇」(昭和59年4月6日・御虫払)
という具合にだ。
 また、池田の教義違背が、正信会の指摘で明らかになっていた最中の昭和52年9月2日、
「社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います」
と追従の言を送っていたのも阿部師である。
 阿部師は、「このことは十年間、私は登座以来一度も言わなかった。今日初めて発表する」と、得意気に発言をしているが、池田の教義解釈の誤りを、とうの昔から解っていながら、またそれを率先して指摘し、改めさせなければならない立場にありながら、それをしてこなかった無責任さと臆病さを先ず恥じなければならないのだ。阿部師は与同罪なのである。

 これまた臆面もなく、よく言うものである。池田大作・創価学会が正本堂を御遺命の本門戒壇にすることに固執すれば、かたや妙信講(現、自称富士大石寺顕正会)は国立戒壇に固執して、双方譲らず、その両者を懸命に善導しようとされたのが、御先師日達上人であり、また当時教学部長であられた現御法主日顕上人等の宗門中枢の方々である。当時の宗門が、創価学会と妙信講の善導に心を尽くしていたことは、宗門人であれば周知のことであり、貴殿ら自称正信会の者も例外ではない。
 その中で日達上人の命を受け、本宗相伝の戒壇論の実義を顕揚すべく、詳述展開遊ばされたのが、日顕上人御著述の『本門事の戒壇の本義』であった。その内容は、文・理・現の三証によって、当時胚胎していた疑難を払拭するものであり、宗内一同、拝読領解したのである。その証拠に貴殿らからも、これに対する批判は起きていない。
なぜならば池田大作は、正本堂を『三大秘法抄』の戒壇すなわち「本門寺の戒壇」とすることに固執したのであるが、それに対し日達上人の『訓諭』の御指南は、本門戒壇の大御本尊御安置の意義に約して、正本堂を『一期弘法抄』『三大秘法抄』の意義を含む現時における「本門事の戒壇」とされたのであり、日顕上人の『本門事の戒壇の本義』も、文字どおり正本堂が「本門事の戒壇」であることの意義を明かされたものであったからである。 このように『本門事の戒壇の本義』によって創価学会と妙信講の双方を善導されようとした、日顕上人に対し、貴殿らははたして阿部師に「池田大作の教義解釈に誤りがあった」「正本堂を本門事の戒壇と言ったことがそもそもの誤り」などと大言する資格があろうか。池田氏の誤った教義解釈に率先して迎合していたのが、ほかならぬ当時宗門の教学部長をしていた阿部師だった≠ニ言うが、それは貴殿らが戒壇論について何の領解をもできていなかったか、判っていながら誑惑しているかの、どちらかであることを白状するものである。
 いずれにせよ、結果的には貴殿ら自称正信会の論旨は、日顕上人の展開された「本門事の戒壇」と池田大作の固執した「本門寺の戒壇」を混乱して論ずることになり、読者をして同義であるかのように迷わしめる大罪を犯している。これすなわち誑惑であり、大謗法と断ずる。
 しかも『本門事の戒壇の本義』に日達上人が何と緒言せられているか。
 「識者よく私の意とするところの本論を玩味せられ信心の指針にせられることを願うのである」(該書一)
と仰せられているではないか。この言をなんと拝するのだ。戒壇論について大道を示された日達上人と所論展開された日顕上人のお考えは完全に合致するのである。つまり貴殿らの迎合≠ニの言は、無慙にも日達上人に向けられたと同義である。日達上人が池田に迎合したとでも言うのか。
 また国立戒壇に固執する妙信講は、日達上人の御指南に最後まで反抗し、その無軌道ぶりは創価学会本部襲撃事件を惹起するなど、およそ信仰者にあるまじき様相を呈するに至ったため、ついに講中解散処分に付されたのである。そのような妙信講も妙信講なら、一方、創価学会は創価学会で純真な一般学会員を後目に、池田大作の驕慢ぶりはますます増長していた。
 しかし、創価学会の一般会員をはじめ全信徒の成仏と、令法久住・広宣流布を願われる日達上人は、あるときは池田大作・創価学会の謗法に対し厳しい御指南も加えられたが、最終的には謗法を反省懺悔した池田大作・創価学会をどこまでも擁護され、慰撫教導を貫かれたのである。当時、その御教導には、ほとんど全ての僧侶が信伏随従していたではないか。日達上人のあとを禀けられた御当代日顕上人は、この日達上人の定められた方針を承継されて宗門を統率され、創価学会の善導に心を尽くされたのである。その基本精神は慈悲であられた。
すなわち御法主日顕上人猊下は、昭和五十四年十月に全国宗務支院長会議において次のように御指南されている。これはのちに自称正信会となる悩乱者も聞いていたであろう。よく思い出してみよ。
 「過去の様々の学会の姿に対して、それに対応し、それを善導し破折していくなかにおいて、御先師のお言葉の中にいろいろな面があったことも聞いておりますし、またそれも充分に察知できます。しかし、御法主として、また管長として全体をどのように導いて行くかということは、やはり公的な立場に於かれての御発言≠ノ帰している。と私は信ずるのであります。仮りに個々、個々に言われたことがあったとしても、それはその時の導き方、あるいはいろいろの必要性が有ったことと思われます。しかし、長い時点において、すべてを見通されての一貫した形からするならば、そういうことの帰結が先程拝読したお言葉にはっきりと表わされており、そのお言葉以外のものではないと思います。
 一時、宗門にホンネ≠ニかタテマエ≠ニかというようなことが流行りましたが、これは物事の一断面を言うことであって、前御法主猊下のお言葉・御精神にも、その本質はけっして本音とか建て前が有るのではなくして、きちんとした一本の根本的な御指南の筋というものの上から、その時に従っての、あるいは対機説法としての御指南も有った、というように思わなければなりません。ですから私は、それらをすべてここに受け継いでおる決意であります。
 その意味から考えまするならば、現在既にこのような果てしのない泥沼の戦争の中に宗門がのめり込んで行こうとしているときに、まさに一切の基本をきちんとして、宗開両祖の御指南に基づいた、真の異体同心というところに大きく大同団結して帰るべきときであり、またそれをあらゆる人々が心掛けて行かなければならないときだと思います。
 この大同団結≠ニいうことですが、もう既に皆様方もお分かりのように『創価学会は邪宗教以上に悪いので、絶対に救うことのできない敵だ』と思い込んでいる節があるように、何となく感じられます。私は、はっきり言ってこれは誤りだと思います。
 御本尊様を、一人の人に持たせるのすら容易ではありません。まして、何百万人もの人が本宗の正しい御本尊様を持っておるのであります。その御本尊様には何と示されておりますか。
 『若し悩乱せん者は 頭は七分にわれん』『供養する有らん者は 福十号に過ぐ』
と示されてあります。いやしくも御本尊様を受持する者は、必ず即身成仏することは決定しているはずです。その者を『謗法の者よりもなお徹底して悪いやつで、それはけっして直らないんだ』という考えを持っている人が居るという。それは大きな間違いであります。
先日、ある十四・五人の人と話をする機会がありました。それはいわゆる檀徒≠フ引卒者の人達です。
 そのときにいろいろな話もしましたけれども、その中で『とにかく猊下、学会は直りませんよ。直らないのではないですか』という発言が有りました。私は言下に『そんなばかなことがあるか。直さなければいけないんだ』ということを申しました。御本尊様を持って拝んでいる人達に対して『あれはもう直らない』。こんな無慈悲な話は、私は無いと思う。しかも僧侶がです。
 親だったら、子供が重病で、医者が首をひねって『もうだめかもしれない』と言っても、親は『何とかして助けよう』と思う。それこそ信心している人は、御本尊様に何百遍も何千遍もお題目を唱えますよ。それにも増して、仏者として本当に人を救って行こうとすれば、悪いところは何としても、どんなことをしても直して行かなければならない、ということこそ必要だと思います。直らないという考え方によって『あんなものはどうせだめだ』ということになって、結局悪口を言うというところに行くらしいのです。しかしその考え方は間違いであります。
 では、直して行くという考え方になりますと、宗門というものは大きいものです。そこには頭も有れば尻尾も有ります。その足や手や指が、頭の指示と関係のない行動を起こしたならばどういうことになるかというと、めちゃくちゃなことになってしまいます。やはり、宗門を直して行くと考えるならば、直して行く上での形において、速かに統一的な見解による正しい連絡に基づいて、その方向に進まなければならないと思います。各々の意見が違うということも少し聞きました。そのように、宗門の中で意見が一致しないままでいろいろなことを行なって、どうして統制がとれますか。ですから私は、どうしてもここできちんとした線を打ち出していきたい、と念願しておるものでございます。(中略)
 ですから私は言うのですが『もしも信仰的に創価学会が独立するというのならば、独立してもらえば良い』ということです。そのときには我々は、法主が陣頭に立って、徹底的に創価学会の全体を折伏して、改めて大折伏戦を日蓮正宗から展開すれば良い。そのときは、多くの人が、直ちに改めて日蓮正宗に入ってくるでしょう」(大日蓮四〇五‐九)
と仰せである。このように御法主日顕上人は「創価学会は直らない」等の意見を退けられて、我が子をどこまでも思いやる親の慈悲をもって学会を矯正しようとされたのである。そして池田大作・創価学会を矯正しようとするその根底には、些末なことには拘らないが、信仰上の重大な欠点については信心を励ます以外にその罪障を消滅させる道はないと判断されていたと拝する。すなわち『阿仏房尼御前御返事』に、
「浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし。重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし」(新編九〇六)
と説かれているとおりである。
戒壇に関する法門は甚深であり、池田大作如き慢心の強い未熟者にはついに領解できなかったのである。したがって、法体に約す上からは「本門事の戒壇」と述べるにとどめ、広布の事相に約す上からは『三大秘法抄』『一期弘法抄』の意義を「含む」とされ、「本門寺の戒壇」への池田大作の執着は、これを確実に断破されたのである。
 このように、日顕上人は日達上人の命により『本門事の戒壇の本義』を執筆するにあたって、創価学会が非常に大きな力を持ち、しかも信順していたからといって、創価学会におもねるような安易な解釈はされていない。法義は法義としてどこまでも厳正に御指南されている。そののち、創価学会の五十二年路線は日達上人の御教導により、池田大作・創価学会は反省懺悔して随従の姿勢を見せた。日達上人はここに創価学会に対する破折を収束され善導和合路線を敷かれ、日顕上人もまた善導和合路線を継承され創価学会を慰撫嚮導されたのである。正本堂に関する御指南もその上からなされている。しかるに貴殿らは、日顕上人の御意を百も承知の上で阿部師はきっと「あの当時はいろいろ経緯があって止むを得なかった」と言い逃れするであろう。しかし、その後も頻々と正本堂を本門事の戒壇とする発言を積極的にしている≠ニ言うのである。全く、悩乱の毒言と言うほかはない。日顕上人は止むを得な≠「御指南など全くされていない。的確な御指南をされているのである。貴殿らこそ、自分たちの立場が危うくなるや、本門戒壇の大御本尊と血脈法水という信仰の根幹さえ抛擲して止むを得な≠「と嘯いているのではないのか。
また貴殿らは「社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います。」と追従の言を送っていたのも阿部師である≠ニ言っているが、この時の記録には、当時の宗務院藤本栄道庶務部長(現総監)によるものと、学会側によるものとがあり、その内容は微妙に異なっている。正信会の者の引く文章は、学会側の記録にあるものであり、藤本庶務部長による記録には、正信会の者の引くとおりの文章は見られない。
学会側の記録は、昭和五十五年一月十日に活動僧侶有志によって発行された『創価学会機密文書(その二)』に掲載されており、藤本庶務部長による記録は、昭和五十六年一月十日に日蓮正宗僧侶有志によって発行された『宗務院・学会記録文書』に掲載されている。このように、異なる二種類の記録を正信会の者が自ら発刊しておきながら、ここでは自分たちに都合のよい学会側の記録だけを取り上げて日顕上人の発言を云々するのは、欺瞞である。
しかも藤本庶務部長の記録には、先生の教学は完璧♂]々の箇所はない。この点について、藤本総監に伺ったところ「そのような発言があれば必ず書くので、記述がないということは、発言はなかったのであろう」と述べられた。藤本総監のメモは、その正確さにおいて定評がある。したがって、実際には日顕上人にはこのような御発言はなかったのである。それを、自称正信会の者が学会側の記録のみを用いるなどとは正気の沙汰ではない。貴殿らの悩乱ぶりもここまでくれば、まさに本物である。

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