04〔本尊模刻〕
日達上人違背の大罪人 本尊模刻事件を闇に葬ったのは阿部師≠フ誑言(おうげん)を断破す

阿部師は、平成3年11月28日付、創価学会破門通告書の中で、
「池田氏は、過去にも、あろうことか何体もの板御本尊を、勝手に模刻するという大罪を犯しております」
と記し、同様に、
「池田大作は昭和五十二年路線において、少なくとも七体以上の御本尊を勝手に模刻するという大謗法を犯しました」(平成5年9月19日・栃木布教区)
とも発言している。
 だが、御本尊模刻事件については阿部師自身が、闇の向こうに葬り封印したのではなかったのか。
 阿部師は昭和55年4月6日、代替式の折
「(御本尊模刻事件に関して)勝手に是非を論議する者こそ謗法であります」
と箝口令を敷き、同年7月4日開催の教師指導会に於ても
「いまだに創価学会が御本尊を偽作したということを言っている人がおります。また、いろいろな出版物等にも書いておるようです。しかも正宗の僧侶が、袈裟・衣をまとっておる者がそれを書いておるのであります――まさに、日達上人違背の大罪人でありまするし、私の心にも背くものであります。惣じて、触れるな≠ニいわれたものに触れることは、謗法と断じます」
と厳命を下した。
阿部師は学会との関係修復・協調を図るための全国宗務支院長会議の席上「毎日何千人と来る登山会の、その内の、九十パーセント以上が学会員です。本山をお守りし、そして総本山の灯燭をお守りしていてくれるのは、実質的に学会員なのです」(昭和54年10月10日)
と発言しているように、法義よりも経済優先の営利主義によって「学会擁護」を最優先としてしまった。
 それによって学会批判・謗法糾弾の言論をなりふり構わず封鎖・弾圧して来たのである。
 平成9年10月15日宗務院発行の『創価学会の偽造本尊義を破す』の中で模刻本尊のほぞに刻まれた「昭和四十九年四月朝陽」の文字を以って、日達上人への願い出よりも前に既に無許可で模刻されていたとして「隠れていた証拠がその時を得て、創価学会の邪義を許してはならないとの御仏意によって、全く偶然の形で我々の目の前に現れた」とはしゃいでいるが、池田氏の本尊模刻を「大謗法の大罪」と断じ、真実を糾明する姿勢があったなら、とうの昔に解明できたはずである。
「御本尊模刻の件は論義は無用と決断済であります。今もって蒸し返して謗法論義をすることは逆に日達上人の御意に背く謗法といわなくてはなりません」(昭和55年11月3日・『宗内檀徒の皆さんへ』)
 それこそ、今頃になってむし返して「池田氏が御本尊を模刻した」等という発言は「日達上人の御意に違背する反逆行為」になるのではなかったのか?
しかも模刻事件の真相を一番よく知っていたのは、阿部師ではないか。そして、日達上人に論議無用の宗務院命令を出すように迫ったのは当時の教学部長阿部師である。「日達上人違背の大罪人」は阿部師自身
である。

 貴殿らは、「日達上人違背の大罪人」は阿部師自身である≠ニ言っているが、日顕上人は、日達上人が収束され敷かれた創価学会に対する善導和合路線を、ひたすら継承遊ばされたことはすでに述べた。この「本尊模刻事件」とは、昭和四十八年頃より創価学会が、学会や池田個人に下付された紙幅御本尊を、日達上人のお許しを得ることなく勝手に本尊として板に模刻して会員に拝ませた事件である。当時、学会本部安置の常住御本尊をはじめ、御守り御本尊を含む八体の本尊が模刻された。この八体の模刻本尊のうち、学会本部安置の板御本尊と他の七体の模刻本尊とは、その経緯が異なるのである。
昭和四十九年九月二日に開催された宗門と学会との連絡会議において、学会側より「本部三階の御本尊を板御本尊にしたい」との願い出があり、この願い出を聞かれた日達上人は了解せられた。この状況について藤本日潤総監は、後日、
「ここで大事なことは、日達上人は、学会の『板御本尊にしたい』という意味は、今までの日昇上人の紙幅御本尊はおしまいして、新たに日達上人に板御本尊の御下附を願い出るものと、このように思われて、そういう意味で御承知であったということでございます。日昇上人の御本尊そのものを板御本尊に模刻することを許可せられたのではないということであり、このことは、先程も出ましたが、菅野慈雲師の『大日蓮』五七三号に発表されている手記のなかで、日達上人のお言葉として、
『板本尊にしてほしいという願いはあったが、その後、御本尊下附願いが正式に出てこないので、どうしたのかと思っていたら、すでに板本尊に直していたということを後から聞かされた』
と、こういう仰せからも明らかであります」(創価学会の偽造本尊義を破す一〇四)
と発表されている。ここで問題となるのは、藤本総監も指摘しているとおり、日達上人が御了解されたのは、後に正式に常住御本尊御下附願を以て申請するものと思われてのことであったのである。しかし、これについて、日達上人は、昭和五十三年六月二十九日に開催された教師指導会において、
「学会の方で板御本尊に直した所があります。それは私が知らなかった。しかし、あとで了解をして、こちらも承認したのだから、そういうことをつついて、お互いに喧嘩しないようにして貰いたい」(大日蓮三九〇‐四四)
と御指南された。このように、学会による御本尊模刻の経緯には問題があったが、日達上人は、一往後から追認したことであるからと、学会本部安置の板御本尊については御了解せられたのである。
さらに、昭和五十三年六月十九日に、宗門から学会に宛てて送付された「教義逸脱」に対する質問書を受け、六月三十日付の『聖教新聞』に教学上の逸脱問題についての訂正記事が発表され、創価学会問題は一旦は解決するやに見えたが、組織内の創価学会絶対の風潮は、特に中堅幹部クラスを中心に残り、更には、日達上人に無断で行った、学会本部以外に安置の模刻本尊も、依然として各地の会館に安置されているという状態であった。このような状況のとき、一部の僧侶がこれらの「模刻問題」を取り上げる動きをしたため、困窮した創価学会は、七体の模刻本尊を総本山へ納めて事態の収拾を図ったのである。
 更にこれを受け、十月三日には、宗務院より次のような通達(院第二九一五号)が出された。
「このたび、創価学会に於ては、これまでに彫刻申上げた板御本尊については、すべて総本山へ納め奉ることとなり、去る九月二十八日、七体の板御本尊が、総本山へ奉納せられ総本山に於ては二十九日奉安殿へお納めいたしました。
但し、学会本部安置の日昇上人板御本尊については、御法主上人猊下御承認のもとにそのまま本部に安置せられることになりました。依って、今後は創価学会の板御本尊のことに関しては、一切論議を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、充分御了知下さるよう願います。
我が宗は、日蓮大聖人の正義を広宣流布するものであることは、既に御承知のとおりでありますので、これの妨げとなるような僧侶間の摩擦を排し、僧俗一致して御奉公の誠を尽されるようにお願い致します」(大日蓮四一六‐一〇)
この通達は、御本尊を模刻した創価学会の謗法は明らかだが、この時点で、大御本尊を信ずる根本の信心と、折伏に前進する気概を未だに有する創価学会を守り、僧俗和合して広宣流布の実をあげよとの、日達上人の深い御慈悲の御教導であることは言うまでもない。
 貴殿らは、この通達を日達上人に出すように迫ったのが阿部教学部長であると述べているが、御本尊に関する一切の権能は御法主であられた日達上人が所持されるところであり、またこの宗務院通達の責任は当時の総監にあったのである。当時教学部長であられた日顕上人が同通達を出すように迫ったなどと言うのは、実状を全く無視した誣言に過ぎない。さらにそのことは、後にも述べるが、翌年五月二十九日の寺族同心会における御発言において、日達上人が御自ら創価学会の御本尊問題を一切収束されたことによっても明白である。
このように、所謂「六・三〇」の『聖教新聞』に掲載された「教学上の基本問題について」を、会員に周知徹底する約束と、同年十一月七日の総本山における「創立四十八周年記念代表幹部会」、通称「一一・七」での謝罪をもって、日達上人はこれを学会の反省懺悔と受けとめ、問題を収束せんとされたのである。
ところが、昭和五十四年になっても、創価学会内部における池田大作への行き過ぎた崇拝と宗門蔑視の体質が改まっていないことが問題となり、さらに法華講連合会から池田大作に対して法華講総講頭の辞任が勧告され、同年四月、池田大作は一切の責任を取って法華講総講頭と創価学会会長を辞任した。これを受けて日達上人は、創価学会の宗門軽視に関する一連の考えは間違いであり、それを反省し改め、あくまでも信徒団体として日蓮正宗の教義を守り、宗門を外護して広宣流布に邁進することを大前提に、宗門と学会との和合のための大道を示されたのである。
また日達上人は、昭和五十四年五月二十九日の第二十一回寺族同心会大会において、
「大御本尊様を偽作した者を完全に処罰できぬは謗法行為以外の何物でもない」
との疑難に対して、
「いつ学会が御本尊を偽作しましたか。偽作というのは、似たような御本尊を書いて出したものが偽作であります。学会は正宗の御本尊を、模刻はしたけれども偽作はしていません。(中略)それを『完全に処罰出来ぬは』と言いますが、そのことは、こちらが許可していない分は取り上げて注意をしました」(日達上人全集二‐七‐三四〇)
と御指南され、七体の模刻本尊を納めさせて創価学会の御本尊問題を一切収束されたことを示された。このように、学会本部安置の板御本尊と、他の七体の模刻本尊については、事実経過が全く異なるが、しかし、最終的に、創価学会による本尊模刻問題のすべてについて、許され収束遊ばされたのは、日達上人にあられたのである。
このような経緯のなか、日達上人には昭和五十四年七月二十二日に御遷化遊ばされたが、日顕上人は御登座以来、この日達上人の敷かれた創価学会に対する善導和合路線をそのまま継承され、学会による板本尊模刻の問題についても、すべて日達上人が収束遊ばされた処置を引き継がれたのである。したがって、御法主日顕上人猊下の昭和五十五年四月六日の御代替奉告法要におけるお言葉、同年七月四日の全国教師指導会における御指南、また同年十一月三日の『宗内檀徒の皆さんへ』の御指南は、すべてその延長線上にあるのであり、日顕上人が創価学会の本尊模刻問題を闇の向こうに葬り封印した≠フでは決してない。
また、昭和五十四年十月の全国宗務支院長会議において日顕上人が、
「本山をお守りし、そして総本山の灯燭をお守りしていてくれるのは、実質的に学会員なのです」(大日蓮四〇五‐一四)
と仰せになったことを、貴殿らは法義よりも経済優先の営利主義≠ニ愚弄している。しかし、当時は創価学会が真摯な反省の姿勢を示していた時期であり、登山参詣により総本山の灯燭を守っていくことが仏法護持の上からは大事なことを、日顕上人は御指南遊ばされたのである。しかも、このお言葉の直前には、
「『もしも信仰的に創価学会が独立するというのならば、独立してもらえば良い』ということです。そのときには我々は、法主が陣頭に立って、徹底的に創価学会の全体を折伏して、改めて大折伏戦を日蓮正宗から展開すれば良い。そのときは、多くの人が、直ちに改めて日蓮正宗に入ってくるでしょう」(同)
と御指南されている。貴殿らは、このようなお言葉があることを故意に隠し、日顕上人が営利主義に走って法の正邪をないがしろにしたかのように誹謗することは、まさに不誠実の極みというべきであるとともに、あくまで仏法者の慈悲の上から、創価学会の反省・懺悔を信じられ、創価学会に対する善導和合路線を敷かれた日達上人をも侮蔑するものである。
創価学会破門後の今日、宗門として本尊模刻を問題にすることについて、御法主日顕上人猊下は、第四十一回全国教師講習会において、
「本尊の説明にしても、『妙法蓮華経は宇宙に実在する法だ』というように言っており(中略)池田大作の説明は、大聖人様を無視し、御本尊を蔑ろにし、法を破っておるわけです。やはり、このようなところから本尊の模刻があったともいえるわけです。この件については実に重大なことでありますし、当時、日達上人が、池田大作がかなりの影響力を持つ指導者であることなど、種々の状況を鑑みられて、最終的に『これ以上、触れてはならない』と仰せになっているけれども、今日、ここに至れば、御本仏大聖人の仏智を無視した、池田大作の本尊観から、本尊模刻という形も出たということは申し上げておきます」(大日蓮五六一‐四〇)
と御指南されている。このように、日達上人が本尊模刻に関する問題を収束されたのは、当時の種々の状況を鑑みられてのことであった。しかし現在は、創価学会が謗法路線を鮮明にするようになったのであるから、宗門として学会の無反省体質を指摘し、「本尊模刻問題」が池田の本尊観の狂いと学会の体質によることを指摘するのは当然である。
このことは、継命新聞社の発刊した『本尊模刻事件のすべて』において原島嵩氏が、
「本当は日達上人は、『本尊模刻問題を出すときは学会を破門にするときだ』というお気持ちであられたのです。そううかがっております。本尊模刻は謗法の最たるものです。それを敢えて日達上人はお許しくださったのです」(該書二三)
と証言しているとおり、日達上人も、創価学会が信徒団体としての信仰を持つことを前提とした上で、本尊模刻問題をお許しになられたのであり、反対に三宝破壊の大謗法団体と成り下がった創価学会に対する宗門の厳然たる対応は、模刻本尊の件も含めて、すべてが日達上人のなされた処置に叶っているのである。
また、平成五年九月十九日の栃木布教区御親教における日顕上人のお言葉は、同年の九月七日に創価学会が『ニセ本尊』の作製を発表した直後のものである。
さらに九月十五日付『聖教新聞』に、「人類の夜明け『創価の世紀』の開幕」と題する座談会記事が掲載されたが、その中で辻武寿は、
「あの御本尊の謹刻は、当時、間違いなく日達上人の了解も得たうえで謹刻したものなのです」
と述べ、この発言を受けた秋谷栄之助は、
「昭和四十九年に、学会は創価学会常住の御本尊はじめ数体の御本尊を、将来にわたり大切にお守りするために板御本尊に謹刻させていただきたいと、時の日達上人に願い出たのです」
と述べた。さらに原田稔は、七体の模刻本尊を総本山に納めたことについて、
「日達上人の娘婿で学会との折衝役になった大宣寺の菅野慈雲から、『猊下は活動家僧侶との板挟みで、学会を守るために苦しんでいる。猊下の立場を考えて、板御本尊については、本山に納めてくれないか。そうしてくれれば、問題はすべて収まるから』という趣旨の話があったのです。(中略)ゆえに日達上人を守るために、学会常住以外の七体の板御本尊を本山に納めたわけです」
などと述べている。
 このような状況にあって、御法主日顕上人猊下は、厳粛なる御判断により、創価学会が最早謗法団体と確定した以上、過去に無断で本尊の模刻が行われたという厳然たる事実を述べられたまでである。
これについては、平成五年十月一日付で日蓮正宗宗務院から、
「学会が、当時、本部常住の御本尊を、総本山に正式に願い出ないまま模刻し、また、それ以外の七体の御本尊を、宗門に無断で模刻した上、各地の会館に安置したことは、まぎれもない事実であります。
 今回、池田創価学会は、本部常住の御本尊模刻事件と、他の七体の御本尊模刻事件の経緯を故意に混乱させ、『学会からの願い出を日達上人が失念した』『日達上人を守る為に宗門からの申し出に従って総本山に納めた』等と、スリ替え・捏造をもって、全ての責任を日達上人に転嫁しようとしているのです。
 尚、当時の状況を熟知している大宣寺・菅野慈雲師が、法華講東京第二地方部東京総決起大会において、実際の経緯について発言されております(平成四年四月一日付『大白法』掲載)ので、御参考までに、お知らせいたします」(大日蓮五七三‐一六)
との『お知らせ』が出されていることからもわかるように、学会が自らの誤りを棚に上げ、本尊模刻事件についての処置は、一切が日達上人に責任があるかのような無慙な言い方をするに及んで、御法主日顕上人猊下が御先師をお守り申し上げるために真実を明かされたものである。不知恩・無慙な貴殿ら自称正信会の者には、御法主日顕上人猊下の広大にして謹厳なる御境界など拝せるはずもなかろう。

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