自称冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛の悪書
       最後に申すべき事≠砕破す



五、第四章 謗法与同を破す≠ニの暴言を破折す

 汝は当章において、謗法与同≠ニの見出しをつけ、宗外の人間が総本山を見学したことを取り上げ、鬼の首を取ったかのようにはしゃいでいる。これらの汝の下らぬ疑難の情報源は、創価新報や怪文書等の創価学会の謀略報道であり、すべてが創価学会の二番煎じである。ここにも宗門誹謗のためには手段を選ばない汝の無節操且つ破廉恥な性根が露見している。
 また汝は池田はあらゆる手段を使って汝を猊座から引きずり降ろさんとした。ここに不安を感じた汝は、身延派とも手を結び、反学会共闘を策したのである≠ニ言う。これも何の根拠もない勝手な作り話である。日顕上人がいつどこで身延派と手を結んだのか。そのような事実はまったく無く、当然ながらその必要もない。このような事実無根の話をさも事実であるかのように騙(かた)るところに汝のたばかり癖が露見しているのだ。


1、布教師会一行の件≠破す

 汝は他宗他門の人間が大石寺を見学したことにつき、当「悪書」でも再び誹謗している。しかし、それは前回当方より破折され、返答不能となった部分については完全に無視した戯言にすぎない。
 汝は先に我らが、
小川理事が日蓮宗の僧侶を案内した経緯はなく、内事部職員が案内したのである
と答えたことに対し、何と姑息な言い逃れその案内人の特定だが、仮に「内事部職員」だとしても、上司の指示なくして一職員が案内をするわけがない。その上司とは内事部理事の小川只道であり、さらにその小川に指示したのは汝ということになる。しかし「内事部職員」というのも苦しまぎれの嘘である≠ネどというが、当方はあくまで事実を記したまでのことである。他宗他門の人間に見学を許可することは一切衆生救済の上からも当然のことであり、苦しまぎれの嘘≠つく必要など毛頭ない。
 むしろ他宗他門の者が大石寺を見学することを謗法与同≠ニ誣(し)いる汝の言こそ、道理を無視した暴論と言わざるを得ない。教えておくが、汝が本宗の信徒であったはるか以前から、一般の見学は許されているのである。汝の言は、極めて無慈悲な邪見であると呵しておく。したがって汝のさらにその小川に指示したのは汝ということになる≠ネどという言は、方向違いの邪難にすぎない。
 また、だれが案内したのかが問題ではない。身延の謗法僧を招いたかどうかこそが問題なのである≠ネどと、あたかも大石寺として身延派の僧侶を招待したかのごとく誹謗するが、この汝の言自体が誑言である。前にも教えたように、大石寺はあくまで見学の要請に応じたまでであり、こちらから招いたことなどまったくない。
 もとより総本山大石寺の境内は、宗旨を問わず見学することが許可されている。それは近年に始まったことではなく、大石寺は昔より、一切衆生を順逆ともに御本尊に下種結縁させんとしてきたことによるのだ。したがって日蓮正宗の各寺院に於ても御本尊は常に御開帳され、御不敬がない限りに於て、あらゆる人の参詣を可としている。故に大石寺においても、この理由によって宗旨を問わず見学を許可しているのである。ただし、近年、大石寺境内において、汝らをはじめ、異流義の謗法者による嫌がらせの事件が続出した。顛倒した悩乱者が御本尊をはじめ、山内の僧侶や参詣者に危害を加える可能性も否めないため、厳重に警備を行っているのである。
 また汝は礼状の内容についても汝は嘘をつく≠ニいう。言い掛かりもいいかげんにせよ。以前にも述べたように、この手紙は、身延派一行が大石寺を見学した後に謝礼を届けてきたことに対し、謗法厳誡の宗是の上から謝絶する意味において、一般世間の常識をもって丁重に断るために出した手紙にすぎない。このような行為は社会通念に照らしても当然のやりとりである。汝はその一部分を取り上げて、身延の謗法僧どもを「温かな気持ちで御案内申し上げることができたことを感謝して」いるのだ≠ネどと難癖をつけるが、これは外交辞令の上の筆の運びに過ぎず、この言辞を以って謗法とするにはあたらない。監禁・脅迫めいた反社会的な行動を繰り返し、もはや世間の常識が通用しない汝ら顕正会には、このような常識的な行為を説明しても納得できないのであろう。汝は低劣な文章を恥ずかしげもなく羅列する前に、まず人間としての常識を一から学び直すべきである。


2、田中日淳一行の件≠破す

 また汝はなぜ、戒壇の大御本尊の敵を見ながらこれを責めないのか、ということが重大なのだ。大聖人の仰せのごとくんば、まさしく「師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし」そのものではないか≠ネどというが笑止千万である。謗法を責めるどころか、責めるべき対象である大謗法団体・創価学会を容認し、これと共存しているのは汝ではないか。そのほとんどが創価学会の捏造記事を根拠にした汝の誹謗こそ、まさしく同じ穴の狢(むじな)である証拠なのだ。宗門誹謗のためであれば、その内容の信憑性などお構いなしに利用する汝の所業こそ、まさしく「師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし」そのもの≠ニ知るべきである。
 前述のように基本的に大石寺の見学は誰にでも認められていることである。したがって、このような場合、あくまで正法に結縁させることを第一とする意味において、四悉檀の上から対応すべきことは当然である。よって、その案内においては、堂宇の歴史、本尊奉安形式の説明など、大聖人の仏法を奉ずる寺院の本来あるべき姿を示し、もって大石寺こそが日蓮大聖人の正統であることを説示したのである。
 また汝はあろうことか本宗の能化であり参議会議長の要職にある者が、袈裟衣を着けた正装で出迎えた上≠ネどと、高野能化が法衣で案内されたことに難癖をつけているが、普段、色袈裟を身にまとい、時機不相応の法衣を着す身延派の見学者に、天魔も恐れをなす本宗の薄墨の衣・白五条の袈裟の姿を見せることは、そのまま折伏の姿ではないか。日寛上人の『当家三衣抄』にある、本宗の薄墨・素絹五条の意義を拝せば、法衣を着用した上で他宗の見学者を案内することは、謗法与同などではなく、むしろ折伏の方軌に適った所作であることは明白である。


3、山崎正友の大謗法≠破す

 また汝は山崎正友氏の講演活動と身延僧の大石寺見学を強引に結びつけ、身延僧の大石寺参拝を、蔭でお膳立てしたのが山崎正友である汝は学会との抗争にこの男を利用しようと誘い、対学会の謀略活動に従事させた汝から身延との仲介役を任され≠ネどと、あたかも日顕上人の命によって山崎氏が講演したかのごとく邪推する。これも他の疑難と同様、何の根拠もない架空の話である。念のために教えておくが、山崎氏の各所における講演が日顕上人の命によるものでないことは山崎氏の、「私は、恐れ多くも猊下の意を賜って身延派工作をしたことなど一度もありません。当時は、何宗の人に限らず、私から創価学会の実態が聞きたいと、招きがあれば、分け隔てなく出かけたのです。それは、創価学会問題を全国民に訴えるために、これに応じたのです」との説明により明らかである。
 先にも挙げたが、汝の身延派とも手を結び、反学会共闘を策した≠ニの言はまったくの虚言である。なぜ日顕上人が五老門流の身延派と手を結び共闘≠キる必要があるのか。日顕上人の謗法団体と化した創価学会への破折は、唯授一人血脈相承を継承されるお立場より厳然と行われているのである。当然ながら身延派の手を借りる必要などまったくなく、それはこれまでの経過を見れば明らかであろう。本宗においては汝のように他教団の記事を丸写しするような卑怯なマネは絶対にしないと告げておく。
 汝は身延謗法僧の大石寺参拝を許したのが「古来の慣例」とは何ごとか。富士大石寺は、日興上人の「檀那の社参物詣でを禁ずべし。何に況んや其の器にして、一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや。返す返すも口惜しき次第なり。是れ全く己義に非ず、経文御抄等に任す云々」の御遺誡を堅く守って来た唯一の正系門家である。信徒の社参物詣ですら禁じて来た宗門が、どうして謗法僧などの参拝を許そうか≠ニ知ったかぶりをしているが、思い違いも甚だしい。この御開山日興上人の御指南は、信仰者としての振る舞いの上から神社等の邪宗の施設に「参詣」することを禁じられた御教示である。しかし、本宗の僧俗でも時に学問の研鑽のため、また見聞を広げるために他宗寺院に見学に行くことを可とする場合も存するのである。すなわち第九世日有上人は、
学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤め行事をなし、又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云。(化儀抄・日蓮正宗聖典九八三頁)
但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失あり云云。(同九八七頁)
と御指南され、修学僧は学問修行においては他宗の勤行をし、他宗の法衣を着することをも可とされている。また僧俗を問わず信仰的な参拝でなければ、他宗の寺社を見学することも可とされているのであり、それは日興上人が禁じられた邪宗寺社への参詣には当たらず、謗法とはならない。また逆に、他宗の僧侶が見学を申し出てきた場合にこれを許可することは、他宗の僧侶も含め一切衆生を正法に結縁させる上からも当然のことである。
 故に日有上人は、
法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供(さんぐ)まいらせ花を捧ぐる事有り之れを制すべからず(同九九三頁)
と他宗他門の輩が参詣した際の対処について御指南されているのである。これは取りも直さず、日有上人当時に他宗他門の輩の参詣があったことの明証であり、これこそが「古来の慣習」であることを教えておく。
 また汝は佐藤ですら「過去頑迷なまでに他宗に門戸を開かなかった大石寺」といっているではないか。これが大石寺の清浄な伝統だったのである。しかるに汝の堕落は、身延の謗法僧にまで「連帯感」を懐かせたのだ。≠ネどと佐藤順映氏の参拝記≠挙げている。まず汝はこの佐藤氏ら一行が大石寺を見学したことを公式参拝を許された≠ネどとたばかるが、しかし見学者一行の服装が私服であることが、これが単なる見学であることを証明している。しかも堂内での読経等も一切しておらず、これを公式参拝≠ネどというのは汝お得意の嘘言である。
 また過去頑迷なまでに他宗に門戸を開かなかった大石寺≠ニは、あくまで佐藤氏の主観的な感想であって、大石寺では古来、他宗の人に門戸を開かなかったことなどない。先に挙げた日有上人の『化儀抄』からも明らかなように、どのような立場の人でも、一切衆生を救済する上から唯一正統たる大聖人の仏法に縁をさせるべく、大きく門戸を開いてきたのである。
 大石寺では七百年来、謗法厳誡の姿勢を片時も崩したことはない。その謗法に対する厳格なまでの姿勢が佐藤氏の過去頑迷なまでに他宗に門戸を開かなかった大石寺≠ニの認識を生んだのであろう。しかしながら、それはあくまで謗法を厳禁とした大石寺本末としての意識であり、現在でも寸分たりとも変わってはいない。汝への破折もその一端である。それと、一切衆生に「来るを拒まず」の精神で対応することとは少しも矛盾しないのである。
 それにしても一人の見学者の主観的意見を根拠に、ここまで妄想を逞(たくま)しくするとは呆(あき)れたものである。汝の誹謗がいかに的外れであるかが一目瞭然である。汝ごとき門外漢が大石寺の清浄な伝統≠軽々しく論じること自体憚(はばか)るべきである。
 
 また汝は、本年三月に、創価学会の謀略報道を根拠に、山崎氏が日蓮宗の僧侶に「板本尊偽作論」をもっと掘り下げて研究しろと嗾(けしか)けたかのごとく、的外れな難癖をつけてきたが、当方はその真相について、山崎氏本人から当時の状況を確認した上で、汝の誤りを指摘した。すなわち、汝が手本とした創価学会の謀略報道は、『日蓮宗新聞』の不正確な記事を根拠とし、一信徒である山崎氏と日顕上人が深く関わっていると邪推した上で、日顕上人誹謗の材料としている。しかし、そのどれもが単なる言いがかりであり、汝はその尻馬に乗っているに過ぎないのである。
 汝は平成六年十二月六日の日蓮宗京浜教区教化会議における山崎氏の講演を取り上げ、「『板本尊偽作論』もその後の掘り下げがありません。これから本腰を入れて取り組んでほしい」と身延僧に戒壇の大御本尊攻撃を嗾けたのである≠ニいう。
 その発言について山崎氏に確認したところ、氏から書面をもって返答があり、そこには、
『板本尊偽作論』は、日蓮正宗からさんざんに破折されたばかりか、名誉毀損でも訴えられて安永弁哲が破れ、以来、日蓮宗においてもタブー視されています。そのことに触れた上で、私はなぜ名誉毀損となったのか、なぜ日蓮正宗側の破折でぼろぼろにされたのか、そのことをあらためて、きちんと掘り下げて研究するべきだ、と苦言を呈したのです
と記されている。この言葉からも明らかなように、山崎氏は『板本尊偽作論』自体を掘り下げるべきだと会場を煽ったのではなく、なぜ日蓮宗側が破折に負けたのか、そのことを掘り下げて研究すべきであるということを指摘したのである。『日蓮宗新聞』の記事ではこの辺りの詳細が省略され、一部分だけが記事になり、誤解を生じたまでのことであり、山崎氏は「恐れ多くも猊下の意を賜って身延派工作をしたことなど一度もありません」と同書面において証言し、戒壇の大御本尊への絶対の信心と、御法主上人猊下への信伏随従を誓っているのである。
 ことに、謗法与同と連呼する汝が、臆面もなく謗法である身延日蓮宗の報道記事を何の疑いもなく信用し、宗門攻撃の材料としている姿を矛盾といわずして何といおうか。実に滑稽という他ない。
 また汝はこれを読めば、嘘がよくわかろう。まず質問内容をごまかしている。質問は「小樽問答」についてであって安永弁哲の「板本尊偽作論」についてではない≠ニいう。しかし、山崎氏は同書面に、
講演の後の質疑の中で「小樽法論」と「板本尊偽作論」についてどう思うかとの質問がありましたので(質問した人は「現代宗教研究所」の主任であったと思います)」「事前の現代宗教研究所関係者との話では、「小樽法論」については、日蓮宗として法論したのではない、地方の僧侶が勝手にやったことだ、「板本尊偽作論」については、著者の安永弁哲自体がいい加減な僧侶で、日蓮宗を代表する僧侶ではないというのが宗内の一般的な認識ということを聞きましたので、私は「それは卑怯な逃げ口上ではないですか。いやしくも法義についての論争ですからもっと真摯に取り組むべきではないですか」と言ったのです。すると、「確かに日蓮宗内での認識は甘すぎる、どうか思いきって、その宗教者としての姿勢を批判して彼らの目を覚まさせてやってください」とまで言われたため、あえて率直に述べたものです
と記している。
 このように、この講演での山崎氏への質問内容は、日蓮宗新聞で掲載された内容では「小樽問答」のみが掲載されたが、事実としては「小樽問答」と「板本尊偽作論」の二つについての質問があったのであり、実際の内容すべてが掲載されたわけではないのである。当方は汝と違って少しもごまかしなどしていないのであり、汝の言こそ荒唐無稽の作り話であることは明々白々ではないか。
 また汝は安永弁哲の「板本尊偽作論」をさらに発展させ、戒壇の大御本尊を攻撃せよ≠ニ嗾けているのだ。だから身延僧の「拍手」を受けているのではないか≠ネどと、会場での拍手があたかも大御本尊への攻撃を嗾けたことに対してされたかのごとくいうが、これも汝のたばかりである。前述のごとく、山崎氏の発言は戒壇の大御本尊を否定したものではない。この「拍手」は「創価学会を解散させるためにお互いにがんばりましょう」との発言の後で受けたものであることからも明らかなように、一社会人として社会に蔓延る創価学会の邪悪な実態を糾弾してほしいとの山崎氏の呼びかけに呼応した拍手であったのであり、汝の邪推するような、戒壇の大御本尊の攻撃を協力する意味で起こった拍手ではない。たばかるな昭衛。汝は節操が無いにも程がある。

 また汝は、創価学会の誹謗記事の受け売りそのままに、山崎はこの講演の翌平成七年の六月六日、大石寺で汝と会って謀議を巡らせたのち、同月二十四日には「国際正法協会」なる邪教の講演会に出席し≠ネどというが、まず、御法主上人と山崎正友氏が謀議を巡らせた≠アとなどまったくの事実無根である。「講釈師、見てきたような嘘をいい」とはまさにこのことだ。ためにする怪文書の内容を何の疑いもなく利用するとは何たる恥知らず。汝昭衛よ恥を知れ。
 また汝は、山崎氏が「国際正法協会」の講演会において「私は教団組織にとらわれず、自由な立場で活動している。日蓮正宗に対しても同様。正法協会に入会はしていない。ただし園頭先生は師匠で、私は弟子だ」≠ニの発言に関して難癖をつけている。
 この山崎氏の発言とされた内容について、当事者である山崎氏に事の真相を確認したところ、おおよそ次のようなことであった。
 当時、山崎氏はこの発言中にもあるように、社会の根源悪である創価学会の実体を一人でも多くの人に知ってもらうために、組織や教団にとらわれることなく、自由な立場において講演活動をしており、国際正法協会での講演もその一環であった。この会の主宰者である園頭氏に対して山崎氏は、あらかじめ自分は日蓮正宗の信仰をしていること、そして宗教上の理念は別にして、あくまで創価学会を糾弾する立場においてのみ協力をしていくことを確認しているのである。
 この講演で発言したとされる園頭先生は師匠で、私は弟子だ≠ニの山崎氏の言は、なにも園頭氏と実際に師弟の契約をしたのではなく、あくまで園頭氏が山崎氏より年長者であり、また一般的な学問における心理学等にも詳しく、その分野に於て長けていることを讃える意味に於て、このように表現したまでであり、当然ながら宗教上のつき合いはまったくないとのことである。
 それを示すように、平成七年七月、園頭氏が自著の中で、「大石寺では蓮華往生が行われていた」との過去の今東光による宗門誹謗の内容に言及したことについて、山崎氏自らが園頭氏に謝罪訂正を要求した事実がある。園頭氏はそれに応じる形で謝罪文を作成し送付しているのである。山崎氏の活動は対外的な立場における創価学会に対する糾弾の範籌に止まるものであり、汝が指摘するような謗法与同などでは決してない。
 次に汝は、昭和六十年三月の非教師指導会における日顕上人のお言葉を取り上げ、池田との抗争に陥るや、この「大嘘つき」に対し、「あの時はウソツキと言って悪かった」と詫び、身延派との仲介までさせたのである。≠ニ誹謗するが、ここに事実の経過を述べておく。
昭和五十四年九月十日、池田大作は原島嵩氏に対して、「日達上人と現猊下と比較すれば、日達上人の方が信心があった。現猊下の方が信心がない」との暴言を吐き、この発言を原島氏から聞いた山崎氏は、数日後、日顕上人にお目通りした際、この池田大作の放言について報告をしたのである。ところが九月十七日、日顕上人にお目通りした池田大作は、この発言についての日顕上人からの質問に対して、詭弁を弄して全面否定した。それによって日顕上人は池田の発言を一応信用され、「あなたは大嘘つきである」と山崎氏に告げられたのである。
 その後、平成三年一月になり、前年暮れより惹起した学会問題の中にあって、山崎氏は日顕上人に届けられていた。そのような状況の中で、日顕上人は山崎氏に対して、「五十四年の夏、山崎さんに大嘘つきだ≠ニ言ってしまったが、嘘をついていたのは池田大作の方だった。山崎さんには申し訳のないことをしたので、その点についてお詫びの意を伝えて欲しい」と宗内僧侶に伝言を託されたのである。(今はじめて語るあの頃の真実史%四〜二八、五五〜五七頁 取意)

 日顕上人は昭和五十四年当時、山崎氏に対して誤解されていたことを遺憾とされたのであり、人道的な立場から正直なお振る舞いをなされたまでである。
 また、汝はここでも身延派との仲介役をさせた≠ネどと山崎氏の活動が、あたかも御法主上人の意向を受けた行動であるかのごとき虚言を繰り返す。いっておくが、御法主上人におかれては、御開山日興上人と同様、謗法の限りを尽くす身延派と行動を共にしようなどという御意向など金輪際あられない。よって仲介≠依頼する必要などまったくないのである。
 汝は許し難いこと≠ニして、日顕上人が「戒壇の大御本尊を攻撃せよ」と身延の邪僧に嗾けた大謗法者≠ナある山崎氏を、重く用いている≠ネどと誹謗するが、これも汝の悪辣な欺瞞であることは既に証明したことからも明らかであろう。山崎氏は戒壇の大御本尊を攻撃せよ≠ネどと発言したことなどなく、汝がいうような大謗法者ではないのである。
 また日顕上人と山崎氏の関係は、「一宗を董される御法主上人」と「一法華講員」である。他の法華講員と同様であって特別重用されてはいない。汝は事実とはかけ離れた与太話を妄信する前に、これらの創価学会の捏造記事の信憑性を疑うことの方が先決である。


ホーム    目  次     次  頁     前  頁