自称冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛の悪書
       最後に申すべき事≠砕破す



 六、結章 最後に申すべき事≠ネる愚言を破折す

汝は、結章 最後に申すべき事≠ニして、御法主日顕上人猊下に対し、さらに許されざる謗言を重ねている。
曰く、三大謗法国立戒壇に安置し奉るべき戒壇の大御本尊国立戒壇を抹殺するための正本堂身延派悪侶を霊地に招き入れ河辺慈篤への大悪言≠ニ。
これらの汝の誹謗がすべてたばかり≠ナあることは、これまでに我らが行った破折により明白である。よって汝が、御法主上人を信なき汝≠ネどと誹謗することは決して許されないことを告げておく。


 1、一、直ちに不敬冒涜の御開扉を中止せよ≠ニの驕慢極まる横言を破す

汝は総本山五十九世日亨上人の『富士日興上人詳伝』における、
開山上人は、これを弘安二年に密附せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代(中古)からか、遠き広布を待ちかねて特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となったのは、もったいない事であるから、四十余年前には、有名な某居士が懇願して月一回という事にもなったが、永続しなかった。(二七七頁)
との仰せの一部を引き、本門戒壇の大御本尊は、広布の暁の国立戒壇に始めてお出ましになる大御本尊であれば、それまでは秘蔵厳護し奉るというのが、本宗の伝統であった途中から、遠き広布を待ちかねての、特縁・強信による「内拝」がやむなきにいたった≠ニ述べ、さらにこの「内拝」と、汝がいま強行している「御開扉」とは、その精神において天地の差がある。汝が行なっている「御開扉」とは、戒壇の大御本尊を利用し奉っての金儲けである≠ニ誹謗する。
しかしかかる汝の言い分が、無懺極まる謗言であることは言うまでもない。汝の言う金儲け≠フ御開扉≠ニは一体、いつからのことをいうのだ。奉安堂が建立されて以後のことか。それ以前からか。もし奉安堂以後というなら、正本堂の時にはどうなのか。また正本堂の時からというなら、御当代日顕上人の代からか、御先師日達上人の代からか。もし日顕上人の代からと言うならその理由は何か。日達上人の代からと言うなら、日淳上人・日昇上人の代の御開扉も金儲け≠セったというのか。いい加減なことを言うものではない。
 日亨上人は「内拝のやむなきにいたり、ついに今日のごとき常例となった」と、御戒壇様を御開扉奉ることは恐れ多いことではあるが、信徒の謗法罪障消滅の願い断りがたく、今日では御開扉は日常的に行われるようになったと仰せられているのである。別に今日の常例となった御開扉を金儲け≠セから止めよ、などとはけっして仰せられてはいない。むしろ今日の御開扉のあり方を認めておられるのである。日寛上人も、
未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ。(寿量品談義・富要十巻一三一頁)


日寛上人『寿量品談義』(御真筆)
日寛上人も本門戒壇の大御本尊への登山参詣を勧められている

と御指南され、登山して、戒壇の大御本尊の大功徳に浴すべきことを勧めておられる。浅井昭衛、汝自身、今日の常例となった御開扉を何度もお受けしたではないか。しかも汝は、正本堂建立以後でさえ、昭和四十八年五月と四十九年四月の二度にわたり、許されなかったといえ、「御開扉」を願っていたではないか。それを金儲け収入の手段≠ニ誹謗するとは何事か。この罰当たりめ。
 つぎに汝は、日顕上人がいかにも金儲け主義でもあるかのように昭和五十四年、猊座についたばかりの汝が西片で、「猊座についたら、途端にカネがゴロゴロ転がり込んでくるようになった」と述べていたことは、宗内で
広く知られている
≠ニ誹謗する。こんな下らない話を宗内の者は誰もまともに相手にしない。所詮は異流義謗法の正信会から出た与太話であり、汝の誣言は、その猿まねに過ぎないのだ。
 またさらに同年十月の全国宗務支院長会議における、
毎日何千人と来る登山会の、その内の九十パーセント以上が学会員です。本山をお守りし、そして総本山の灯燭をお守りしていてくれるのは、実質的に学会員なのです。(大日蓮昭和五十四年十一月号一四頁)
との御指南を取り上げ、学会員こそ本山にとって大切な上得意だから疎略に扱ってはいけないと、訓辞している≠ネどというが、これも切り文の悪言である。
 当時の宗門は御先師日達上人が昭和五十四年五月三日、創価学会の反省懺悔をお認めになって敷かれた、善導和合路線を歩んでいた。御当代日顕上人もこの路線を継承遊ばされたが、これに反対して宗内の秩序を乱し始めたのが活動家僧侶達(後の正信会)であった。かかる時節において、宗務支院長に対し、本門戒壇の大御本尊まします総本山を、また全宗門を広く外護しているのは創価学会であり、創価学会を教導遊ばされ、反省せしめられた御先師日達上人が敷かれた善導和合路線のもと、宗門が一致団結して広宣流布に邁進するよう御指南遊ばされたものである。その趣旨が僧俗和合広布前進にあられたことは言うまでもない。この御指南を、上得意≠ネどと揶揄する汝は、まさに無道心の者である。
 さらに汝は、平成三年当時、宗門が謗法化した創価学会の登山会を中止したことを、学会が登山会を中止≠ニ偽り、さらにそのことを日蓮正宗信徒である創価学会員に知らせた一般紙による呼びかけを、登山勧誘の広告≠ネどと誹謗する。宗門の信徒を思う慈悲の配慮すら分からないとは、汝こそまさに無慈悲な顕正会経営者である。
 そして平成十四年宗旨建立七百五十年の大佳節における法華講三十万総登山を怨嫉し、実数わずか五万人前後の法華講員員数合わせ御開扉料稼ぎ≠ニ口汚く罵っている。これについては先の二度の破折で詳しく教えておいた筈である。少なくとも問答をする以上、相手の回答をよく読むべきことは小学生でも知っている常識である。何度破折されても懲りることなく、同じ誹謗を繰り返す汝は、小学生以下の鉄面皮な恥知らずである。
またここで汝は、本門戒壇の大御本尊に対して、高性能の爆発物を入手することはさして困難ではない∞安普請の奉安堂では、大規模な天災地夭あるいは核爆発から、大御本尊を守護し奉ることは難しい∞科学技術の粋を集め、瞬時にして地下深く格納し奉ることも可能な、堅牢の「新御宝蔵」を建設し、いかなる事態にも備えなければいけない≠ニ如何にも御戒壇様を心底心配申し上げているような言を吐く。しかしそれほど本門戒壇の大御本尊を恋慕渇仰申し上げているなら、御目通りが叶う信仰に、顕正会員を戻してあげてはどうか。
 勿論、我らは汝ごときに教えられずとも、本門戒壇の大御本尊の御尊体が、かけがえのない尊極無上の法体にましますことは弁えており、大御本尊を厳護し奉ることは、我ら日蓮正宗僧俗の重大な責務である。しかし、奉安堂は東海大地震クラスの何倍もの震度に耐える最新の耐震性能をもつ建築物である。しかも汝は、大御本尊が正本堂から奉安殿へ御遷座された平成十年四月、奉安殿について、
清浄にして堅固なる新奉安殿
いかなる大地震が来ようとも、戒壇の大御本尊様は絶対に御安泰であります。(顕正新聞平成十年四月十五日付)
と述べていたではないか。奉安堂は、奉安殿よりはるかに堅牢な建築物であることはいうまでもない。また汝は高性能の爆発物核爆発≠ネどというが、そのようなことは絶対にないと確信するのが我らの信心である。竜口法難の光り物を見よ。蒙古の二度の襲来における大風をみよ。末法万年にわたり、御本仏日蓮大聖人の御法魂にまします本門戒壇の大御本尊を諸天善神が必ず守護することは疑う余地はないのである。
 先の二度にわたる回答でも教えたが、汝にもう一度教えておこう。去る平成十四年宗旨建立七百五十年の年、十月十二日、奉安堂は落慶大法要を迎え、次の十三日は落慶記念大法要の初日であった。まるまるこの二日間にわたり、総本山は一片の浮雲すらない、真実の青天白日となった。総本山に長く居住する僧俗も、このようなことは未聞未見であると話している。たしかに快晴が二日続くことはあろう。しかし何処かに一片の小雲は見られるものである。これまさに本門戒壇の大御本尊が、奉安堂の建立を御受納遊ばされ、諸天善神が慶賀の意を表したものに他ならない。
 そして汝は結論として、近き広布のその日まで御開扉の中止≠せよと迫るのである。この言もかつて破折してあるからよく読み返すがよい。汝は近き広布≠ニいうが、一体その広宣流布は誰がするのか。大謗法の先達たる汝に率いられた堕獄決定の顕正会では広宣流布はできない。我が日蓮正宗僧俗こそが今日、僧俗和合の真の広宣流布への道を大前進していることは既に汝に教えてある。また近き広布≠ニは何時のことか。末法五濁悪世の闇は深い。一人一人の国民に丁寧に仏法の道理を教え、破邪顕正の折伏を行うことは、長期間を要する命懸けの行業である。近き≠ネどとたばかるなかれ。汝のたばかり≠ヘ、御開扉を受けられぬ顕正会員をごまかす手段に過ぎまい。
 もし広宣流布のその日まで御開扉が受けられないとすれば、今後ほとんどの本宗への新入信者は、一度も大御本尊にお目通りすることができぬまま臨終を迎えることとなる。御開扉が許され、御戒壇様の広大無辺の大功徳に浴し、その歓喜で一閻浮提に折伏も進むのである。血脈付法の御法主上人の権能である御開扉は、汝ごとき謗法者の容喙を許さぬ尊極の化儀であると知れ。


堅牢の奉安堂と富士山


 2、二、速やかに退座し謹慎せよ≠ニの驕慢極まる悪言を破す

 汝は御法主日顕上人猊下に対し、速やかに退座し謹慎せよ≠ニ、驕慢極まる悪言を吐く。汝の御法主日顕上人に対して犯した汝の三悪言の罪業が、いかに深く重いものか、これまでの破折をよく読むがよい。重ねて教えよう。御法主日顕上人は御登座以来の御化導により、汝ら異流義を払拭して祖道を恢復遊ばされ、本門戒壇の大御本尊に対し奉る深い信仰をもって奉安堂を建立申し上げ、御本仏一期の御遺命たる一天四海広宣流布達成に向かって、僧俗和合異体同心し、謗法破折の大前進を開始遊ばされたのである。汝ごときに、御法主日顕上人の広大な御胸中は微塵も察することはできまい。
 もし汝が、これまでの御法主上人に対する誹謗を至心に懺悔しなければ、不軽軽毀の衆のごとく堕在無間は疑いないと呵しておく。
汝の罪は、御法主日顕上人誹謗に止まらない。汝は御先師日達上人に対しても、細井前管長の臨終を見よ貫首の最大の責務たる御相承もなし得なかったこの頓死たとえ時の貫首であっても、御遺命に背くなら忽ちに貫首の徳を失う。ゆえに御相承の「授」が叶わなかった≠ネどと誹謗し、一方で、また汝は、より深く御遺命に背いている。ゆえに「受」が許されなかった≠ニ御法主日顕上人をも毀呰するのである。
御開山日興上人以来の血脈法水のもと、厳然と令法久住・広宣流布への御化導を遊ばされた両上人に対し、*ウしと血脈相承を否定する。この汝の三宝破壊の罪業の深さはいかばかりか。阿鼻叫喚の苦を恐れよ。
 さらに汝の御法主日顕上人への誹謗は続く。汝は池田大作と心を合わせ、恐れげもなく猊座を簒奪した≠ニ。ところが、この謗言がまったく自語相違の欺瞞であることを、汝は自ら白状している。すなわち昭和五十四年十一月二十六日、汝は御法主日顕上人に対して、
阿部日顕上人には本年七月二十二日管長御就任以来すでに四ヶ月を経られ、その間八月二十一日には訓諭を発布され、また十月八日には宗務院をして宗内僧俗の進むべき方途につき通達せしめられました。(富士昭和五十九年八・九・十月合併号『御遺命守護の戦い』二四〇頁)
云々との書状を呈しているからである。それのみか、今回の平成十七年八月二十七日の当該悪書の最後にも、
日蓮正宗管長 阿部日顕殿
と宛て名している。日蓮正宗において、管長と法主は同一の御方を指すことを汝が知らぬ筈はあるまい。汝はかつて、
ここで、正信会が問題にした阿部管長の相承疑義について触れておく。(中略)非常事態が万一あったとしても、血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない。御本仏の下種仏法は金剛不壊である。法体たる戒壇の大御本尊は厳然としてましまし、金口の相承また厳然である。(学会・宗門抗争の根本原因二二五〜二二六頁)
等と述べ、日顕上人に法主と管長の二つのお立場が具わっていることを明言している。それを承知していながら、*ウしとか、猊座を簒奪≠ネどと、下種仏法の尊極の血脈法水を誹毀讒謗するとは、その罪はまさに消え難い。

 そして汝は、「正信会」や「創価学会」の問題を挙げ、御法主日顕上人をさらに誹謗して、正信会僧侶を次々に宗門追放その数、実に二百余名≠ニ述べ、また創価学会については、大石寺開創七百年法要における「本門寺改称宣言」の約束を反故にした≠スめ、日顕上人と池田大作との抗争が勃発した≠ニするのである。
 正信会について言えば、御先師日達上人より厳然と血脈相承をお受け遊ばされた御法主日顕上人に対し、あろうことか、血脈なしとして「代表役員等地位不存在確認請求事件」を裁判所に訴えたのが正信会僧侶である。先に掲げた汝の言にも非常事態が万一あったとしても、血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない≠ニあるが、御本仏日蓮大聖人からの不断の血脈相承を誹毀讒謗し、下種三宝に敵対したこれらの者が、本宗の教義信仰を破る者として擯斥となったことは当然である。これが不合理な追放の如く汝に映るのは、ひとえにその眼が歪んでいるからだ。
 次に汝は、御法主日顕上人が大石寺開創七百年法要における「本門寺改称宣言」の約束を反故にした≠スめ、抗争が勃発した≠ニする。しかしこの言はまったくの邪推にすぎない。たしかに池田大作は、正本堂を本門寺の戒壇としたいとの邪念を昭和四十七年の建立以来、大石寺開創七百年の平成二年まで、内心に懐き続けてきたであろう。そして、この池田の野望を嗅ぎつけた汝は、当時において盛んに機関誌で騒ぎ立てたのである。
 しかし、汝ごときが騒がずとも、御先師日達上人・御当代日顕上人は、昭和四十七年の正本堂落慶当時から、池田大作の御遺命達成、更には本門寺改称との野望を許さず、また汝の国立戒壇の邪義も認めず、御本仏日蓮大聖人の御遺命を正しく奉じて来られたのであり、始終に渡って、両上人の基本方針にはまったく変化はあられないのである。従って汝の言う「本門寺改称宣言」の約束≠ネどはまったく存在しない。
 故にこそ御法主日顕上人は、総本山大石寺開創七百年慶讃大法要本会の慶讃文において、
仏意ノ明鑑ニ基ク名実共ナル大本門寺ノ寺号公称ハ事ノ戒法ノ本義更ニ未来ニ於テ一天四海ニ光被セラルヘキ妙法流布ノ力作因縁ニ依ルヘシ
と仰せられ、「本門寺改称」は未来広布の暁における大目標であることを御指南遊ばされたのである。約束≠ネどの言は、汝の邪推による架空の産物でしかない。
 池田の平成二年からの御法主日顕上人への背逆は、一つには同年の法華講三万結集の大成功への嫉妬偏執、二つには池田が内心で希望し、当てにしていた大石寺開創七百年における本門寺公称の野望が、慶讃大法要の右慶讃文で空しく潰えたことに対する怒りによるものである。頑迷な汝も少しは実状を見直し、両上人に懺悔せよと呵しておく。
 さらに汝は、御法主日顕上人誹謗の極めつけのつもりであろうが、シアトル事件≠ノ言及する。そして創価学会の弁護団が、嬲るように汝の醜行を克明にあばき、耐えがたき恥辱を与えた≠スめ、怒り心頭に発した汝は、池田が最大の誇りとしていた正本堂をついに打ち壊わしてしまった≠ニ言う。
 誠に汝らしい下司の勘ぐりによる穿ちに穿った作文である。クロウ事件(創価学会はシアトル事件と呼ぶ)は高等裁判所からの強い勧告により、和解となった。ただし、その条件は、当事者双方が、今後、「(クロウ事件に関する)事実の摘示、意見ないし論評の表明をしない」(趣意)という厳しいものであった。ただしそこには、「(宗門側が)事実の存在を単純に否認することは構わない」(趣意)との「追記」が付されていた。この「追記」を見ても、裁判所が如何なる心証を持っていたか、自明ではないか。
 御法主日顕上人猊下には、身に覚えのないことを何と聞かれようと、何の痛痒も感じておられなかったことは、当日の法廷における御振る舞いにより、傍聴者周知の事実である。よって汝の耐えがたき恥辱≠ニか、怒り心頭に発した≠ネどの謗言は、まったくの的はずれの憶測である。
 したがって、汝がいう怒り心頭に発した汝は、池田が最大の誇りとしていた正本堂をついに打ち壊わしてしまった≠ネどの言も、正に噴飯物の誑言である。
 正本堂が解体撤去されることになった真の理由は、発願主池田大作のニセ本尊作製、三宝破壊の大謗法と、それに伴う創価学会員の退転により、正本堂建立時において現出していた、『三大秘法抄』『一期弘法抄』の一分の意義が消滅したことにより、その存在そのものが広宣流布の妨げとなったがためである。
 汝はこの正本堂撤去につき、顕正会をして諫暁せしめ、諸天をして自界叛逆せしめ、ついに正本堂を崩壊せしめ給うた≠ネどと自賛する。しかし正本堂の解体撤去は汝には寸分も関係のないことである。
 それは平成二年大石寺開創七百年の年において創価学会が再度、そして最終的謗法路線に堕落し、時を同じくして熱原法華講衆以来七百年の伝統を受け継ぐ全国の法華講員が立ち上がり、僧俗一致の真の広宣流布への大前進が始まったこと。そしてその中から、不思議なる諸天の計らいにより、大客殿が建て替えられ、さらに正本堂が撤去され、純信な法華講員の信心により、荘厳なる奉安堂が建立されたのである。これまさしく、僧俗一致して真の広宣流布を目指すべしとの御本仏日蓮大聖人の御命ではないか。
 さらに汝は御法主上人を様々に誹謗する。河辺メモの件は既に破折した通りである。また創価学会との裁判の件について、汝は相次いで敗訴≠ニ誣言するが、今日までの全訴訟中、創価学会の勝訴率は二割を切っている。ということは反対に宗門の勝訴率が八割を越えているということである。汝の言がいかに嘘とまやかしであるかが白日のもとに晒された≠ニいえよう。
 また汝は御法主日顕上人猊下に対し、二十六年もの間、「詐称法主」といわれ続け、醜行を暴かれ続け、一国にその恥辱をさらした「貫首」≠ニ許し難い誹謗を行う。だが、御本仏日蓮大聖人は、『開目抄』に、
愚人にほめられたるは第一のはぢなり。(新編五七七頁)
と仰せである。御法主日顕上人は御登座以来、二十七年の間、祖道の恢復、広布への前進、異体同心の確立、の三指針をかかげられ、その実現に全魂を傾けられるとともに、汝ら謗法者からの悪口誹謗を一身に受けられながら、広布の戦いの先頭に立たれ、一宗を教導して来られた。我らは、まさに、師として法華経の行者の御修行を、身をもって僧俗一同にお示し下さった御法主上人猊下と尊敬し奉るものである。
そして最後に汝は早く猊座を退き、謹慎せよ≠ニ謗言を吐く。全くおこがましい限りである。それは醜い怨嫉以外の何物でもない。
 およそ謗法者のすべては、正道正義を示し給う日顕上人が、自己の悪義遂行の邪魔となるために怨嫉誹謗を繰り返すのである。この汝の要求も、まさにその一分の現れである。
 しかし考えても見よ。日蓮正宗の正しい法統を受け継ぎ、あらゆる邪義邪悪を破しつつ正義を顕揚し給う日顕上人が、汝ごとき者の退座要求などに一顧だもされることなどあり得ないのだ。汝の愚かにして大それた退座要求などは眼中におわさないことを銘記せよ
 以上、我ら日蓮正宗青年僧侶邪義破折班は御本仏日蓮大聖人と本門戒壇の大御本尊の御照覧を仰ぎ奉り、血脈付法の御法主日顕上人猊下の下に一結し、本宗正義顕揚のため、汝浅井昭衛の最後に申すべき事≠ネる悪書を徹底して粉砕したことを宣す。

平成十七年十一月七日

           日蓮正宗青年僧侶邪義破折班


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