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    浅井「塔婆は不要!」
    言い訳は学会に倣う                                 ―顕正会―


 春の彼岸が近づいてきた。日蓮正宗では、先祖・故人の追善回向を「塔婆」建立という、最上・最善の方法で供養している。
 この塔婆供養を否定し、回向の意義をねじ伏せる輩が、顕正会の教祖・浅井昭衛である。


      塔婆を廃止した浅井


 顕正会でも、これまで彼岸会や盂蘭盆会など、塔婆(顕正会独自のもの)をもって回向していたが、浅井は昨年より、
「今後は、顕正会においては塔婆は立てない」(顕正新聞平成十六年三月五日号)
と発表した。なぜかならば、
「塔婆は仏法の本義から言って要らない」(同)
からであると述べ、あろうことか、浅井は、
「(日蓮大聖人は)塔婆を立てよ、などとは仰せになっておられない」(同)
などと、廃止の理由を大聖人に託けている。そして今後の追善供養の在り方は、
「毎日の勤行で回向し、彼岸とお盆の時、なお丁寧に回向を行う(取意)」(同)
とし、その一方で宗門で行う塔婆供養を、僧侶の「カネ儲け」「商売」と誹謗している。浅井が塔婆建立を廃止した理由は、わずかこれだけである。


      池田を真似た浅井


 この浅井の言い分を見て、賢明な諸氏なら、もうお気付きだろう。そう、あの極悪集団・創価学会の塔婆に対する誹謗内容と全く同じ、低レベルなものに終始しているのだ。
 浅井センセーはよほど、池田センセーに恋い焦がれているのであろう。池田よ、かつて「題目」を“意匠登録”したように、宗門への誹謗内容も、浅井に真似されぬよう、“知的財産権”として取得しておくか?
 それはさておき、この顕正会の「塔婆廃止論」、新興邪教団体の立場もわきまえず、宗門で行う尊い塔婆供養を「カネ儲け」や「商売」などと蔑んでいることは、断じて許されるべきものではない。


       尊い塔婆の意義


 浅井は、大聖人が「塔婆を立てよ、などとは仰せになっておられない」と言うが、日蓮大聖人は『中興入道御消息』で、
「去りぬる幼子のむすめ御前の十三年に、丈六のそとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば(中略)過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん」(御書 一四三四頁)
と仰せられ、塔婆供養の功徳を説かれている。また同時に、
「此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕はし給へ」(同頁)
とも教示されている。さらに、『草木成仏口決』には、
「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(同 五二二頁)
と仰せられてもいる。


       騙された会員たち


 つまり大聖人は、後代の門弟に対して、法華経の題目を顕した塔婆をもって、回向するよう指示されているのである。その大聖人が御自ら塔婆を建立されたであろうことは、だれにでも想像できることではないか。
 むしろ「大聖人は塔婆を建立されなかった」などという主張こそ、道理に合わない。
 古来、宗門の僧侶は、塔婆供養の尊い意義に則り、その願い出があれば、真心を込めて追善回向をしてきたのである。
 それに対して「カネ儲け」とか「商売」と蔑む浅井は、まさに自らの卑しい根性を露呈しているにすぎない。
 浅井よ、仏法の本義として、塔婆がもともと要らないものであったと言うなら、なぜ、今まで行ってきたのか!
 ならば浅井は、会員が従来建立してきた塔婆の代金を、過去にさかのぼって全申込者に返還し、謝罪するべきであろう。


大白法665(h17.3.16)号より転載



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