(42)


       浅井昭衛の新年ボケを嗤う
                ─顕正会─



      幕引きを謀る浅井


 自称冨士大石寺顕正会会長を名乗る浅井昭衛は、新年早々、
「阿部日顕が、『最後に申すべき事』で止めを刺されたうえに…蒼惶として本山を逃げ出した」(本年一月五日付顕正新聞)
として、日顕上人猊下が退座されたのは、あたかも浅井の駄文によるかの如く喧伝している。全くあきれた能天気ぶりだ。
 これは、浅井が日顕上人に対し、一昨年から執拗に「対決申し入れ」を繰り返してきたのだが、全く相手にされないばかりか、日蓮正宗青年僧侶邪義破折班から、その都度、徹底的に邪義を破折されて、全く面目を失った浅井が、これをごまかすために、日顕上人の御退座にかこつけて、大見得を切っているのである。
 浅井は、これまで日顕上人の御振る舞いを「たばかり」、つまり誑惑と誹謗してきた。しかし、浅井こそが「たばかり」をしているのであり、「対決申し入れ」も猿芝居に過ぎない。これは姑息にも妙観講の大草講頭との法論対決から逃げ回っていることからもうかがえる。要するに法論では勝ち目がないと見た浅井は、その回避策として、日顕上人に対する「対決申し入れ」を性懲りもなく繰り返しているのだ。
 すなわち、浅井の「対決申し入れ」は、御開扉中止・御法主上人御退座と、一謗法在家団体に過ぎない顕正会の解散とを同列に並べるなど、最初から相手にされるはずもない代物である。そんな要求を盛り込むこと自体、この「対決申し入れ」は実現不可能なものであり、法華講との法論から逃げるためだけのものだったのである。


      国立戒壇は田中智学の猿真似


 浅井は、日顕上人に三大謗法があるなどと、三つの悪言をもって誹謗する。その一が「御遺命の破壊」との悪言である。
 浅井の邪義の中心は国立戒壇論だが、それを、日顕上人(当時教学部長)の『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』によって破折されたため、この二書を悪書呼ばわりするのだ。
 しかし浅井の国立戒壇論は、日顕上人が、
「浅井一派の国立戒壇論をざっと摘要すれば、一、国家中心の戒壇建立論(中略)殆んど田中智学の思想の模倣であってその酷似するところ驚くほかはない」(本門事の戒壇の本義 三〇・)
と指摘されているように、その思想自体が田中智学と、瓜二つの邪義なのだ。
 いやしくもひとたびは本宗信徒であった者が、何がうれしくて田中智学の邪義の猿真似をするのか。狂気の沙汰である。


     学会の尻馬に乗る浅井


 浅井の悪言のその二は「戒壇の大御本尊に対し奉る誹謗」だ。これはいわゆる「河辺メモ」を悪用して、日顕上人が大御本尊を誹謗したとする創価学会の誹謗の猿真似である。
 そもそもこのメモは、故河辺慈篤師の私的なものであり、盗み出された可能性が高い。内容は、他宗や自称正信会の者達による御戒壇様に対する疑難の記録である。ところが、その表現は主観的であって、記録ミスを河辺師自身が認めている。これを悪用した学会の疑難の尻馬に、浅井は乗っているのである。
 その三は「謗法与同」との悪言である。これも学会の猿真似で、身延派の僧侶に大石寺を見学させたのは謗法与同だというのである。しかし日有上人は、
「法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧ぐる事有り之れを制すべからず」(日蓮正宗聖典九九三・)
と御指南であって、本宗では古来、他宗他門の者であっても参詣は許してきた。正法に結縁せしめるのは慈悲だからである。
 このように浅井のたばかりの悪言は、すべて邪教の猿真似に過ぎない代物である。全く浅ましいと言うほかはない。

大白法685(h18.1.16)号より転載



ホーム   目 次   前 頁   次 頁