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   破邪をしない立正安国
    四箇の格言を嗤う大作
             ─創価学会─

      破邪をやめた創価学会

 本紙は七月十六日号である。今年も『立正安国論』提出の意義深き日を迎えた。あと二年で『立正安国論』正義顕揚七百五十年の大佳節がやってくる。
 立正安国とは、破邪顕正によって安穏な国土を樹立することである。そのためにはあらゆる他宗が不成仏・堕獄の邪教であることを明確に述べて破折し、成仏得道の正教である日蓮《記:注意》正宗を堂々と顕揚しなければならない。邪宗折伏とは、邪法と邪師と邪義を徹底して破折することだ。この指摘が曖昧であれば、相手の邪宗に対する信仰や執着を打ち破ることはできない。
 ところで日蓮正宗から退転した創価学会は、破邪をやめたようだ。そりゃそうだろう。自分達が邪宗になったんだから。


      大作ゆずりの邪義

 創価新報(平成十九年六月六日付)に、女子学生部の教学室次長が「充実した『立正安国論』研鑚のために」という小論を書いている。題は立派だが、内容は池田大作の邪義に犯された典型的な創価狂学だ。特に、
「このころはびこっていた宗教といえば、現実に目を閉ざして社会から逃避し、内面の精神的安定のみを求めて修行するといったものばかりでした」(同紙)
と、日蓮大聖人御在世当時の邪宗について述べる箇所に、邪義がハッキリと顕れている。
 周知のように『立正安国論』は御化導の時機的関係上、法然の念仏破折が表になっている。しかし真意は天台・真言・禅等の一切の邪宗が対象であることは、日寛上人等の御歴代上人の御指南に明らかである。しかしこの駄文は、あえて宗派名を曖昧にしているのだ。
 なぜ、念仏宗・天台宗・真言宗・禅宗等というふうに、はっきり名称が書けないのだろう。これでは何宗が悪いのか、サッパリ判らないではないか。
 要するに邪宗に遠慮しているのだ。腐りきった考えである。これで大聖人を讃歎しても、利用しているとしか言えない。こういう者に対して大聖人は、
「日蓮《記:注意》を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」(御書 一〇六六・)
と仰せである。いくら立正安国を叫んでも、こんな考えでは国が亡ぶのだ。


     四箇の格言を嗤う大作

 このような女子学生部の謗法与同の根源は、大作の邪義にある。あの平成二年の一一・一六の大作のスピーチの中に、
「平和運動、正しいんです。文化運動、正しいんです。大いにやりましょう。それがなかったならば、何やってきゃ、どうしたら折伏出来るか。そうでしょう。ただ朝起きて、『真言亡国・禅天魔』。(笑い)法を下げるだけでしょう」
という発言があった。これは明らかに、四箇の格言の冒涜である。大作は、大聖人の四箇の格言を、笑い話のネタにしたのだ。
 この大作の発言が間違っていることは、『立正安国論』正義顕揚七百五十年を迎えようとする今日においても、まだ世間に邪宗が蔓延していることに明らかである。しかるに大作は、四箇の格言の深義を無視し、折伏できないなどと、あろうことか大聖人を笑いものにしたのだ。許すべからざる師敵対の大謗法である。
 それが理解できない女子学生は、大作の邪義を手本にして大謗法を犯している。いや、創価学会全体がそうなのだ。


     世間迎合の風見鶏

 前出のスピーチに大作の邪心が明らかだが、このような大作の堕落は、下種三宝尊に対する不信心に起因する。それはまた、日蓮大聖人の精神の喪失でもある。世間迎合の風見鶏となりはて、権力の維持に汲々とする様は、あまりにも醜い。
 我らは、このように腐敗・堕落した池田創価学会を他山の石とし、御命題達成と真の立正安国をめざして、いよいよ精進をしようではないか。

大白法721(h19.7.16)号より転載



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