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   世に問われる見識と品格
    それでも「仏法は勝負」?
             ─創価学会─

     まれに見る公明党大敗!

 過日の参議院議員選挙において、自民党が大敗し、民主党が大躍進した。自民党だけでなく、連立与党として君臨する公明党も、議席を大きく減らした。
 元来、公明党が現有議席を減らすことは考えられない。それは「勝った」と大宣伝するために、得票数を立候補者へ確実に振り分けるからだ。その背景には支援団体と称する創価学会の存在が大きいことは社会的常識になっている。
 このように確実な得票数を目算して立候補者を擁立する以上、そうそう、落選の憂き目を見ることはない。
 なのに選挙に負けた。
 減らした数は三でしかないが、元々は十二議席を保有していたのだから、四分の一も減ったことになる。これでは大敗と評価されても仕方あるまい。公明党ではその敗因について、
「大半がわが党ではなく、自民党の問題だった」(本年七月三十一日付夕刊フジ)
としている。
 自分達が不信任を突きつけられたと自覚せず、自民党への責任転嫁に躍起のようだ。


     公明党も一蓮托生

 しかし、公明党も連立与党として与している以上、今回の選挙結果は与党全体への不信任の表明であり、逆風は全く他人事ではないのだ。
 思えば既に朝日新聞の「声」欄に、公明党を支援する創価学会に対する賛否両論が取り沙汰されていた(本年六月二十五日付と七月一日付)。
 賛否両論とはいえ、賛同した者は創価学会員であることを自ら名乗っているから、一般には批判的世論と見るべきだろう。
 なかには辛辣に、
「創価学会と自公両党の見識と品格が問われています」(本年七月九日付朝日新聞)
と指摘する「声」も出ていた。
 社会のこうした政教一致に対する批判が、参院選での大敗につながったとも言え、むしろ公明党が自民党の足を引っ張った選挙結果とも見える。
 公明党が、本当に国民のことを考えているならば、こうした「声」も真摯に受け止めるべきである。しかし、創価学会と同じ体質の公明党は、自らを批判する者をけっして受け容れずにこれを無視し続け、その結果、大敗を喫したのである。
 もとより、選挙結果と宗教的な正当性とは無関係である。なぜなら選挙結果はあくまでも多数決原理であるが、宗教的正当性は多数決によって決まるものではないからだ。
 しかし、平成二十一年の佳節を前に、邪教創価学会の勢力が衰えてきたという現実は、法界の用きによるものと言うべきである。


     それでも「仏法は勝負」?

 ところで、この参院選に先立ち、厚顔無恥にも創価学会員が日蓮正宗僧俗のもとへも公明党支持を頼みにきていたというから呆れはてる。しかも、選挙協力を拒むや、
「仏法は勝負です!」
などと捨て台詞を残して立ち去ったという。
 なんと莫迦げたことか。
 「仏法は勝負」の深意を摧尊入卑し、選挙と仏法とを混同するその姿が、世論に批判され、負けたのである。しかも、選挙はあくまでも「数」によって決するのであって、仏法の正邪とはならない。
 この愚かな学会員達は、今回の公明党敗北の結果をどのように受け止めているのだろうか。一度話を伺いたいものである。
 今さらながら、日蓮大聖人は、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(御書 二四七・)
と『立正安国論』にお示しである。その『立正安国論』正義顕揚七百五十年という佳節を目前に、法界全体が大きく動いている事実を、我らは見逃してはならない。
 それもすべて、我らが正直に前進するが故であり、必ずや誓願は成就できるのである。

大白法724(h19.9.1)号より転載



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