(83)


   日如上人へ「諌告書」!?
       懲りない浅井の狙い
             ─顕正会─

    筋違いな空言

 顕正会会長の浅井昭衛は、本年四月二十三日付で、御法主日如上人猊下に対して「諌告書」なる文書を送付してきている。
 その無慚極まる中身は、
  「本門戒壇の大御本尊は、広布の日まで秘蔵すべき」(本年五月五日付顕正新聞)
として、
  「御開扉を中止」(同紙)
せよ、というものである。また、御開扉は、
  「営利目的」(同紙)
で行っているとするなど、おそまつな内容である。所詮、浅井が何を言おうと、外部団体の筋違いな空言に変わりなく、誹謗を重ねているだけに過ぎない。

    既に破折済み

 この浅井の邪説は、平成十七年に日蓮正宗青年僧侶邪義破折班によって、『顕正会会長浅井昭衛の最後に申すべき事≠砕破す』と題し、徹底的に破折され、浅井に送付されている。
 その後、浅井から宗門への反論もないまま現在に至っているが、またもや同じ内容の謗言を繰り返してくるとは、よほど学習能力のない男である。
 ここで、さきの青年僧侶邪義破折班の文章を引用し、浅井ヘの破折としておきたい。
 「汝(浅井)の言う金儲け=@の御開扉≠ニは一体、いつからのことをいうのだ。奉安堂が建立されて以後のことか。それ以前からか。もし奉安堂以後というなら、正本堂の時にはどうなのか。また正本堂の時からというなら、御当代日顕上人の代からか、御先師日達上人の代からか。もし日顕上人の代からと言うならその理出は何か。日達上人の代からと言うなら、日淳上人・日昇上人の代の御開扉も 金儲け≠セったというのか。
 いい加減なことを言うものではない。日亨上人は『内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となった』と、御戒壇様を御開扉奉ることは恐れ多いことではあるが、信徒の謗法罪障消滅の願い断りがたく、今日では御開扉は日常的に行われるようになったと仰せられているのである。別に今日の常例となった御開扉を金儲け≠セから止めよ、などとはけっして仰せられてはいない。むしろ今日の御開扉のあり方を認めておられるのである。日寛上人も、『未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ』(寿量品談義・富要十巻一三一頁)と御指南され、登山して、戒壇の大御本尊の大功徳に浴すべきことを勧めておられる。浅井昭衛、汝自身、今日の常例となった御開扉を何度もお受けしたではないか。しかも汝は、正本堂建立以後でさえ、昭和四十八年五月と四十九年四月の二度にわたり、許されなかったとはいえ、『御開扉』を願っていたではないか。それを金儲け∞収入の手段≠ニ誹謗するとは何事か」(同書 一二九頁)

    会員の発奮材料

 さて、既に破折された内容にもかかわらず、浅井が改めて日如上人へ言い掛かりをつけているのは、会員へのパフォーマンスのためである。
 浅井は、自らの言い分を宗門から破折されていることを会員達には伏せ、進歩のない同じ内容でも、宗門へのアクションとして「諌告書」を記したのだ。それが洗脳された会員達の発奮材料となるからである。
 近ごろ、顕正会員達が(なぜか特に女子部)二〜三人でチームを組んで、法華講員宅や本宗寺院までも押しかけ、浅井の言い分をそのまま暗記して、わめき散らしているようだ。その姿は創価学会員と見紛うほど、攻撃的であり、一方的に話してはそそくさと引き上げていく。
 愚かな会員達よ。浅井の誑惑から一刻も早く目覚めよ!

大白法750(h20.10.1)号より転載



ホーム   目 次   前 頁   次 頁