三 『三宝抄』の三宝一体義について≠破す


 汝は、日寛上人が『三宝抄』において御指南された「三宝一体」の文を恣意的に曲解し、日寛上人が「三宝一体」といわれるうちの僧宝とは、日興上人ただお一人であると、どうしても結論づけたいようである。
 そして、汝はこの結論を導き出すために、散々に詭弁を☆弄(ろう)しているが、どれもが全く当たらないものである。邪智を以って結論ありきの議論を繰り返す汝に、何を教えても無駄かもしれぬが、再度、『三宝抄』の御指南の真意を示しておく。まず、『三宝抄』では、日興上人の僧宝としてのお立場をどのように御指南されているかといえば、
所謂僧宝とは日興上人を首と為す。是則ち秘法伝授の御弟子なる故なり。(歴全四―三八五頁)
と仰せの如く、日興上人は僧宝の☆首(はじめ)であり、それは大聖人より秘法を伝授された御弟子だからであることが述べられている。つまり、この御指南によれば、僧宝とは大聖人よりの秘法、すなわち唯授一人の血脈相承を受け継ぐ人を指すことが明らかである。
 そして日寛上人は御自身についても、
仏と法とありと云へども僧あって習い伝えずんば正法像法二千年の過ぎて末法へも伝るべからず云云。又予が如き無智無戒も僧宝の一分也。(同三九六頁)
と述べられて、自らも血脈の大法を受け継がれている御自覚の上から、「僧宝の一分」であることを仰せになられるのである。この言葉の意味することも、先の日興上人についての御指南と同様、「秘法伝授」、即ち大聖人の血脈を受け継がれることに由来しているのは至極当然である。なぜならば、大聖人の仏法は血脈相承をもって令法久住し、もって広宣流布を目指さなければならないからである。故に「習い伝え」る、つまり令法久住を期す上から御自身を「僧宝の一分」と仰せられる意味は、まさに血脈伝持の人としての御自覚を表明されるものに他ならない。
 汝はそのことを指摘されて、実に姑息な言い逃れをしている。本質的議論から逃げて、言葉尻をとらえての文意の曲解に躍起になっているのである。
 即ち、『三宝抄』の、
問う、三宝に勝劣有るや。
答う、此れ須く分別すべし。若し内体に約せば実には是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり故に一念三千即自受用身と云い、又十界互具方名円仏と云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約せば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為すが故なり。故に法宝を以て中央に安置し仏及び僧を以て左右に安置するなり。(歴全四―三九二頁)

の文について我らは『十項目の愚問を弁駁す』において、
日寛上人は、僧宝が「三宝一体」の意義において尊信されるべき理由として「一器の水を一器に写すが故」であるとされているのであり、もう一方で日寛上人は『文底秘沈抄』に、
今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し
(六巻抄六六頁)
と、日興上人が大聖人から受け継がれた血脈法水は一器より一器に相承され、日寛上人にまで清浄のままに受け継がれていることを御指南されている。『三宝抄』における三宝一体のうちの僧宝とは血脈伝持の人を指すのであり、よって日寛上人が三宝一体と御指南される僧宝には、御歴代上人をも含むのである(一〇〜一一頁・要旨)

と三宝一体義について日興上人のみとする汝の謬義を破した。そして、三宝の「任運勝劣」について、
たしかに日寛上人は「三宝一体」を述べられた後、本尊奉安形式について言及されるが、その文は内体に約して「三宝一体」ながら外相に約して「任運勝劣」であるとされ、その「勝劣」の意義が具わる例として本尊奉安形式に触れられるのである。従って内体に約する「三宝一体」の語において、御歴代上人を外して日興上人にのみ限定されるのでないことは明らかではないか。汝の問は、この内体と外相の両義を強いて混同せんとする誣妄の言である。(同一一頁)
と指摘したのである。ところが汝は、我らがこれだけ意を尽くして懇切に説明しているにもかかわらず、われらの文意を曲解し、阿部は、この文の最後にある「故に法宝を以て中央に安置し仏及び僧を以て左右に安置する也」を「外相に約せば任運勝劣あり」ということの「具体例」(『阿部側回答書』一二頁)であるとし、それをもって当該箇所における僧宝を日興一人には限定できない、と反発している。しかし、阿部の主張は「故に」という接続詞の存在を意図的に無視した暴論である「具体例」を示すにあたって使用されるべき接続詞は、当然、「例せば」「例えば」の類である。しかるに、問題の『三宝抄』の文では「故に」とだけ記され、「故に例せば」「故に例へば」とも記されていない。「故に」という接続詞は「こういうわけで」「このために」という意味であり、そこに「例」という意味は含まれていない。むしろ、「故に」という接続詞に忠実な解釈は、本尊奉安形式の説明を、外相面の三宝勝劣の具体的な現れ≠ニして理解することだと言えよう≠ニ、たった一文字我らが「例」という言葉を使用したことを奇貨として反論を試みている。汝の日本語の理解は一体どうなっているのか。非常に奇妙奇天烈な言いがかりなので整理すると、汝の愚言は、
邪義破折班が『三宝抄』の「故に」に当たる部分を「例として」と表現したことは不当である。なぜなら「例として」と解すべき接続詞は「例えば」等である。だから、「故に」の語は「具体的な現れ」と理解すべきである(要旨)
というものであろう。では『広辞苑』で「例えば」を引いてみるとどのように解釈されているか、次に掲げるので、紙背に徹してよく読むが良い。「例えば」の(1)の意味は、
(1)例をあげていえば。具体的にいうと。
である。「例えば」とは具体的に事例を示すことなのである。つまり、汝が「故に」を「具体的な現れ」と理解せよと述べている、まさに同じ事を我らも言っているのである。
 このような汝の言いがかりは非学術的であることは勿論、虚構そのものであり、その意図は、ためにする文意の曲解に他ならない。
 『三宝抄』に御指南される「三宝一体」「任運勝劣」の文意は「三宝は内体に約せば一体であるが、外相に約せば任運勝劣がある。故に、別体三宝式の本尊奉安形式では法、仏、僧の順序次第をもって安置されるのである」と読めば全く無理なく解することができる。蛇足になるが、『三宝抄』の「故に」にあたる部分を「例せば」に置き換えても、さしたる文意の変化はない。
 つまり『三宝抄』に別体三宝式が述べられているのは、「故に」という接続詞からも明らかなように、三宝に「任運勝劣」があることの説明として述べられているのであって、三宝一体の僧宝を日興上人に限定する根拠にはなりえないのである。
 幼稚な言いがかりを恥じよ。
 また、汝は今回、『阿部側回答書』では「日寛上人が御自身を『僧宝の一分なり』と仰せられたのは事実を述べられたのであり、何も謙遜表現ではない」(一五頁)と記し、正式に歴代法主を「僧宝の一分」と定義した法主が「僧宝の一分」である、という前提を阿部が認めるのなら、話は簡単である。日蓮の『観心本尊抄』には「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」(全集241・定本705)とある。当然ながら、「無顧の悪人」は「菩薩界」の衆生ではない。だが、「妻子を慈愛」する「無顧の悪人」にも「菩薩界の一分」が認められる。同じように、「歴代法主」は「僧宝」ではない。しかし、正法正義を各々応分に伝える「歴代法主」には「僧宝の一分」の意義が認められる今回、僧宝の全分=日興、僧宝の一分=法主≠ニいう立て分けを承認したことになる≠ニもいうが、よくもこのような恥知らずな質問ができるものである。
 日寛上人が御自身を「僧宝の一分」と仰せられたのは、何も僧宝の「全分」、「一分」について御指南されたものではない。日興上人は「僧宝の首」、日寛上人は「僧宝の一分」として定義されているのである。「一分」という語は、「わずか」という意味の他に、「一身の面目」等の意味もある。日寛上人の「僧宝の一分」との仰せは、日興上人に対しての「僧宝の首」という表現から一歩控えられつつも、御自身の僧宝たる立場を明確に仰せになられたものである。日寛上人は二十六世の御法主上人であらせられる。代々の御法主上人は等しく大聖人已来の血脈法水を受け継がれているのであり、その上にお立場の軽重はないのである。
 また、日有の『化儀抄』の「手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし」(要1―61)との前提の文から、どうして歴代法主は「僧宝」である≠ニの結論が演繹されるのか。この日有の文は、文脈に即して言えば、堀日亨の言うごとく「師弟の道は神聖ならざるべからず」(要1―124)との意と解される≠ニも汝はいうが、これも文意のすり替え、切り文である。
 たしかに、化儀抄の文中に「僧宝」の語は存在しない。しかしそれを奇貨として化儀抄の文意を単に「師弟の道は神聖ならざるべからず」とのみ解して、『化儀抄』に御指南される、御歴代上人を尊崇すべき理由と、その意義を否定することは出来ない。
 日亨上人の『化儀抄』の該文に対する註解は、実に要集の一ページ分に及んでおり、単に「師弟の道は神聖ならざるべからず」とのみ述べられているのではない。
弟子は師匠を尊敬して奉上すること・三世十方の通軌なれば・釈尊は迦葉仏に宗祖は釈尊に開山は宗祖に寛師は永師に霑師は誠師に師侍し・もたげ給ふ、師は針・弟子は糸の如く・法水相承血脈相伝等悉く師に依つて行はる、師弟の道は神聖ならざるべからず(富要一―一二四頁)
と述べられて、血脈次第の重要な意義を御指南されているではないか。先に述べるように日寛上人は『三宝抄』に血脈所持の人を僧宝と御指南されているのであるから、まさに大聖人よりの血脈法水を所持される御歴代上人に「信をとるべし」との日有上人の御指南は、御歴代上人を僧宝として仰ぐべきことを御教示されたものなのである。
 また汝は先の『十項目の愚問』において、我らが『文底秘沈抄』の、
今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり。(六巻抄六六頁)
との御文につき、「日寛上人も血脈の尊厳を説示されている」(趣意)と指摘したことについて、この文は日寛が身延山最勝説を批判する中で出てくる対外的論議≠ナあり、日寛の本音は違った≠ネどと遁辞を述べていた。
 しかし、汝は『十項目の愚問』を送付する以前に『唯授一人相承の信仰上の意義』の中で、六巻抄が長らく貫主直伝の秘書とされてきた%凾ニ述べ、『六巻抄』が「秘書」であると殊更に強調していたのである。
 この対外的論議≠ニいうことと貫主直伝の秘書≠ニいう明らかな論旨の矛盾に対し、我らは『十項目の愚問を弁駁す』の中において、
(汝は)『六巻抄』が唯授一人相承の教義の理論的開示≠ナあると主張する時には貫主直伝の秘書≠ニいい、大石寺の唯授一人血脈相承の重要性・正統性を御指南されている箇所は対外的論議∞日寛の本音は違った≠ニいうのである。この一事をもってしても、汝自らその論旨の矛盾ぶりを如実に顕しているではないか。(一九頁)
と指摘した。すると汝は対外的論議に備えるための貫主直伝の秘書≠ネどと矛盾する論旨を強引に会通しようとしてきた。
 しかし、これは明らかな議論のすり替えである。対外的論議に備えるための貫主直伝の秘書≠ニは結局のところ「対外的な受け答えのために用意された文書」ということであり、『十項目の愚問』における対外的論議≠ニいう主張と本質的に何ら変わっていない。
 即ち汝の主張では『六巻抄』には本音≠ナはないことも述べられているということとなるのである。汝には『六巻抄』の御指南中の日寛の本音≠竍対外的論議≠立て分ける資格も能力もないのであり、汝の『六巻抄』の解釈は極めて的を外した恣意的なものである。
 このことは、汝が先に『唯授一人相承の信仰上の意義』の中で、『六巻抄』が大石寺門流の金口相承によって伝えられてきた、三大秘法義の核心≠ナあるとか唯授一人相承の教義の理論的開示≠ナあるなどと主張したことが、完全に論理破綻したことを、証明するものである。
 これらの汝の欺瞞をもってしても、汝の主張の悉くが日蓮正宗を陥れようという☆悪辣(あくらつ)な意図のもとに作り上げられた虚偽の議論であることが明らかである。
 また汝は、我らが日精上人について正義を示したことについて阿部らの日精擁護論は、すべて護教論にすぎない。先ほどから指摘しているように、阿部らの論は基本的に循環論法であり、数々の論理的誤謬にも満ちている≠ニ述べたり、日寛上人に直接的な日精上人批判がないことについても日精の☆謦咳(けいがい)に接して出家を決意した身なればこそ、日寛は直接的な日精批判を遠慮した≠ネどといい、つまるところ、御歴代上人であっても法義上の誤りを犯すとしている。
 日精上人に謗法があったなどとする汝ら離脱僧や、創価学会教学部長・斉藤克司の邪難については既に破折し尽くしたことである。
 そして我らの所説は循環論法≠ナあり根無し草的な小細工の詭弁≠ネどともけなしているが、これぞ汝自身が、単に日蓮正宗を誹謗することを目的として、法義を弄ぶ不徳漢であることを物語る言葉である。
 日蓮正宗において、御歴代上人を僧宝と崇め、信伏随従し奉るのは七百年来の宗是である。それを汝は必死にあら探しをし、的はずれな邪難を繰り返し、ひいては血脈の尊厳を説く御書や、御歴代上人の御指南による論証を循環論法≠ナあるともいう。しかるに、本宗の血脈相承は信仰の根幹であり、伏して信ずべき本宗の根本命脈である。この伏して信ずべき血脈の尊厳に関する御書や御歴代上人の御指南に基づく我らの正論を、汝が何故循環論法≠ナあるとの批判を加えるのかといえば、その答えははっきりしている。
 つまり、汝は大石寺門流≠騙りながら、大石寺門流の信仰を信じることなく、専ら破壊するために批判しているのである。だから循環論法≠ネどという邪難が生じるのである。
 例えば、仏教徒は、釈尊が真理を悟った仏であることについて信仰の上から受け止めている。そしてそれを証明するのに釈尊自身の言説である教典をもってすることについて何の問題もない。ところが異教徒などはそれを循環論法であると批判するであろう。しかし、その循環論法との批判は、批判者が異教徒に属する故に生ずるものであり、外部からの批判なのである。
 汝の批判もこれと同様である。汝は自らが大石寺門流を信仰し、かつ研究しているように装いながら、実は大石寺門流に対し、外部から批判を加え、意図的にその信仰を破壊しようとしている邪教徒なのである。汝が『十項目の愚問』の中に述べ、今回も該文を挙げているが、「御法主上人の御内証にのみ、久遠元初の完全なる悟り(境☆地(ママ)冥合)≠ェ相伝される」(『血脈公開論批判』一六一頁)と説くなどは、日寛の教えの否定と言わざるを得ません。あなた方の三宝一体義は、むしろ三十一世・日因の法主信仰を受け継ぐものです≠ネどとの邪難もその典型である。日因上人は早くから日寛上人の講座に連なり、日寛上人から直接的に薫陶を受けられた御法主上人である。本宗に法主信仰≠ネるものは存在しないが、その日因上人に血脈相承の尊厳を説く御指南があれば、先師日寛上人の薫育によるものと考えるのが妥当である。
 また汝は『唯授一人相承の信仰上の意義』の中において二十二世日俊上人が三宝論、なかんずく僧宝論を強調し始めた日俊は「初度説法」の中で「住持の僧宝は末法の宝也。尤も敬ひ尊重すべき也」「末代真実の僧宝は本門寿量本化の末流日興の末弟に限るべき也」(歴全3―81)と述べ、住持の僧宝論を用いるとともに、「日興の末弟」たる歴代法主以下の僧侶を「僧宝」として崇敬すべきことを檀家に説き示した。日俊における住持の僧宝論は、檀信徒に現実の僧侶を崇敬させ、檀家制度の定着をはかるための思想装置として導入された節がある≠ネどとも述べていた。二十二世日俊上人の御指南に僧宝として御歴代上人を敬うべきという御指南があり、また先に述べる如く、九世日有上人にも「代代の上人」に「信を取る」べきという御指南がある。その意味するところは、大石寺門流の信仰は僧宝たる血脈付法の御歴代上人に信伏随従することが肝要である旨の、門流の根幹的信念・信条を述べられたものなのである。
 故に日寛上人における血脈の尊厳についての御指南も、信仰上の信念に基づいてなされていることは当然である。それを対外的論議≠ネどと述べることは、日寛上人の本意に☆悖(もと)るものであることは勿論のこと、日寛上人を貶める大悪言である。
 日寛上人の信仰的信念は即御本意であり、それと裏腹の本音≠ェあるなどと述べる汝の主張こそ暴論なのである。
 日亨上人の日精上人に対する批判的な註や著述もそうである。先にも引用したが日亨上人の、
師は針・弟子は糸の如く・法水相承血脈相伝等悉く師に依つて行はる、師弟の道は神聖ならざるべからず(富要一―一二四頁)
との仰せからも明らかなように、日亨上人は、御本意としての清浄なる血脈法水に対する信仰的信念は当然のこととしてお持ちであられたのである。故に日亨上人の著述を悪用しての、日精上人および宗門批判は日亨上人の御意に悖るものであり、日亨上人に対する冒涜である。
 この項の結びに、日寛上人から直接御教導を賜った金沢の福原式治氏がどのように御歴代上人を拝していたかを教えておく。
問うて云く、此の御歴代、聖人以後の伝上の内にては何れはたっとく御座すや。答えて云く何れも崇めずと。(中略)当に知るべし、当門御歴代のたっときは御相承たっとき故なり。一枚の御本尊も御相承を以っての故に、果中の満位、因中の満行、皆具円満の御利益もたっときと信じ奉るなり。然れば御歴代の伝上に何れたっときと云う事はなき也。御相承ある故に皆たっとし。能々思うべし。人に依るときは御相承を軽しむるになるなり。是大謗法の重罪なり。(妙喜寺文書)
 このように福原氏は、大聖人からの「法体の御付嘱」を受け継ぐ御歴代上人は、大聖人から唯授一人の御相承を受け継ぐ故に、等しく尊い御境界にましますということを明確に述べている。そして、所持の人は変われども等しい法体を受け継ぐ上において、御歴代上人の全てが尊く崇むべき僧宝であり、汝のように「人による」つまり特定の御歴代上人を用いたり、否定したりすることは「大謗法の重罪」であるとも述べている。福原式治氏は金沢における信徒中の指導的立場にある方であり、金沢の法華講中も福原式治氏と等しい信念のもと、御歴代上人を崇めていたことは想像に難くない。
 福原式治氏は数多くのお手紙を日寛上人より賜っており、それらは総本山や妙喜寺、また妙光寺等に伝えられている。また日寛上人に度々相まみえて、直接の御指導を賜っていたことが記録に残されている。この福原氏の御歴代上人に対する信順こそ、『文底秘沈抄』における「今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し」という御指南の領解であり、日寛上人の本意とするものである。汝が日寛が本心では“完全無欠な大石寺の法水写瓶”という見方に懐疑的だったのではないか=i十項目の愚問)などと述べることは日寛上人の本心に悖ることは勿論、牽強付会の暴論と断ぜられるものである。なぜなら福原氏のこの領解は、当然日寛上人に対する態度や言葉に顕れていたはずであり、それが間違っているならば間違いである旨のご指導を賜っているはずである。
 しかるに、日寛上人に、御歴代上人を僧宝と崇める本宗古来の宗是を否定する御指南は皆無である。むしろ積極的に御歴代上人を僧宝として尊重すべき旨の御指南をされていたのである。そしてそれは、確信に満ちた僧宝尊重の日因上人の御指南、また福原式治氏の血脈相承の尊厳についての領解、このどれもが日寛上人の薫育により根ざしたものであることからも明らかである。
 汝の外部的立場からなされる牽強付会の邪難こそ、大石寺門流の信仰とは大きくかけ離れた邪義であると断ずるものである。
 以上述べたように、御歴代上人は、等しく大聖人の血脈法水を受け継がれる上から三宝一体と拝すべき僧宝にましますことを再度申しおくものである。




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