七 金口相承の内容の未公開について≠破す


 汝は、『十項目の愚問』における七 金口相承の内容の未公開について≠ノ対する我らの破折を、邪書において四点にまとめて反駁している。しかしこの四点には、我らが、
文献の公開と、血脈相承の意義とを混同して議論することに汝の大いなる欺瞞が存する(十項目の愚問を弁駁す三八頁)
と指摘した破折の前提が取り上げられていない。汝は本項において、文献の公開と血脈相承の意義とを混同して議論しているが、それ自体に欺瞞が存することを指摘しておく。
 我らの破折の内容について、汝は次のようにまとめている。
@ 日寛は、日養と日詳に唯授一人の血脈相承を行っている。このことこそ、日寛が『六巻抄』等に開示した法門とは別に、絶対に開示されてはならない唯授一人の血脈が存在するという厳然たる証拠である
 これに対して汝は、日寛が六巻抄で説示した核心部分を再度、後継法主に血脈相承したとしても何の不思議があるのか≠ニいう仮説を述べている。しかし六巻抄で説示した核心部分再度、後継法主に血脈相承した≠ニいい、また六巻抄は、日寛が血脈相承に先立ち後継法主に別して授与した最重要の秘書であるといえ、その内容上の核心部分が血脈相承の非開示の法門と重なっていても決しておかしくない≠ニするのは、何の根拠もない推測にすぎない。
 また汝は、日寛が再治本の六巻抄を自門の学僧らに開陳した形跡はみられない≠ニし、その理由として『富士年表』にその記載がないことを根拠としている。しかし日寛上人が六巻抄を開陳された記録がないといっても、『邪誑の難を粉砕す』において詳論したように、六巻抄の草本は、既に講ぜられていた御書の講義を基として御登座前に出来上がっていた。また各御書の文段は、門弟に対して御講義されたものであることが明らかである。その中の各所に六巻抄の内容が引用されていることは、『六巻抄』自体、講座に連なる門弟に対しては、公開が前提となっていたことは当然である。そして御遷化の前年に添削を加えられたのであるから、再治された六巻抄を講義された明らかな記録がないからといって、日寛上人が六巻抄の内容を一度も明かされたことがないなどということは、まったくいえないのである。
 また汝は、日寛は学頭の日詳に「尤も秘蔵すべし」と言って六巻抄を密かに授与し、その翌年に日詳に血脈を相承して世を去った≠ニいう。しかし日量上人筆の『日寛上人伝』には、
当家の大事六巻抄を著述し【題号秘して顕さず】以て学頭詳公に授け示して言はく此の書六巻の師子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎一党して当山に襲来すといへども敢て驚怖するに足らず尤モ秘蔵すべし尤モ秘蔵すべし(富要五―三五五頁)
と記されている。『邪誑の難を粉砕す』でも、
『六巻抄』は令法久住・広宣流布のための法義書であり、ただ徒に秘蔵するのが日寛上人の御真意なのではない。要するに、血脈付法の御法主上人の御指南に随い奉り、『六巻抄』の深意を正しく拝し、研鑽に努め、折伏に活用していくことが肝要なのである。(九〇頁)
と述べたが、「此の書六巻の師子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎一党して当山に襲来すといへども敢て驚怖するに足らず」とは、たとえ他門からいかなる疑難がなされようとも、六巻抄をもって破折すれば恐れるに足らない、ということである。即ち外敵に対してはこの六巻抄に述べられた法義を示して打ち破れ、との御教示であるから、六巻抄の内容は、必要があればそれを示してよい。ただし、「尤モ秘蔵すべし」とは、軽々に他に示すなとの誡めなのである。
 次に汝は、阿部は、六巻抄が「門弟の教化育成のために著されたもの」(『阿部側回答書』四〇頁)と言うが、それはおよそ『御書文段』にあてはまることである≠ニ述べている。これは、汝が『御書文段』は「門弟の教化育成のために著されたもの」であることを認めたものであり、自語相違の言である。『御書文段』が「門弟の教化育成のために著されたもの」であるなら、それは当然門弟に開示されたものであるから、そこに説かれた法門は、他に示されることのない極秘伝の法門を述べられたものではないことを汝が認めたことになる。
 そして六巻抄も、御書を講ぜられた際の内容を基として法義を整足されたものである。しからば、御書文段は「門弟の教化育成のために著されたもの」であるにもかかわらず、六巻抄はまったく開陳されたことがない、ということは汝の雑駁な当て推量にすぎない。
 しかし汝は、日寛が再治本の六巻抄を自門の学僧らに開陳した形跡はみられない≠ニいいながら、未治本の六巻抄については、特別に披見が許される場合が、稀にはあったかもしれない≠ニしている。これは、日亨上人の「六巻抄註解に就ての総序」における、
学頭時代に六巻抄の講録も成り其都度門下には或は内見を許されたものもあらう。(富要三―二頁)
の文との齟齬を覆う苦しい言い訳である。なぜなら汝は、ことさらに未治本の六巻抄と再治された六巻抄がまったく異なるかのような言い方をしているが、日亨上人は「六巻抄註解に就ての総序」に続けて、
本抄の草案本と訂正本との相違は如何程であるかに付いては五巻の未治本が発見せられねば分明せぬ、但し一巻の相応抄では引文や論旨に繁簡があり文飾に多くの相違があるが大体の結講に於ては大差を見ぬ、未だ血脈相承を受けずとも撰ばれて初代の学頭[六代と云ふは只名義のみ]と為られた位の徳学兼備の大器であったから言動とも自然に其法に即した異材であって、廿六代の貫主と為って相承の為に俄に法門に変動を生ずるやうな凡器とは思へぬ、只相承の為に自然に磨きが加はった程度であらうと拝察するのである。(同頁)
と述べられているからである。日亨上人は「相承の為に俄に法門に変動を生ずる」ことはなく、「相承の為に自然に磨きが加はった程度であらう」と、未治本の六巻抄と再治された六巻抄に、大幅な差違はないと推測されている。このことを汝が知らないはずはない。未治本の六巻抄を門弟に示されていたのなら、再治された六巻抄の内容を門弟に秘密にしなければならない理由はない。したがって、汝が「内見」の語についていかに云々したところで、意味はないのである。
 また『邪誑の難を粉砕す』において、雪山文庫に享和三年(一八〇三)の純澄日定師の『末法相応抄』の転写本が存することを挙げて、
すでに当時の門下が『六巻抄』を披見し、研鑽していたことを物語っている。(九〇頁)
と述べたことに対し、阿部が「当時の門下」という「当時」には八十年近い幅があるのであり、平成の今の宗門と大正末期の宗門とを同一視するようなものである。「当時」という言葉の裏に隠された、阿部の詭弁の意図を見抜かねばならない≠ネどと難癖をつけている。しかし『邪誑の難を粉砕す』においては、
享和三年といえば、日寛上人が享保十年(一七二五)に『六巻抄』を再治せられてから七十八年後のことで、総本山四十三世日相上人の代である。(九〇頁)
ときちんと述べ、日相上人の代の門下が『六巻抄』を披見し研鑽していたということを一例として示したのである。
 つづいて我らの破折の内容について、汝は次のようにまとめている。
A 松岡は『六巻抄』にある「秘すべし」等の言説を取り上げて、それが唯授一人の秘法であるかのごとく思わせようとしているが、「秘すべし」との語は、『六巻抄』が門弟に講義されたという性質上、当然、他門に対して「秘すべし」と仰せられたものであり、大石寺門流の僧侶に対して秘密にされていたという意味ではない
 それに対して汝は、『文底秘沈抄』に説かれた三大秘法義が、宗門究極の奥義の「大旨」なのである。ということは、『文底秘沈抄』の内容以外のすべての法門は、宗門究極の奥義の「大旨」以外の枝葉・非本質にすぎないことになる例えば、本尊の相貌や書写法、開眼法などについて、かりに非公開の相承法門があったとしよう。その場合でも、相承の当事者たる日寛が、『文底秘沈抄』の内容を超える奥義などない、と断言している以上、いかなる非公開の相承法門も同抄の三大秘法義に従属する法門とみなしうる。こうしたことから、私は、大石寺の金口相承の教義上の核心は日寛の六巻抄、なかんずく『文底秘沈抄』の中で理論的に開示されている、と主張したのである≠ニ欺誑している。そして『邪誑の難を粉砕す』において、
三大秘法義は既に大聖人の御書や日寛上人以前の諸師によって明示されているのであるから、日寛上人が初めて開示された秘要の御法門ではないのである。日寛上人が『文底秘沈抄』において『前代の諸師尚顕に之を宣べず』と仰せになられたのは、大聖人が示された三大秘法義を日寛上人以前には体系的な形として整束して述べられていないことを仰せになられたまでである。「今講次に臨んで遂に已むことを獲ず、粗大旨を撮りて以て之を示さん」とは、日寛上人はその三大秘法義を講義されるに際し、大衆の理解に便ならしめるよう大要を示して整束遊ばされたとの意である。(五九頁)
と述べたことに対し、私は阿部に言いたい。三大秘法義が日蓮や日寛以前の諸師によって明示されているというのなら、『文底秘沈抄』にみられる事の一念三千の法本尊論・人法体一の本尊論が日寛以前に説かれている、という具体例を示してもらいたい≠ネどと悪言を吐く。しかし汝は、我らが『邪誑の難を粉砕す』において、
三大秘法義は、宗祖の御書中、『三大秘法抄』に最も詳しいが、『法華取要抄』『報恩抄』等、他の御書にも述べられており、また御歴代上人の御著述に多く拝されるところである。さらにいえば、未だ信仰に縁をしていない当時の為政者に対しての国主諫暁を意味する申状にもその名目を説示されており、秘匿されるどころか、大いに顕揚遊ばされているのである。(三八頁)
と述べたことはまったく無視している。我らは、三大秘法義は、御書や御歴代上人の御著述、さらには申状にも説示されているのであるから、日寛上人が初めて開示された秘要の御法門ではないのであり、ただ日寛上人が体系的に整束されたことを述べたのである。汝は文献に明示されていないと理解できないようであるが、『日蓮正宗要義』に、
日蓮正宗の教義のすべては、根源的に日興上人が大聖人の大漫荼羅に対し奉る信解・相伝の中にこそ、一切が含まれているのである。これを代々の法主上人が伝えて、その時々に応じ、種々の教学や解釈が表われているが、富士門家の化儀・信条は七百年来微動もなく終始一貫しており、その淵源は日蓮日興の唯仏与仏・境智冥合の境界におわしますのである。前記相伝文書のほか、日興上人の著述中、明瞭に宗祖本仏や大漫荼羅即大聖人観を述べたものは見られないが、これは宗門草創の時期においてむしろ当然であり、種本脱迹、宗祖本仏、大漫荼羅正意論を化儀のうえに示されたことが明らかである。故に日興上人書写の本尊の体相や、七百年を一貫する富士門家の化儀・化法に日興上人の本尊観が明らかである。(二三九頁)
と示されるように、日寛上人が体系的に示された人法体一の本尊についても、その根源は「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」の大漫荼羅にあり、大聖人の大漫荼羅境界を拝された日興上人の信解・相伝に、日興上人の本尊論が端的に表れている。
 また日有上人の『化儀抄』に、
当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし(聖典九七九頁)
と、大聖人を本尊と拝すことが示されている。このように、日寛上人以前にも、日興上人や日有上人等の御先師によって、三大秘法義が示されているのである。
 また汝は、『文底秘沈抄』の「☆粗(ほぼ)大旨を☆撮(と)りて」の文について、辞書を持ち出して「ほぼ」の意味を述べるなどして、日寛上人は宣言の通りに、相承法門の最奥義たる三大秘法義を体系的に顕説していったのである≠ネどとしている。しかしここでも汝は、『邪誑の難を粉砕す』において、
『文底秘沈抄』に明かされた三大秘法義をもって金口相承の秘義の理論的開示である≠ニするのは、牽強付会の謬説である。『文底秘沈抄』では、「粗大旨を撮りて」御相伝によって三大秘法の深義を示されてはいるものの、それは法門相承の一部分であって、根幹である金口の唯授一人血脈相承の内容そのものは開示どころか、言及さえもされていない。(五九頁)
と述べたことはまったく無視している。日寛上人の『文底秘沈抄』に示された三大秘法義は、深義ではあるが、それは法門相承なのであって、金口嫡々の相承ではないのである。
 さらに我らの破折の内容について、汝は次のようにまとめている。
B 金口相承≠ノついてその教義上の核心≠開示し終えていると推考しているが、大石寺の金口嫡々の血脈相承は松岡が知ることのない唯授一人なのであり、その不識不知の松岡に『文底秘沈抄』が金口相承≠フ教義上の核心≠ゥ否かを判断する前提も資格もない
 これに対して汝は、なるほど私は、血脈相承の内容を実際に見たわけではない。私の判断は、一つの仮説の域にとどまる。けれども私自身は、それが合理的で有力な仮説であると信じている≠ニして、汝の愚論が一つの仮説≠ナあることを認めている。またその理由として『文底秘沈抄』の「宗門の奥義此に過ぎたるは莫し」「然りと雖も今講次に臨んで遂に已むことを獲ず粗大旨を撮りて以て之を示さん」との文を挙げている。しかしこの『文底秘沈抄』の文については、前項でも述べたとおり、三大秘法義が法門相承の深義であることを述べられた文なのである。
 また『邪誑の難を粉砕す』において、
三大秘法義を含む、『六巻抄』に説かれた甚深の御指南は、当家のみに伝わる甚深の御法門であることは論をまたないが、それは松岡が邪推するような唯授一人血脈相承として伝承される秘要の御法門ではなく、当時の学僧が教学研鑽の過程において、当然領解しておかなければならなかった内容であり、それは同時に公開しても良い内容であったのである。(六一頁)
と述べたが、 六巻抄が文段等に引用され、また御講義されたことが明らかな以上、六巻抄に説かれた御指南は、必要に応じて門弟に示された法門であり、唯授一人金口嫡々の血脈相承ではないのである。
 そして汝は我らの破折の内容について、次のようにまとめている。
C 日寛が述べた人法体一の本尊論は、その時代の機縁に応じて述べた法門であり、その根源となる唯授一人血脈相承の法体そのものを示したものではない。即ち人法体一の根本は「南無妙法蓮華経 日蓮」と書写された本尊にあり、日興をはじめ代々の法主はその根本の法体を血脈法水の上に承継している。つまり「唯授一人、金口相承」は、日応が「此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝ふるものなり之を真の唯授一人と云ふ」と言うように「宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝ふるもの」であって単なる法門相承ではない。松岡の論は、金口嫡々の相承と法門相承をあえて混同させた戯論に過ぎない
 これに対して汝は、阿部は、法体相承と金口相承とを合理的根拠もなく一体視している≠ニし、その理由として、『邪誑の難を粉砕す』において、
日應上人の御指南を素直に拝せば、法体相承を受けるにつき、唯授一人金口嫡々相承が存するわけであるから、唯授一人の法体相承と金口相承は一体のものである。(一四七頁)
と述べたことを挙げている。しかしこれは、『弁惑観心抄』の、
此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり(二一二頁)
との御指南について、汝が『唯授一人相承の信仰上の意義』において金口相承の後に行われる法体相承≠ニ勝手に規定し、法体相承と唯授一人金口相承を故意に切り離そうと悪質な欺瞞をなすことに対して、法体相承と金口嫡々相承は不可分のものであることを述べたものである。むしろ『邪誑の難を粉砕す』においては、
「唯授一人の血脈相承」とは、総付の法門相承ではなく、法体相承と金口嫡々の相承である。(一〇九頁)
と明確に述べるところである。なお、法体相承について汝は、戒壇本尊の護持継承≠フみであるとしている。これについても『邪誑の難を粉砕す』で述べたことであるが、再度示しておく。
御歴代上人における法体相承とは、本門戒壇の大御本尊を相伝厳護遊ばされるとともに、その御内証たる大聖人の御法魂を、御歴代上人の御内証に受け継がれていることである。松岡が貶めるごとく、単なる御本尊の護持と継承というものではないのである。(二〇〇頁)
 以下汝は、我らが「唯授一人の法体相承と金口相承は一体のものである」と述べたことについて延々と言を弄している。しかし下種仏法における血脈の広大な深義は、汝如き軽賤誹謗の徒の到底窺い知るところではないのだ。
 また汝は、『撰時抄愚記』の「塔中及び蓮・興・目等云云」の文について、ここにおける「塔中及び蓮・興・目等云云」とは、文底下種の教義の相伝、すなわち教義の金口相承を指すものとみてよい。阿部らのごとく、この文を法体付嘱の意にとるのは、文脈を無視した解釈となる≠ニしている。しかし我らは、この文は金口相承を指すものではないとか、法体付嘱の意にとるべき、などとは少しも述べていない。この文について日顕上人は、
この「相伝に有らざれば」云々の文は、まさに附文と元意の両面より、特に元意の辺を深く拝すべきであります。創価学会が、「大聖人直結の法主」などと言って、悪ほめの言で返って誣告している日寛上人が、この文をいかに大事とされているか、知っているのでしょうか。(中略)三重秘伝の上に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」の文を明らかに示され、さらに、この「相伝」云々の文を受けて、霊山の塔中別付相承より、大聖人、日興上人、日目上人への相伝を寸記されております。
 まさに創価学会の者どもは、この文の附文にのみ執われて元意を知らず、あまつさえ切り文などと厚かましく謗ることは、蓮、興、目の御三師はもちろん、日寛上人の教義に背くことをも露呈しているのであります。(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す一二二頁)

と述べられている。この文は、まさに仏法は相伝なくして知り難いことを示されたものであるが、「蓮・興・目等」とは、法体相承及び金口嫡々相承を包含した唯授一人の血脈相承を指すと拝すべきである。
 また汝は、『生死一大事血脈抄』の、
只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ。(新編五一四頁)
との文について、この文意は、日蓮の弟子の最蓮房が主体者となって「釈迦多宝上行菩薩」の伝える「南無妙法蓮華経」の法体を血脈相承しなさい、ということ≠ネどとしている。しかし汝の解釈は、同抄の構成をまったく無視している。この「只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ」との文は『生死一大事血脈抄』の「結文」に当たるが、これは、同抄冒頭の「標文」である「釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり」を受けて結論として示された文である。即ちこの文は、御自身の外用上行菩薩の再誕というお立場を明示されたものであり、また最蓮房に血脈相承に則った強い信心で南無妙法蓮華経と唱えていくように勧められ、これ以外には煩悩即菩提、生死即涅槃の成仏の血脈はないと厳しく誡められた文なのである。なお『生死一大事血脈抄』は最後に、
信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。(新編五一五頁)
と結ばれるように、別しての法体相承は、血脈の次第日蓮日興以来、厳然と唯授一人金口嫡々の相伝により御法主上人のみが御所持遊ばされるところであり、一切衆生はそこに信を立てて正しく信仰するところに生死一大事の信心の血脈が流れ通い即身成仏の妙果を得るのである。
 なお『生死一大事血脈抄』と血脈について日顕上人は、
『生死一大事血脈抄』の御文は、いわゆる「信心の血脈」ということを中心に置いて最蓮房に示された御指南なのです。いわゆる一般の法門として、御本尊を信じて成仏するという趣旨をお示しになっていらっしゃるのです。すなわち、最蓮房が御本尊様の御当体によって得道する「信心の血脈」を示されているということであります。この文が血脈相伝を否定するものでは絶対にありません。(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す八三頁)
『生死一大事血脈抄』は、その題号からも解るとおり、生死のため、臨終正念のための教示がその主意をなすものであり、そこに広宣流布への意義も含ませられているのであります。
 故に、法華の血脈相承と言われるのも、妙法と地涌上行・日蓮に対する信心の血脈が主意をなしているのです。全文を通じ、また、特に末文の、
「相構へ相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈此より外に全く求むることなかれ」(同五一五頁)
の文は、まさしく生死に関し、臨終の心得としての法華経・日蓮への信心の血脈であります。そこにこの抄の当分の血脈の主意があるのですが、これは血脈の全分ではないのです。
 血脈の全分を言えば、『安国論』の附文に対する元意、『本尊抄』の下種本尊に関する法体と法門の血脈、『法華取要抄』『報恩抄』『三大秘法抄』に説かれる三大秘法に関する甚深の血脈等を含むのであり、 言うまでもなく、大御本尊を根幹とする法体の血脈、唯授一人金口嫡々の血脈、法門の血脈、信心の血脈がそれであります。『生死一大事血脈抄』の「血脈」は、このなかの信心の血脈を主意とする御書であり、彼等の引く諸文の意もその範囲に属するのであります。
(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す九三頁)
と御指南されている。ここで示されるように、『生死一大事血脈抄』の「血脈」とは信心の血脈を主意とするのであり、血脈の全分を仰せられたのではないのである。
 また汝は、『弁惑観心抄』に、
此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝るものなり之を真の唯授一人と云ふ(二一九頁)
と仰せられた「法魂」の語をもとに我らが種々述べたことについて、私は阿部に「法魂とは何か。きちんと定義せよ」と要求する≠ネどとしている。しかしこの「法魂」については、我らがわざわざ教えずとも、汝の邪難の書『唯授一人相承の信仰上の意義』において、彼らの主張は、「唯授一人のご相承を法体相承ともいいますが、この法体相承を受けられるがゆえに、御法主上人のご内証には、日蓮大聖人のご魂魄たる「本尊の体」が具わっているのです」といったものである。ここにみられる、(法体=日蓮の魂魄=本尊の体)という論理は、宗門秘伝の人法体一の法体本尊義であって誤りとは言えない≠ニ述べていた。「法魂とは何か。きちんと定義せよ」と要求≠ネどしなくても、「法体=日蓮の魂魄=本尊の体」という答が、すでに自分でわかっているではないか。さらに詳しく知りたければ、我らが先の破折書で教えたとおりである。よく読むがよい。
 唯授一人金口嫡々の血脈相承によって、「一器の水を一器に移すが如く」御法主上人の御内証に相伝されてきた「清浄の法水」「蓮師の心月」がこの「法魂」なのである。歴代の御法主上人は、この宗祖大聖人の御法魂を唯授一人の血脈相承によって法水写瓶され、「本尊の極意」を師伝されるが故に、本門戒壇の大御本尊の御内証を御書写されるのである。このことは、かつて池田大作も、
法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。(広布と人生を語る八―二二八頁)
と述べていたとおり、七百年来の宗義の根幹なのである。
 なお汝は、『御本尊七箇之相承』の、
日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。 師の曰わく、深秘なり。代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。(聖典三七九頁)
が後加文であるなどと疑難を投げかけている。しかし『富士宗学要集』を見ても日亨上人は、後人の偽加と見られる箇所には二線を引かれているが、この箇所には何の注記もされておらず、日亨上人は疑問視されていない。また宗門は、何もこの『御本尊七箇之相承』の文のみをもって御法主上人に御法魂が相伝されているというのではない。
 さらに汝は、この文は本尊書写という化儀面での教示である化儀面における「代々の聖人悉く日蓮」の意義を法体の次元にまで持ち込むのは不適切であり≠ネどという。しかし、御本尊御書写を化儀面での教示≠ニ見るのは汝の皮相的な見方である。御本尊御書写こそ、大聖人以来の法体を御相承なされた御法主上人の尊い御所作なのであり、また「代代の聖人悉く日蓮」という意義は化儀面にとどまるものではなく、法体御所持という深義における御教示なのである。
 また汝は、我らが、『御本尊七箇之相承』や『本尊三度相伝』は御本尊に関する大事の相伝書ではあるが、日寛上人が御著述に引用されたり、他山にも写本があることからも明らかなように、極秘伝の金口嫡々の相承ではない、と述べたことについて、この阿部の意見は、宗門史料や当時の門流内の実情を全く無視している≠ネどと疑難し、また日寛上人の『法華取要抄文段』や日忠上人の『観心本尊抄聞記』に「唯授一人の相承」「貫主一人の沙汰」とあることにも疑難をなげかけている。
 ここにおいて汝は、『十項目の愚問』と微妙に主張を変化させている。『十項目の愚問』において汝は、日精から日寛にかけての江戸中期の大石寺では、現在の『御本尊七箇相承』『本尊三度相伝』等の内容が非公開とすべき「唯授一人の相承」であり、これらの文献の相承をもって本尊書写の資格を生ずるとしたことがうかがえます≠ニ主張していた。しかるに、『十項目の愚問を弁駁す』において我らが、
『法華取要抄文段』は日寛上人が御登座以前に著されたものであり、そこに「何ぞ之を顕わさんや」と言われているのであるから、明らかに「本尊七箇の口伝」や「三重口決」について内容を承知されていた上での仰せであることが伺える。しかるに汝がこれらの文献の相承をもって本尊書写の資格を生ずる≠ニいうのならば、御登座以前の日寛上人に本尊書写の資格≠ェあったとでもいうのか。そのようなことはないのである。(四一頁)
と破折したところ、今回汝は登座前年の日寛は唯授一人血脈相承の『本尊七箇の口伝』や『三重口決』の披見を特別に許されており、その立場から「何ぞこれを顕にせんや」と述べた、と解する方が、先の阿部の説よりも、遥かに当時の実情に即した見方なのである≠ニ主張を変更した。汝はここで、『御本尊七箇之相承』等を唯授一人血脈相承≠ニしながらも、これらの文献の相承をもって本尊書写の資格を生ずるとしたことがうかがえます≠ニの従前の主張を撤回したのである。しかしながら学頭時代の日寛上人は『開目抄愚記』に、
明星直見の口伝に云わく「即ち明星池を望みたまえば、日蓮が影は即ち今の大曼荼羅なり」(御書文段一六七頁)
と、『御本尊七箇之相承』中の明星直見の口伝を引用され、その意義を門弟に御講義されていたことが拝される。即ち『御本尊七箇之相承』は、相伝書としての特殊な文献ながらも、唯授一人の極秘伝の相伝書ではなく、門弟が法門の意義を深く体していく上において拝することが許される文献だったのである。また汝は、『御本尊七箇之相承』等について他山の写本が存在するという我らの指摘については、まったく無視している。このように、『御本尊七箇之相承』等は、御本尊に関する大事の相伝書ではあるが、あくまで教義が示された書であって、御本尊の法体そのものの相伝ではない。いかに文献が公開されたとしても、それによって本宗の血脈相承の意義が消失することはないのである。
 さらに、汝の「いわゆる『文底秘沈』の文が寿量品のいずこを指すのかについても、九世・日有と二十六世・日寛とでは意見が異なっています≠ニの疑難に我らが、
日有上人・日寛上人の仰せは、いずれも文上脱迹に執する他門に対し、本因下種仏法の正義を明かされたものであり、両上人の御指南に全く齟齬はないのである。(中略)両上人に、「文底秘沈」の文が寿量品のいずこを指すのか≠ナ意見の食い違いが生じることなどありえないのである。(中略)「内証の寿量品」二千余字は全てが文底なのであり、文底の妙法五字の能詮たる「内証の寿量品」の場合、全ての文が本因妙を詮顕するからである。(四二頁)
と述べたことに対して、汝はさらなる疑難を呈している。しかし、文底の義によって文を判ずれば、寿量品の全ての文が本因妙の妙法を顕していると言える≠ニ述べるように、汝は実際には文底の義によって文を判ず≠驍ニいうことを知っているのである。
 その上で、寿量品の「如来秘密神通之力」の文について述べれば、『三重秘伝抄』において「不相伝」「文底を知らざる」と示された文は、他門の学者の説である。そして、他門が文上の解釈をもって、開目抄の「文の底」の意義を論ずることを、日寛上人は不相伝と言われているのである。
 さらに日顕上人は、
日寛上人は久遠元初名字本因妙を示すに当たり、文上の寿量品二千余字中、すべて本果の釈尊の化導を説くなかで、わずか十八字の本因妙の文が文と義において便りがある故に、この文を寿量文底の本因本果であると指摘されたのであります。また、日有上人は本果釈尊の一身即三身・三身即一身を示す「如来秘密神通之力」の文の文底に、本因本果久遠元初名字三身相即の釈尊すなわち末法出現の日蓮大聖人と、その御所持の妙法蓮華経のましますことをもって、文底とは「如来秘密」の文と示されたのであります。したがって日有上人、日寛上人、共に久遠元初の下種の本仏本法を示し給うことは全く同様であり、なんらの異なりも存しないと拝すべきであります。
(大日蓮 平成一七年一二月号二九頁)

と示されている。「如来秘密神通之力」の文は、文上の辺よりすれば本果の仏身を説かれたものであるが、文底の辺よりすれば、下種本因名字の如来の一身即三身・三身即一身を詮すのである。このように「如来秘密神通之力」の文は、久遠元初の御本仏を示されたもので、本因妙を詮顕するのである。
 この項の最後に汝は、「金口相承の核心開示説」を一度、図式にして示しておきたい≠ニして、三大秘法の本尊と教義究極的秘伝(三大秘法の本尊義)≠ニ究極の法体(戒壇本尊)≠ニに立て分けている。そして汝は金口相承の核心部分とは、左の図式における「究極的秘伝」のことである≠ニ主張している。しかし前来述べてきたように、三大秘法義は甚深の御法門ではあるが、唯授一人金口嫡々の血脈相承そのものではない。また汝は究極の法体戒壇本尊≠フみとしているが、法体相承が本門戒壇の大御本尊とともに本尊の体の相伝も含むことはすでに述べたとおりである。このように、汝が主張する「究極的秘伝」と「究極の法体」は完全に開示・公開されているのだから、大石寺の唯授一人相承の本質的役割はなくなっている≠ニいうことは、まったく的はずれな謬言である。




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