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 創価・公明のエセ人間主義
 悪化する日本を食い止めよ!
         ─創価学会─

 太田は池田信奉者


 去る九月三十日、創価学会の私党とも言うべき公明党の代表選出が行われ、太田昭宏(六一)が神崎武法に代わり、新代表に選出された。
 これは新たに誕生した安倍政権との自公連立体制を「連立第二期」と位置付けるために行われた新代表選出劇である。
 太田は、八〇年代、創価学会においては、全国男子部長や青年部長を歴任しており、センセー命≠フバリバリの池田信奉者である。

 送り込まれた!?

 かつて太田は『大白蓮華』で、
 「四年後に迫った創立六十周年の大佳節、そして次の七年──いよいよ大前進の時である(中賂)本格的な創価学会の時代を築きゆく出発の時だ」(昭和六一年七月号一九頁)
と言っているが、その後、総合職などの充て職を経て、昭和六十二年ごろには学会本部より公明党に活動の場を移している。
 「四年後」とは平成二年のことを指し、創価学会では創立六十周年という要の年というのに、太田はその年を党で迎えているのだ。
 これは、かねてから太田が大作の秘蔵っ子と呼ばれ、低迷する党の状況打破に大作が期待を込め、公明党に送り込んだものであるからと推測できる。

 「人間主義」は邪論

 そして時を経、太田がいよいよ「代表」という党の頂点に立ち、太田カラーで染め直しをしていこうとしている。
 「池田先生のもと、戦うなかに広布の確実なる前進がある」(大白蓮華昭和六〇年一一月号二四頁)
とのかつての言葉が、そのまま代表挨拶にも表れている。
 すなわち、
 「闘う人間主義」(平成一八年一〇月一日付聖教新聞)
がそれだ。党の「新宣言」にも、
 「人間主義の大世紀」(同)とあり、創価学会の主張そのも
のである。太田カラーは池田カラーだ。
 大作は「人間主義」について、
  「一人を大切に≠アそ、法華経の『人間主義』」(大白蓮華 平成八年一月号二二頁)
「法華経の主張を、仮に『宇宙的人間主義』(中略)と呼んではどうだろうか」(同 平成七年二月号二〇頁)
 「仏法は人間主義である。私は人間主義である」(同 平成五年七月号一〇頁)
と言うが、仏法は「人」を基準にするのではなく、依法不依人と、「法」をもって正邪の基準を定めなくてはならない。
 宗教色の出せない政界だが、太田の言う「人間主義」が、大作の主張の受け売りであることは間違いないだろう。
 公明党が対外的に「人間主義」を主張しても、所詮それはエセであり、太田の大作への熱は、「創価至上主義」となり、「池田主義」に過ぎない。

 惰弱な公明党

 公明党の支持母体が邪教創価学会である以上、その大きな影響を受けているのは必然であり、謗法の力で政権に深く関与した姿には信念も何もない。
 過去、太田は自民党と社会党の不毛なイデオロギー対立の政治を、「パー(自民)とクー(社会)しかない、勝負の決まったジャンケンポン政治」と批判したが、現在の自公連立の姿は、学会票ほしさの自民と、政権ほしさの公明の、「取り引きジャンケン政治」とも言える。節操のない公明党の寄生虫のような姿は、惰弱そのものだ。
 その姿に満足し、喜ぶ大作が時期に合わせて太田に呼びかけたものか。本年九月十九日付聖教新聞にはこうある。
 「師弟の道に永遠の勝利」
 「弟子は命がけで師匠を守った」
 天下取りの野望を抱く大作──忠誠を貫く弟子・太田。大作と呼吸を合わせて「命がけ」で動けば、日本は美しい国どころか、ますます醜く苦しむ国となることは間違いないと、警鐘を鳴らしておきたい。

大白法703(h18.10.16)号より転載



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