| 二、「中興の祖」になりたい一心の日顕 また今回、日顕が珍説を唱え出した背景には、何としても教学上の功績を残して「中興の祖」と後世に仰がれたい、とのあきれた野心がある。日顕には二大コンプレックスがあり、それが異常なまでの自己顕示欲となって現れていることは、宗内の多くの僧侶が認識している。その第一は、日顕が六歳まで父・阿部日開法主から認知されなかった。というコンプレックスである。むろん世の中には、親に認知されない子として生まれた逆境をバネに大成した人も数多い。だが日顕の場合は、それが怨念となって燃え盛り、人間不信とエゴ丸出しの歪んだ人間性を作り上げることになった。日顕とその母・妙修が、猊座盗りを狙って、早くから末寺僧侶に接待攻勢をかけていたことは有名である。その結果、日顕は宗会議員になり、後は宗内政治をうまく泳いで教学部長にまではなった。 けれども前法主の日達上人は、日顕のさもしい性根を見破っていたがゆえに、「阿部はとんでもない」「阿部はダメだ」と事有るごとに口に漏らし、まったく日顕に猊座を譲る気などなかった。ところが昭和五四年七月、日達上人が急逝すると、日顕は他の誰も名乗り出ないのをいいことに「自分が相承を受けた」と言い出し、自己申告で勝手に猊座についてしまったのである。日顕はその時から今日に至るまであらゆる裁判の場で、とくに最高裁で開かれた寺院明渡し裁判においても、「血脈相承を受けた」という客観的な証拠を何一つ出せなかった。そのために本年の最高裁で言い渡された裁判では三連敗するという大恥をかいた。明らかに日顕は偽法主であり、それゆえに日顕の相承に対する宗内の疑惑は、常に消えることがなかった。このことがまた、日顕の大きなコンプレックスとなった。 知られたくない出生の秘密に加え、自身が法主を詐称した偽法主である、という後ろめたさ――こうしたコンプレックスが日顕を駆り立て、名聞名利の鬼にしたのである。とくに日達上人に対しては、自分に相承を譲らなかったという恨みから、徹底して上人の事績を破壊する暴挙に出た。正本堂、大客殿、六壷、大化城等々、日達上人の代に精魂込めて建立された近代建築は無残に破壊され、日顕が願主となった京なめりの邪宗寺院と見まがうがごとき木造建物で、いまや本山は埋め尽くされようとしている。また必要もなく大学もどきの宗門の大学科をつくって「創立者」気取りを演じたり、日達上人の戒壇論を否定して己義を唱えたりと、とにかく自分の名を後世に残したいばかりに、あさましい限りの横暴を働き続けているのが日顕である。 |
ここで貴殿らは相も変わらず、本性丸出しの実に下品下劣極まりない言辞と、欺瞞に満ちたストーリーを臆面もなく作り上げ、御法主上人を誹毀讒謗している。本宗から離脱したとはいえ、一時は袈裟・衣を着けていた身が、こうも品性下劣な人非人であったとは、呆れ果てて話にもならない。
貴殿らは「自分の名を後世に残したい」というが、それはむしろ池田大作のことではないか。大作に帝王願望があることは、宗門人、否、世間大方の認識の一致するところであるが、それが異常な程の自己顕示欲となっていることは明らかである。例えば会館の名称である。戸田二代会長が生前に自分の名前を冠して「戸田会館」などと呼ばせたことがあっただろうか。それに対し、大作は「池田文化会館」等々、なんと「池田」の名をいくつもの会館に冠して、自らを誇示している。このような自己顕示欲は尋常ではなく、並外れた勲章漁りと相まって、恐らくは世界一の名誉欲の亡者であろう。御法主上人がいつどこで宗内の建物に自らのお名前を冠したか。貴殿らの言葉はそのまま池田大作に告げてやるべきである。
また貴殿らはここでも「日達上人は猊座を譲る気などなかった」「自己申告で勝手に猊座についてしまった」などと、偽法主論を振り回しているが、先に述べたとおり、では日達上人は誰人に血脈相承なされたのか回答せよ。
(本書四頁以下参照)
次に、正本堂等の建築物についてであるが、まず正本堂は池田大作の邪念・慢心が具象化した堂宇であり、また創価学会変質の機縁となった建物であることは論をまたない。謗法と化した創価学会が、御法主上人をはじめ宗門に対し、あらん限りの誹謗中傷をしている現状に鑑み、諸悪の根源と化した正本堂を解体することはむしろ当たり前のことである。つまり、正本堂の解体とは、単なる建物の解体の意味だけではなく、池田大作らの邪念・慢心の根底にある、戒壇に対する執着とその己義をも解体したものであり、暴挙どころではなく、宗祖日蓮大聖人も必ずや御嘉納あそばされるところの、三大秘法の正義恢復の快挙というべきである。
また、大客殿については、阪神大震災が機縁となった耐震上の問題からの建て替えではあるが、その阪神大震災の因縁が創価学会の大謗法と深い関係があることは、曽て宗門より創価学会に対して破折の鉄槌が加えられたとおりである。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の譬えもあるが、池田創価学会とその一味の無慙な姿は、誠にこのとおりである。
次に六壷の建て替えと大化城の解体による大客殿前の広場整備は、共に大石寺開創七百年の記念事業である。その六壷の新築落慶法要には池田大作も参加し、しかも、「ロク壷」と、とちりながらも汗を拭き拭き祝辞まで述べたではないか。また、大化城を解体し整備した大客殿前の広場に大がかりな会場をセットし、喜々として大石寺開創七百年慶祝の文化祭を行ったのはどこの団体だったのか。
さらに、宗門の大学科は他宗の大学と異なり、未来の竜象が、それこそ摧尊入卑の恐れなく、安心して正統教学が学べるところに最大の利点がある。これこそ宗門長年の夢であり、それを御法主上人が実現あそばされたのである。この宗門の大学科、法教院の入仏式には、秋谷栄之助らも出席し、真顔で祝辞まで述べたことを忘れたのか。
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そして今度は「立宗七五〇年」にあたって教学上の新見解なるものを発表し、さらなる自己宣揚を企んでいる。今回、日顕は堀日亨上人が編纂された「御書全集」が宗門の伝統を無視している、などと声高に中傷しているが、大学匠の日亨上人を超え、宗史に名をとどめたいという日顕の醜い欲望がいやらしいほどそこに見えている。じつに日顕の「立宗二回説」は、偽法主だからこそ「中興の祖」になって周囲を見返したい、という日顕の邪念の下で唱えられた悪説なのである。そしてそれは、所化小僧に対して「キサマ、ワシをナメているのか!」と口癖のように叫びながら中啓で頭をたたき続けるほどの、日顕の異常なコンプレックスの産物に他ならない。 御聖訓に「摩訶止観」を引かれて、修羅道とは「其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し」(御書四三〇n)とあるが、日顕ほどこの文にあてはまる人物も珍しい。最近、宗門のとある若き学僧が、「教学を真剣に学ぶと、今の本山のあり方に疑問がわいて仕方がない」と悩んでいたという。いやしくも正宗僧侶を名乗りながら、日顕「立宗二回説」のごとき伝統破壊の狂行に一人も異を唱えないとは、まことに宗門も地に堕ちたものと嘆息にたえない。 |
貴殿らのいう「教学上の新見解」とは一体誰の言葉か、勝手に言葉を捏造して揶揄・誹謗するのは創価学会のやり方だが、貴殿らにも遂に創価学会の毒気が骨の髄まで深入したと見える。御法主上人は「開宣大法要」において、何も日亨上人が宗門の伝統を無視しているなどとは一言も仰せられていない。すでに述べたごとく、明治の『高祖遺文録』以来、他門の御書が皆「三月」を「四月」に改変したこと、『御書全集』もその流れの中で「四月」を踏襲していることを事実に即して仰せられたにすぎない。
今回の三月二十八日の「開宣大法要」における宗旨建立二回説について、宗内に一人も異を唱える者がいないということは、取りも直さず、宗内僧俗が御法主上人の御指南が正当であると信伏随従し奉っている証左であり、三月二十八日と四月二十八日の二回に亘り、深く仏恩報謝が行われたのは、これにすぎる報恩行はないのである。したがって、日顕上人に対する「『立宗二回説』のごとき伝統破壊の狂行」などという貴殿らの誹謗は当たらない。
それ以外の悪口雑言は悉く真実を歪曲した憎悪の産物であり、反論にも値しないものである。