元より、石山も含め、宗祖、各門家全般に、宗旨建立四月説に加え、三月説が存したという事実は動かし難く、我々もそれを云云する意図は毛頭ない。がこう言った現象が由来する淵源として、少なくとも、二つの点が考えられると我々は拝する。一つは眞蹟、録内、録外を問わず、宗祖の遺文自身に、三月・四月の両説があったことに由来する場合、もう一つは記録された遺文ではなく、宗祖自身の口述(口伝)が伝承され、後にそれ等が記録されたものに由来する場合である。

 ここで貴殿らは、最も肝要であるべき「一つは眞蹟、録内、録外を問わず、宗祖の遺文自身に、三月・四月の両説があったことに由来する場合」を自ら挙げているが、以後において正当な論及は全くなく、「三月」説はあたかも口伝のみの伝承であるかのごとく曲論している。誠に欺瞞も甚だしいというべきである。

 因師が「三四会合抄」で、「六老僧等の直聞の方々は多く三月二十八日を取る也。」(中巻三十七丁)と言っているのは、この後者の場合、つまり宗祖の口述(口伝)の伝承されたものに由来する例を示したと拝し得る。
 因師より17年後に述された「高祖年譜攷異」(安永八年・一七七九年著)にも、宗祖の遺文と、口述(口伝)を合体させてはいるものの、口伝が三月開宗説の由来になった旨を次の如く述べている。「霊記、國字傳、紀年、付属書註釈、皆、三月開宗卜曰フハ、是レ清澄大衆三十三―十九、大白牛車外五―四十、南部外二十五―三十三、宗要、妙経口傳上二十二ノ五書ニ依ル也。」(「日蓮上人伝記集」、年譜攷異P28)と。

 貴殿らは三月宗旨建立説が口伝によることを日因上人の『三四会合抄』中の「直聞」の語を根拠としているが、この直聞とは必ずしも六老等への直接の口伝があったことを意味するものではない。
 次に貴殿らは、「口伝が三月開宗説の由来になった旨を次の如く述べている」として、『年譜攷異』の記述を、「三月」宗旨建立説は口伝以外にないことの文証として引用しているが、正当に当該箇所を読解すれば、貴殿らの会通は誤謬であることが明白である。すなわちこの『年譜攷異』の当該箇所は、「霊記、國字傳、紀年、付属書註釈等」が宗旨建立について三月説の根拠としているのは、『清澄寺大衆中』『大白牛車書』等の「御書」であるという指摘ではないか。貴殿らの口伝を根拠とするというような解釈は金輪際当てはまらず、狡猾な詭弁というほかない。

無論、この中の宗要つまり本門宗要抄を偽書と断じていることは、言う迄もない(同P10)。
 今、この口述(口伝)の場合は後の機に述べるとして、宗祖の御遺文を依拠として三月四月両説を論断する場合、常にそこに大きな壁が立ちはだかっている点を見失ってはならぬのである。つまり、遺文の眞偽問題と、更に眞蹟と雖も現存と曾存の問題、その上に、眞蹟不存の場合でも、後世の編集転写による録内(宗祖一周忌編との伝あり)、録外(宗祖一周忌以降の編との伝あり)にしても数種の異本がある等の複雑な問題が伏在している。ならば、宗祖遺文に依る三月四月説の限界性を宗祖自身の口述(口伝)が補え得るかと問えば、それも一概に言い切れぬ問題が存する。
 口述・口伝が伝承される過程で記録・文献化され、所謂、文献としての相伝書として固定化してしまうが、その扱いは真偽という一点に於いて、宗祖遺文の真偽判以上に複雑な問題が介在してくるからだ。貴殿が法話で天下の宝刀の如く、引用した、「御義口伝」及び興師自筆と伝えられる「安国論問答」も、堀上人が既に指摘する如く、部分・全体を問わず、その真偽という点で今後更なる考証の余地が充分残されている。後の機会に譲ると言う所以は此にある。

 貴殿らは得意げに恰も学術的論証でも試みているつもりかもしれぬが、その姿勢自体が明治以降の仏教学者に見られる文献至上主義に傾倒し切ったものであり、このような態度が仏法の真義を明確にする上で、大きな誤謬を生む危険性を孕んでいることを認識すべきである。
 すなわちこのような研鑚姿勢は身延日蓮宗の御用学者で、祖書学を提唱した浅井要麟らに見られる文献至上主義的傾向である。こうした文献学的研究は、大聖人の教義に対する偏向した邪義を正当化するための手段ともなりうることに十分注意しなければならない。
 御書が真撰かどうかを判定することは、血脈相伝の信心をもととした深い教義的素養が必要となる。単に文献学的側面のみをもって真偽を判断することは、主観的立場から都合の悪い記述が存在する御書のすべてを偽書としかねないという弊害が生ずるのであり、その例証として浅井らは、宗祖本仏に異義を唱える立場から、宗祖本仏義に関連する思想のある御書につき、偽書、または疑義があるとして、その価値を貶めているのである。
 貴殿らは『御義口伝』並びに『安国論問答』に対し、恰も日亨上人がその真偽について疑義を呈されていたかのごとく述べているが、かかる疑難は完全に貴殿らの捏造である。すでに述べたごとく、『安国論問答』に関する日亨上人の御指南の意味は、貴殿らの指摘とは全く異なるものであり、スリ替えが明らかである。
 その当該箇所は、『安国論問答』を「池上邸における安国論講義の筆記」そのままとすることに対して「考究の余地」があることを提示されただけのことであって、日興上人の御真蹟として真偽に問題があるとは一言も仰せではない。(本書九〜一一頁参照)
 現に当事者である日亨上人が、総本山に厳護される『安国論問答』の正本の表紙に「開山上人安国論問答」と自らの御筆でお認めになられている。そのように日亨上人が『安国論問答』の日興上人御直筆について疑義を呈された事実などは全くないのであり、嘘言もほどほどにせよといいたい。
 また貴殿らは何を血迷ったか、『御義口伝』に関しても、日亨上人が疑義を提起しているかのように述べている。日興上人の御筆記の真偽について考証の余地があるなどというのは身延派等の疑難であり、そのような疑難を日亨上人がされた事実はないのである。
 貴殿らの邪難は、宗旨建立について「三月」と記述される御書の抹殺を企図したものであり、彼の浅井要麟ばりの悪意の文献批判と同轍であると断ずる。御開山日興上人の「御抄何れも偽書に擬し」との御遺誡を恐るべきである。

 さて、宗祖御遺文に就き、四月説は、「聖人御難事」(中山所蔵)、「諌暁八幡抄」(石山所蔵)いずれも、眞蹟が現存して居り何ら問題はない。が、三月説に就いては、その依拠となる眞蹟が曾存であったとしても、現存する眞蹟は皆無という決定的な欠点がつきまとい、過去の三月説の論断には常に疑念が残る所以は此処にある。石山に於いて、因師以降、三月四月の両説の顕著な論断は見られず、近年に入り、昭和30年八月の日淳猊下の三月四月両説の論断があるのみである。
 その講説に接した小川慈大師は、翌31年、率直なその感想を「確然たる論断に接し得なかった。(略)注、堀米猊下は虚空蔵菩薩縁日を重視して、三月説正意欺(か)との主意であった。但し、その何れかを論断し難い。」(小川慈大遺稿集本)と述べている。
 貴殿は、今回の法話に於いて、尻尾はつかませないとの意図からか、実に回りくどい晦渋な表現で三月説を主張しているが、あの碩学、日淳猊下でさえそうであった様に、古来から三月説論断につき纏う「依拠の眞蹟皆無」という決定的な問題から逃れることはできない。貴殿は、法話の中で、三月説の依文として、「清澄寺大衆中」「大白牛車書」「御義口伝」「破良観御書」の四書を挙げて居る。この中、御義口伝は、宗祖、御口述の興師筆受であり、「破良観御書」は、眞蹟不存の身延山録外であるから論外としても、眞蹟曾存の「清澄寺大衆中」「大白牛車」の二書、及び「御義口伝」を加えた三書に就いて、貴殿は、明治以降の発行の他門の御書、更に自門石山発行の「御書全集」等は、古来の所伝の「三月二十八日」を「四月」に改変したと、改変の根拠には微塵も触れず悪意さえ込めて、但だ漠然と述べている。

 ここでも貴殿らは御法主上人が「三月説を主張している」といっているが、何度もいう通り御説法の要旨は、三月と四月の二度に亘って宗旨建立の御振る舞いがあられたことを御指南なされているのであり、貴殿らの邪難は全く故意の言い掛かりにすぎない。
 要するに貴殿らが様々に策略を巡らして宗旨建立三月説を全面否定せんとするのは、御法主上人猊下が「開宣大法要」を修されて、三月と四月に亘る宗旨建立の深義を明確に御指南あそばされたことに対する、池田大作の嫉妬をもととした怨嫉謗法に振り回されているだけのことである。
 第六十五世日淳上人の御指南は、宗旨建立について三月か四月かのいずれかに断定されていないだけのことであって、三月説を否定されているのではなく、また真蹟の有無により断定を避けられたものでもない。
 先にも述べたが、御書を拝する上で重要なことは、当該御書が大聖人の真撰であるか否かということであり、御真蹟が存在するかどうかということではない。(本書九頁参照)
 御真蹟が存在せずとも、当該御書が大聖人の真撰であれば、その内容には御本仏日蓮大聖人の御心が籠もっているのであり、深く拝信すべきである。古来、明らかな真撰である『清澄寺大衆中』について御真蹟が存在しないことを奇貨として疑義を呈し、その内容を否定するのは不相伝家のお家芸そのままである。
 また延山録外ではあるが、内容的に何ら疑わしいところがなく、大聖人真撰の御書として全ての御書に収録されている『破良観等御書』を、御真筆の不存在を理由に論外として斥けるとは呆れ果てた心根である。現に『御書全集』で六頁(四千四百字余)程の同書を、学会版の講義には、実に百二十頁以上にも亘って入念に記述している。その御書に対し、貴殿らのごとく疑義を呈することは、思えば「御書根本」を標榜する池田大作や創価学会が叱りつけて当然である。しかるに今日、貴殿らの拙論をいたく称揚する大作や幹部らは、汚い思惑にとらわれる故に本音も吐けず、ただ誉めることしか能がなくなっているのである。
 いまさらいうまでもないが、これら「三月」宗旨建立の依文となる『清澄寺大衆中』『大白牛車書』『破良観等御書』の三書が真撰であることは揺るぎなく、日興上人筆受『御義口伝』もこれに準ずるものであり、したがって御真蹟の存する四月説の御書と同等に扱うべきことは当然である。
 次にまた「貴殿は明治以降の発行の他門の御書、さらに自門石山発行の『御書全集』等は、古来の所伝の『三月二十八日 』を『四月』に改変したと、改変の根拠には微塵も触れず悪意さえ込めて、但だ漠然と述べている」と難癖をつけているが、日蓮正宗機関誌『大日蓮』の五月号に掲載されている御説法中、五十三頁以下をよく読むべし。そこには、他門において、「三月」宗旨建立と記載されている御書を「四月」に改変した理由が明白に述べられているではないか。
 他の説を批判したいなら、その前に、まずその説をよく読んでしかるべきであり、そのようなことは小学生でも心得ている常識である。しかるに貴殿らはただ悪口をいいたいだけで、御法主上人の御説法をまともに読んでいないから、かかる恥知らずな言い掛かりを平然とつけられるのだ。まさに貴殿らは、小学生以下の低レベルの徒と断じておく。