次に我々が問い糺したいのは、宗旨建立日「28日」に関する貴殿の論断である。兼ねてより「まだ誰も言ったことがない」(一月三十一日発言)と自ら吹聴し、事前に鳴り物入りの宣伝をしていただけに、我々も、宗内も尋常ならぬ興味を示し、法話を待ち望んだのは確かである。だが、法話に接し、その立論の根拠が、「蓮公薩略伝」(祖滅285年)・「註画讃」(祖滅223年)「元祖化導記(祖滅197年)」と知り、正直な処、宗内は無論、我々も開いた口が塞がらぬ。
 絶対に有り得ぬ話だが、仮に貴殿が石山の師資相承を受けたとして、その貴殿が、宗旨建立という宗祖にとって重大な事跡を「二十八日」に敢えて撰定された意義を立論するに際し、祖滅一九七年以降に成立した他門の伝記に依拠するとなれば、石山の唯授一人の相伝とは一体何なのかと真剣に問わざるを得まい。宗内よりは失望の声止まず、宗外よりは、所詮、石山の相伝などとは、あの程度と、歯牙にも掛けられず、改めて失笑の的となるのは明らかだ。

 唯授一人の相伝を誹謗する根拠として「他門の伝記に依拠するとなれば」と定義しているが、他門の伝記に依拠したとの主張は全くの事実無根である。御法主上人の御説法には明白にその根拠が『清澄寺大衆中』であることが挙げられている。また、『註画讃』等は二十八日に関しての参考までに挙げられたものであり、その御説法中に、「『註画讃』でこれをまとめたものとすれば、その根拠は必ずしも明確とはいえず、これによって虚空蔵の奇瑞が二十八日とは確定はできません」とはっきり他門の史伝書に依拠していないことを述べられているではないか。お門違いな中傷に呆れ返る。しかるに、かくいう貴殿らこそ、不正確な他門の伝記を頼みとして、この『糺問の邪難』の論拠としていることは、言い繕うことのできぬ自己矛盾であるといっておく。

無論、宗祖の伝記は、自門他門を問わず、成立の新古に拘わらず、内容が真実か否かによって、取捨される可きであろう。

 貴殿らは知識人を装って、宗祖の伝記は「成立の新古に拘わらず、内容が真実か否か」などといっている。貴殿らの引いた『年譜攷異』等他門の文献は、先に指摘したとおり真実に反している。したがって自らその論を捨てるべきである。伝記類は一般的に古いものほど史的価値があるというのが文献学の常識である。貴殿らにとって都合の悪い御開山日興上人の『御義口伝』や日道上人の『御伝土代』、また、日朝の『元祖化導記』の史的価値を、窃かに堕とそうとしている意図がまる見えである。

 しかし、貴殿が依拠した「蓮公薩略伝」「註画讃」の二書は、共に史界に於いて事実に潤飾多しと酷評され、史的資料としての価値は疑問視されている代物である(辻善之助・前掲書Pl〜P3)。

 大聖人についての種々の伝記が「史界に於いて事実に潤飾多しと酷評され」ていても、何ら御説法の内容に影響を与えるものではない。なぜなら先にも述べたように、御法主上人猊下は、『註画讃』及び『蓮公薩略伝』を立論の依拠とは全くされていない。単なる参考として紹介されているのみであり、「貴殿が依拠した」などの莠言をもって誣うるのも、いい加減にせよ。

他門に於いては、現存する宗祖伝記中で最古と言われる「元祖化導記」にしても、宗祖遺文を最終の依拠とし、事実に飾少しとして、史的価値を一往評価されていると雖も、「延應元年己亥十月八日、聖寿十八歳出家説」(日蓮上人伝記集・元祖化導記上P14)を採用し、更に「建長五年閏三月説」(同P17・18)を主張する等、後世の宗祖事跡に就いての史的考証からも明らかな事実誤認が指摘されている(辻善之助・前掲書P7〜P11)。「略伝」や「註画讃」を依拠とし虚空蔵への立願に対し、宗祖がその奇瑞の感得を得た日が「28日」であったなどと推断するなどは、凡そまともな神経を有する者なら為し得ぬ業である。

 「凡そまともな神経を有する者なら為し得ぬ業である」とは、まさに貴殿らのことである。何度も述べるが、御法主上人猊下の依拠されているものが『略伝』や『註画讃』ではないことは、御説法に明らかである。まともな神経の持ち主ならば、ここまでの読み誤りはできようもない。これは貴殿らの悪事のなせる業である。
 御法主上人には、大聖人が宗旨建立を二十八日に定められた理由につき、『開目抄』『破良観等御書』、さらには『清澄寺大衆中』の御指南を紙背に徹して拝された上で、甚深の御指南をあそばされたことはすでに述べた。
 なお、『元祖化導記』は聖滅百九十七年に身延の日朝が著した宗祖伝で、他門の伝記中では最古のものである。内容的に一長一短があることは否めないが、宗旨建立について三月としている記述に関しては、身延の歴代として『清澄寺大衆中』の御真蹟を拝し得る立場にいたのであるから、十分信頼できるものといえる。

「まだ誰も言ったことがない」と自讃していたが、誠に尤もな話で、貴殿の様な悩乱の仁でなければ到底思い付かず、言い得ぬ珍説と断ぜざるを得ぬ。それのみならず、許し難いのは、貴殿はこれ等伝記三書を引用しなから原典に當っていないと言う失態を図らずも法話を通じて晒してしまっている点である。
 虚空蔵への立願に呼応し、宗祖が虚空蔵より感得の奇瑞を得た日が、まさしく「28日」であったと論断する唯一の論拠として、貴殿は「蓮公薩略伝」中の付録年譜にあるとして左の文を引用している。「延応元年 師得度十八才、十月八日(乃至)智を虚空蔵に祈ること三七日、夢に六十余の耆宿、右手に明らかなる星の如き宝珠をフげ吾に授く」(大白法)と。が右引文は、略伝の付録年譜(正式には「蓮公大師年譜」)の何処にも見當たらずその文は正しく「註画讃」の文である。今回の法話に於いて、貴殿にとっての焦点は「二十八日の深義」のはずであり、その依文として用意した伝記三書の原文に当たることもせず、引用も三書を混同して支離滅裂という失態は、聴衆の宗門人を愚弄していると言う以前に、貴殿自身が物に狂い、悩乱したと断ぜざるを得ぬ。いずれにせよ「註画讃」及び「略伝」にある「延應元年己亥十月八日得度、師十八歳」との説は、先駆する元祖化導記の「延應元年己亥十八歳出家、或記云十月八日御出家也」(日蓮上人伝記集・元祖化導記P14)の一文を踏襲したのは間違いない。が昭和十年に金沢文庫で発見された宗祖自筆の授決圓多羅義集唐決上巻に依り、その奥書中、「是聖房生年十七才」との文から、古来より十六歳・十八歳の両説ある出家説の内、宗祖十八歳出家説は完膚なく斥けられている(辻善之助・前掲書P7〜P9)。
 当然、十月八日虚空蔵に立願を始め、三七日満じた十月二十八日明星の如き宝珠を感得したとの「註画讃」の説などは、木っ端微塵に吹き飛んでしまう。

 貴殿らの悪辣さには呆れ果てる。繰り返し述べたごとく、御法主上人猊下は他門の伝記類を依拠とはされていないのである。その悪辣さを打ち破るために、御説法中のお言葉を次に摘示する。御法主上人は、二十八日について、
@まず大聖人様が宗旨建立に当たり二十八日という日を何故に選び給うたのかということより考えるべきと思います。
A重要な意義を拝されるのが、冒頭に拝読した建治二年の『清澄寺大衆中』の文であります。
B正文書たる先程拝読した『清澄寺大衆中』の御文を直接に徹して拝するとき、大聖人様がなぜ二十八日をもって宗旨建立の日と定められたかの理由を、まさにお示しになっていると拝感するものであります。
と仰せられ、次に『註画讃』『蓮公薩略伝』については、
@おそらく古伝記の寄せ集めから成ったものと思われます。
Aその根拠は必ずしも明確とは言えず、これによって虚空蔵の奇瑞が二十八日とは確定はできませんが、かかる発想の意味はありうると思います。
と仰せである。
 以上のお言葉のごとく、御法主上人は、『清澄寺大衆中』を根拠とされているのである。他門の伝記類を挙げられたのは、単に紹介されているにすぎない。故に、貴殿らが他門の伝記類の文献批判をどれほど行っても的外れで、御説法に疵はつかないのである。貴殿らは「狂った神経」を持っているものだから、御説法の誹謗中傷に結び付けようと、必死に駄文を書き付けることになるのである。
 なお、『蓮公薩略伝』の『付録年譜』を『註画讃』と訂正する件については、貴殿らの指摘以前に御法主上人の訂正指示がなされている。

祖滅498年に成立した「高祖年譜」・「攷異」がこの新発見を待たずに、古来より十六歳・十八歳の二説ある出家説の内十八歳を斥け、十六歳を論断している点、その史的考証の精確さに驚きを禁じ得ぬ(日蓮上人伝記集・年譜攷異P10)。

 貴殿らは、いかにも正確に文献を取り扱っているかのごとく思わせるが、ここでもボロが出ている。貴殿らが「精確さに驚きを禁じ得ぬ」と讃歎する『高祖年譜攷異』は、その杜撰な頭では誠にすばらしい書であろうが、事実は先に述べたごとく不正確な部分が多々存在するだけではなく、特に御書の系年は随所において間違いだらけである。貴殿らの教学が付け焼き刃であることは、このような書を師範として得々としていることにより証明されるのである。

 因みに山川氏は、江戸期前後に成立する伝記類に疑念を呈しつつあく迄宗祖遺文のみを總合し、虚空蔵への立願開始時を十二歳、明星寶珠の感得の奇瑞を十六歳願満の時と領会し得るとした上で「彼の十六歳又は十八歳の立願、三七・二十一日の断食といふが如きは、その後世の造作たるを知り得べきである」(法華思想史上の日蓮上人P468)と論断している。

 貴殿らは「溺れるものは藁をもつかむ」とばかり、御法主上人の説法に反論できそうな材料を探した挙げ句、ここでは山川智応の説を挙げているが、山川智応の説は所詮、山川智応個人の意見にすぎず、御法主上人の御説法を否定する論拠には全くならない。

兎も角、貴殿の「蓮公薩略伝」等を引用しての「二十八日の深義」を拝聴して、宗内からは「下手な推理小説を聴く様だ」と辛辣な酷評が後を断たぬ。我々にすれば貴殿は、世間通俗の所謂「日蓮大菩薩」と称する講談本や浪曲本の読み過ぎと、邪推せざるを得ぬ。
 而も、せっかく用意したと思われる伝記三書もその原文に當たることもなく、引用も支離滅裂で、見て来た様な嘘を並べ立てる貴殿の所業は、講釈師も顔負けである。以上、貴殿の法話の基本的な問題点を指摘し了えた。

 欺瞞と低レベルな内容に終始した自らの愚難を省みず、「貴殿の法話の基本的な問題点を指摘し了えた」とは、まさに増上慢・僣越の極みである。御法主上人の御説法中の「二十八日」に関する根拠は、貴殿らが誣言する枝葉末節の伝記等にあるのではない。あくまでもその根拠は『清澄寺大衆中』の御文である。今年一月の唱題行最終日のお言葉の中に、
「私は、この本年の唱題行において数々の、実に有り難く不思議な体験をさせていただきました。そのなかで特に、一月二十八日の唱題行において不思議な心感を得たのであります」(大日蓮六七三―五〇頁)
と仰せられているように、一月二十八日に御法主上人猊下が感得せられた覚悟が、「開宣大法要」の御説法のもととなっているのである。
「大聖人様が宗旨建立の日を何故に二十八日とお決めになったのか(中略)何故に大聖人様が、特に二十八日を選ばれて宗旨建立をあそばされたのか(中略)二十八日が大聖人様にある特別な理由がおありだったのではないか」(同五三〜四頁)
と感ぜられ、改めて『清澄寺大衆中』の御文を拝されて、確証を深められたのである。故に『清澄寺大衆中』を中心とする御書を文証とされ、血脈相伝の上からの御考察を理証とされている。他門の伝記類などは立論の文証とはされていない。御説法をよくよく拝読すべきである。