二、大石寺門流の信仰における唯授一人相承の意義≠破す


 大石寺門流の信仰にとって、歴代法主による唯授一人相承はいかなる意義を持っているのだろうか。現存する史料を整理すると、以下の観点が見出される。
 まず大石寺の唯授一人相承は、門流僧俗にとって根本の信仰対象となる「本門戒壇の大御本尊」(以下、戒壇本尊と略示)の護持継承を主たる目的としている。大石寺開山の日興が三祖の日目に宛てたとされる「日興跡条条事」には「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を授与す」(歴全196)とある。また織豊時代の一四世・日主は、「日興跡条々事示書」の中で「大石寺は御本尊を以て遺状成られ候、是は則ち別付属唯授一人の意なり。大聖より本門戒壇の御本尊、興師従り正応の御本尊法体の御付属、末法日蓮・日興・日目血脈付嘱の全体色も替らず其の儘なり」(歴全1459)と記し、現存する公開史料の上で初めて「本門戒壇の御本尊」のことに触れるとともに、その戒壇本尊が大石寺の唯授一人相承の法体であることに言及している。その後、およそ近世・近代の歴代法主は、戒壇本尊が血脈相承の法体であることを高調してきたと言い得る。
 ところで、戒壇本尊の護持継承にあたっては、当然のごとく本尊義の相承も行われる。九世・日有は「本尊七箇・一四の大事の口決有之」(「有師談諸聞書」、要2160)と語ったとされ、二二世・日俊も「当寺は本尊口決の相承とて、日蓮聖人より興目代々の相伝あり、其の上に岩本開山日源の□□興師随逐して三度の相伝あり本尊七箇の口決あり」(「弁破日要義」、歴全3242)と記している。さらに近世宗門では、本尊義の相承が「一大事の秘法」の授受として表現されることもあった。例えば、三五世・日穏が記した血脈相承の実施記録の中に「元師云く日蓮が胸中の肉団に秘隠し持玉ふ所の唯以一大事の秘法を唯今御本尊並元祖大聖人開山上人御前にして三十五世日穏上人に一字一間も不残悉く令付嘱謹て諦聴あるべしとて則一大事の秘法御付嘱あり」といった記述がみられる。日寛の「文底秘沈抄」に「教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門本尊の御事なり、是則釈尊塵点劫来心中深秘の大法の故に一大事の秘法と云ふなり」(要393)とあるごとく、大石寺教学の文脈において「一大事の秘法」とは「本門本尊の御事」を指している。ゆえに「一大事の秘法」の授受は、口頭による本尊義の伝授を意味するわけである。
 では、こうした本尊義の内容とは一体いかなるものか。それは、一つには宗祖・日蓮が示した「三大秘法」(本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目)に関する宗門独自の教義であり、今一つには曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義であると考えられる。
 三大秘法に関する宗門独自の教義に関しては、九世・日有からの聞書に「日目の耳引法門と云ふ事之有り・本尊の大事なり三箇の秘法なり、其の中には本門の本尊なり」(「雑々聞書」、要2163)とあり、三大秘法のうちで特に本門の本尊にかかわる法門の相承があることが示唆されている。江戸期に入ると、二二世・日俊が「此三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊に非ずや、其の戒壇の本尊の座す地は広布の至らざる迄は此の地戒壇に非ずや」(「初度説法」、歴全3103)と説き、三大秘法の「本門の本尊」とは「当寺戒壇の板本尊」である、と明示するに至る。そして二五世・日宥になると「其の金口相承も五大部三大秘の本尊の妙意に過ぎず」(「観心本尊抄記」、歴全3369)「大上人は三大秘を本尊と為す」(「日蓮の二字沙汰」、歴全3404)等と記し、唯授一人相承における教義継承面を意味する「金口相承」の内容が、祖書の五大部から帰結されるべき三大秘法の本尊義であることを明かしている。さらに二六世・日寛は、まだ細草檀林の学僧で覚真日如と称していた頃、元禄一二(一六九九)年に行った寿量品に関する説法の中で「祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師への御付嘱も亦是れなり」「目師より代々今に於て、廿四代金口の相承と申して一器の水を一器に写すが如く三大秘法を付嘱なされて大石寺にのみ止まれり。未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり」(要10131)等と講述し、大石寺の金口相承が「本門の戒壇の御本尊」を中心とした「三大秘法」の付嘱に他ならないことを述べている。これらの記述に明らかなごとく、大石寺宗門では三大秘法の中の「本門の本尊」を戒壇本尊とみなし、それをもって三大秘法の正体と信ずる。かくのごとき三大秘法義は、門流の信仰信条を根底的に規定するという点で、宗門の信仰上、不可欠な意義を有すると言えよう。
 悪書ではここで、大石寺門流の信仰にとって、歴代法主による唯授一人相承はいかなる意義を持っているのだろうか。現存する史料を整理すると、以下の観点が見出される≠ニ前置きし、日興上人・日有上人・日主上人・日俊上人・日宥上人・日寛上人・日穏上人等の御歴代上人の御指南を挙げ、およそ近世・近代の歴代法主は、戒壇本尊が血脈相承の法体であることを高調してきた≠ニし、そして戒壇本尊の護持継承にあたっては、当然のごとく本尊義の相承も行われ≠スと言い、その際に行われる「一大事の秘法」の授受≠ニは口頭による本尊義の伝授を意味する≠ニ述べている。ここに松岡が述べた、本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承についての見解は、松岡や創価学会が邪悪な意図をもって本宗の信仰を根底から曲解せしめようとする邪義である。
 つまり、本門戒壇の大御本尊が血脈相承の御法体であること、そして御歴代上人によって護持継承されてきたことは当然のことである。しかし、大石寺教学の文脈において「一大事の秘法」とは「本門本尊の御事」を指している。ゆえに「一大事の秘法」の授受は、口頭による本尊義の伝授を意味するわけである≠ニして、唯授一人血脈相承を口頭による本尊義の伝授を意味する≠ニするところは悪質な欺瞞である。その底意には、唯授一人血脈相承の甚深の内容から、御本仏日蓮大聖人の御内証、すなわち御本尊の法体の授受を除外し、本尊義すなわち「本尊に関する教義」の授受のみにスリカエてしまおうとの魂胆があるからである。
 悪書が、唯授一人血脈相承の意義につき、内証の法体相承を否定し、単なる教義の授受にスリカエることによって、その尊厳性を、できるだけ貶め薄めようと狙っていることは明白である。
 松岡が、なぜこのような論理を組み立てるのかといえば、要するに日蓮正宗の血脈相承を貶め、これを創価学会の教義構築に悪用せんとしているからである。そこで血脈相承の内容を、至上の尊厳性を有される御本仏日蓮大聖人の御内証の相承ではなく、教義の相承とすることによって、一般人の手の届きそうなもの、すなわち卑近なものにしようと考えるのである。教義であれば、研鑽次第では理解可能と考えるため、創価学会員の人心誘導すなわち洗脳には好都合である。邪信の者や慢心の強い者ほど、血脈相承の内容を理解可能と誤認する。故に松岡はこの論理を下地として、のちに結論であり本音である、血脈承継の法主と同等の教義理解をなし得る≠ニの慢極まる邪義を構築するのである。
 さて悪書では、戒壇本尊が血脈相承の法体である≠ニ述べるが、前述の如く、これは唯授一人の法体相承を本門戒壇の大御本尊の授受に限定して、大聖人以来の御歴代上人の御内証における法体相承の意義を否定することを目的とした誑言である。その証拠に、まず松岡の引証が切り文による誑惑であることを明らかにしておこう。松岡は日穏上人の『弁種脱体用味抄』の、
  元師云く日蓮が胸中の肉団に秘隠し持玉ふ所の唯以一大事の秘法を唯今御本尊並元祖大聖人開山上人御前にして三十五世日穏上人に一字一間も不残悉く令付嘱謹て諦聴あるべしとて則一大事の秘法御付嘱あり
との御文を引用してここで引用をやめている。これが「切り文」である。ここまでだと「三十五世日穏上人に一字一間も不残」との中の「一字」の語によって、第三十三世日元上人から第三十五世日穏上人への御付嘱の一大事の秘法の御事が、御法門・教義のみであるかのような錯覚が生じるが、この箇所は次下に、
  並開山日興上人、日目上人、日有上人等御箇條の條々不残御渡あって、さて元師の言様、此の秘法を胸中に納め玉ふ上は、日蓮、日興日目、乃至日因上人、日元、其許全体一体にて候。就中、日穏には、当今末法の現住、主師親三徳兼備にして、大石寺一門流の題目は皆貴公の内証秘法の南無妙法蓮華経と御意得候へとの御言也
と御指南されているのであって、日元上人は、日穏上人が「此の秘法を胸中に納め玉ふ」ことによって、大聖人日興上人以来の御歴代上人の全体と一体の不思議な御境界となられていることを述べられている。そして日蓮大聖人と同じように主師親の三徳兼備のお立場に立たれていることも示されている。松岡には、これが非常に都合が悪いので、この部分を隠しているのである。しかしこれは、『南条殿御返事』に、
  教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。(新編一五六九頁)
と御指南されるところと全く同じであり、日蓮大聖人の御胸中にまします一大事の秘法が、血脈相承によって第三十五世日穏上人の御胸中に承継されていることを示している。このように御歴代上人の御胸中、すなわち御内証には、日蓮大聖人と同じ一大事の秘法を「隠し持」たれていることを拝信しなければならない。
 これは三世常住の日蓮大聖人が久遠元初より所持される不思議な法体である人法一箇の妙法蓮華経なのであり、自分自身の過去世すら分からない現代人の頭や常識で認識・判断できるものではないことを知るべきである。これを信ぜずして、仏法を単なる知識や御法門のように考えるところに、松岡ら離脱僧や創価学会のような仏法不信の謗法が芽生えるのである。
 さらに考えねばならないことは、日顕上人の『観心本尊抄』御説法に、
  「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」(全集一五七八頁)という御文がありますが、この「一大事の秘法」としての法体は何であるかが大切なところです。
 法というものは法だけがあっても、それを悟る方がいなければその値打ちが現れず、衆生に示すこともできません。だから仏法の法という存在にはそのまま、それを悟るところの因果の筋道が存するのです。名・体・宗・用・教の五重玄はそれを示しております。名は妙法蓮華経であり、体は融妙不可思議な実相の内容、それに対しよくそれを身に宛てて行じ体現するのが宗であり、その究竟のところから無縁の慈悲を起こして衆生を導くのが用です。故に体・宗・用ということは法に即する人の意味であります。いわゆる妙法蓮華経は法即人、人即法、したがってそこに「人法一箇」という意味が存するのです。ですから人法一箇の上の妙法蓮華経が三大秘法惣在の妙法蓮華経である。(大日蓮 平成元年八月号四六頁)

と御指南されるように、この「一大事の秘法」は、人法一箇の妙法蓮華経であり、その名・体・宗・用・教の五重玄のうち、体・宗・用には人の意味が存するのである。『百六箇抄』に、
  法自づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し。(新編一六八七頁)
と説かれる、法に即する人の徳も、この筋目からのお示しなのである。故に、日蓮大聖人の御入滅後も「一大事の秘法」の妙法蓮華経は、御歴代上人が相伝をもって御内証に所持されるのである。したがって、その御内証の妙法蓮華経には、当然法に即する人の意義としての体・宗・用が存するのである。
 さて、この「一大事の秘法」は日蓮大聖人が悟られただけで御胸中に秘されたままならば、一切衆生はこれを拝することができない。そこで日蓮大聖人は大慈大悲をもって、この法体を御化導のために顕されるのである。このことについて日顕上人は、
  末法御出現の本仏・宗祖日蓮大聖人の寿量文底本因本果一念倶時証得の妙法蓮華を衆生施化のため、三大秘法とお仕立てあそばされたことにより、一切衆生即身成仏の要道が確立したのであります。(大日蓮 昭和五六年一一月号五六頁)
と御指南されている。このように日蓮大聖人は御胸中の人法一箇の「一大事の秘法」の妙法蓮華経を、一切衆生の御化導のために三大秘法総在・本門戒壇の大御本尊としてお仕立て遊ばされたのである。
 したがって、大御本尊の御内証は、日蓮大聖人と全く同じ、法即人・人即法・人法一箇にましますが、もし人法相対、すなわち人の日蓮大聖人と相対するときは、人即法の法本尊である。これに対し、日蓮大聖人は法即人の人本尊にましますのである。このように、本門戒壇の大御本尊の御内証と而二不二にまします「一大事の秘法」を、日蓮大聖人より血脈相承されるのであるから、日興上人以下嫡々御歴代の御法主上人の御内証には、「一大事の秘法」即ち人法一箇の御本尊の法体がましますのである。故に、『御本尊七箇之相承』に、
  代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。(聖典三七九頁)
と、御法主上人の御内証の深意を示されるのである。
 これを要するに、本門戒壇の大御本尊は法体の根幹にましますのであり、その御内証と御法主上人の御内証が而二不二であるところに、人法一箇の御本尊の法体が存するのである。
 悪書が、戒壇本尊が血脈相承の法体である≠ニ規定した上で、大石寺宗門では三大秘法の中の「本門の本尊」を戒壇本尊とみなし、それをもって三大秘法の正体と信ずる。かくのごとき三大秘法義は、門流の信仰信条を根底的に規定するという点で、宗門の信仰上、不可欠な意義を有すると言えよう≠ニ言い、御法主上人御内証の法体相承を否定することは、唯授一人血脈相承の人即法・法即人・人法一箇の「一大事の秘法」たる法体を無視するものであり、日蓮大聖人の仏法を紊乱する大謗法であると断ずる。
 次に、曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義は、以前は法主のみが管見可能だったが現在は出版公開されている「御本尊七箇相承」「本尊三度相伝」の記述などからうかがい知ることができる。それらの教義はいずれも、歴代法主が宗祖・日蓮の意を汲んだ本尊書写を行うために必要とされたのであろう。門流僧俗の帰依の対象たる戒壇本尊は古来、宗門の秘仏とされ、広布の日までは特別に内拝が許されるのみとされている。しかしながら、歴代法主が「分身散体」の意義から戒壇本尊の内証を書写して僧俗に授与することにより、門流の人々は寺院や家庭で戒壇本尊の当体に直接触れることができた。二五世・日宥の「観心本尊抄記」に「無始の罪障消滅戒壇の本尊を代々上人之を写し我等に授け給へば我等が己心の本尊を眼前に顕し給へると無疑曰信明了曰解と信心第一也」(歴全3374)とあるごとく、秘仏たる大石寺の戒壇本尊を歴代法主が書写して檀信徒に授与するという化儀は伝統的に存在したことが史料上でも確認される。その意味で、曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義を歴代法主が継承していくことは、やはり門流僧俗の信仰にとって不可欠な意義を持っていたと言わねばならない。
 ここでは一応、歴代法主が「分身散体」の意義から戒壇本尊の内証を書写して僧俗に授与することにより、門流の人々は寺院や家庭で戒壇本尊の当体に直接触れることができた≠ニしている。この見解は本宗の正解と見紛うものであるが、本当にそのように考えているのなら、松岡のような言動が生じるはずはないのである。これはただ「内証」という言葉を使用するだけであって、そこに「内証」の実義はない。なぜならば悪書の三十六頁(本書一〇五頁)に、現代は、唯授一人どころか、万人が血脈承継の法主と同等の教義理解をなし得る≠ネどという狂説を述べていることからも分かるように、その「内証」とは、本仏甚深の内証ではなく、松岡や池田大作の愚心に、悟ってもいない妙法を悟ったとするものに過ぎないからである。これこそ未得已得・未証已証の大増上慢そのものである。
 また、秘仏たる大石寺の戒壇本尊を歴代法主が書写して檀信徒に授与するという化儀は伝統的に存在したことが史料上でも確認される≠ニした上で、さらに曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義を歴代法主が継承していくことは、やはり門流僧俗の信仰にとって不可欠な意義を持っていた≠ニ述べている。この意図するところは、御法主上人の御本尊書写を、単なる大御本尊の御相貌書写と規定するところにある。しかし、御本尊の御書写は、日顕上人の、
  当宗において歴代の法主が、かたじけなくも御本尊を書写申し上げるということは、まことに重々の大事が存するのでありますが、特に、本門戒壇の大御本尊の御内証を拝してお写し申し上げ奉るというところに、甚深の意義が存するのであります。(大日蓮 昭和五七年八月号五五頁)
との御指南に明らかなごとく、御歴代上人は本門戒壇の大御本尊の御色法である御相貌の書写だけではなく、大御本尊の御内証、即ち御本仏日蓮大聖人の御心法をも御書写遊ばされるのである。要するに、御歴代上人は、本門戒壇の大御本尊即日蓮大聖人の色心不二の不思議の御当体を拝され、御書写遊ばされるのであって、それは、日蓮大聖人の御内証を唯授一人血脈相承された御法主上人のみが御所持される権能である。けっして松岡の言うような三大秘法義の理論や筆法・体相の皮相的な相貌書写などではない。
 このような狂った考えを述べるには理由がある。それはかつて、創価学会では、御本尊の御事を「幸福製造器」などと説明してきたが、そのような方便の形容が一時の方便で終わらずに、御本尊を機械視、物体視する摧尊入卑の悪弊となって残ったのである。そうした血脈付法の御法主上人の尊厳を忘れ、下種仏法の実体・実義から隔絶し変質した仏法観が根底にある故に、松岡のような唯物主義的思考に毒された浅知恵で三大秘法義を判断し、御本尊を理論視する邪義が生じてきたのである。松岡ら創価学会が仏法を軽賤する罪業は極大深重であると知れ。
 以上を要するに、大石寺門流の信仰における唯授一人相承の意義には、@信仰の根本対境たる戒壇本尊の護持継承 A信仰信条を根底的に規定する宗門独自の三大秘法義の継承 B本尊書写を行ううえで必要となる曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義の継承、という三つが含まれることがわかる。もちろん唯授一人相承の根本的な意義は、信徒の一生成仏を支えつつ広宣流布を目指すところにある。右に挙げた三つの意義も、日蓮仏法による一切衆生救済という大目的から派生したものに他ならず、唯授一人相承は宗祖の誓願を受け継ぐに足る「信心の血脈」が根幹となる。唯授一人相承の意義は「信心の血脈」の継承を大前提として論ずべきであり、「信心の血脈」を失った法主による相承はいかなる状況下であれ何の意義も持たない。そのうえで言うならば、日寛教学の登場を嚆矢として、宗門独自の三大秘法義は理論的に公開されていき、加えて秘伝の本尊相承書が出版公開されたり、法主による本尊書写が時代的変遷を経て実質的に不要化したりしたため、現代ではAとBの意義が消失し、必然的に@の意義も変更を余儀なくされているのである。このことは、本稿の中で順を追って説明していきたい。
 日顕上人に対して「信心の血脈」を失った法主≠ニ許されざる侮辱を加えたあげく、相承はいかなる状況下であれ何の意義も持たない≠ニする。これがひとたびは日蓮正宗の信仰を持ち、弟子にしていただいた人間の言辞であろうか。まことに『兄弟抄』の、
  始めは信じてありしかども、世間のをそろしさにすつる人々かずをしらず。其の中に返って本より謗ずる人々よりも強盛にそしる人々又あまたあり。在世にも善星比丘等は始めは信じてありしかども、後にすつるのみならず、返って仏をぼうじ奉りしゆへに、仏も叶ひ給はず、無間地獄にをちにき。(新編九八七頁)
との、御金言の通りである。であるならば、松岡が無間地獄に落ちることもまた決定しているのである。
 松岡雄茂よ、信心の血脈≠失い、尊い師恩を土足で踏みにじったのは、お前達離脱僧ではないか。
 そこで、松岡に「信心の血脈」を失った法主≠ニいうことについて借問する。この信心≠ニは何を対象とする信心≠ネのか。まさか、阿弥陀仏とか大日如来に対する信心≠ナはあるまい。それがもし宗祖大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊に対し奉る信心がないということなら、それは本門戒壇の大御本尊を物体と発言した池田大作こそ信心≠ェない者であり、それに連なる松岡ら創価学会員もその通りである。それに対し、総本山血脈の歴代御法主上人は一人も漏れなく身を以て大御本尊を御守護し奉り、日夜にその大功徳を説法し給うこと、現六十七世日顕上人猊下に至るまでいささかも変わっていない。即ち信心≠ェないとは反対に松岡らのことであるのだ。
 また大聖人日興上人の血脈相伝の仏法に対しての信心についてはどうか。この件についても同様に、現御法主日顕上人猊下に至るまでの御歴代上人は、身を以て大法を承継されておられる。しかるにこれに背く池田大作とそれに連なる創価学会員やその走狗となっている離脱僧の松岡らこそ信心≠フない者共である。したがって、「信心の血脈」を失った法主≠ニいうことはまったく当てはまらない矛盾の言であり、「信心の血脈」を失った≠ニはまさに松岡らのことである。
 よって松岡が言う信心≠ニは本門戒壇の大御本尊と総本山大石寺に伝わる正義の仏法に対する信心ではなく、池田創価学会に対する信心≠ニいう意味と断定する。我見我意・慢・増上慢をもって大聖人及び御歴代上人の伝持する大正法に背く創価学会を、日蓮正宗の僧俗が信心≠フ対象にするなどという馬鹿げたことはあるはずがない。したがって、そのような信心≠ェないことは当然である。しかし池田創価学会への信心≠ネどというものは、まさに邪信である。根本が狂っている在家似非宗教団体の会員の数が多少増加しても、大聖人の仏法の広宣流布とは絶対に言わないのだ。日達上人も、
  日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えない(大日蓮 昭和四九年八月号一九頁)
と仰せの通りである。然らば松岡の言う「信心の血脈」を失った法主≠フ信心≠ニは、池田創価学会への信心≠ェないことを云っているのであり、まさにその言は、池田大作や創価学会を仏法の中心とする我田引水の痴論にすぎない。うぬぼれと計我と慢も好い加減にせよと指摘しておく。
 そもそも唯授一人血脈相承の意義とは、松岡らが勝手な推断をする、@信仰の根本対境たる戒壇本尊の護持継承 A信仰信条を根底的に規定する宗門独自の三大秘法義の継承 B本尊書写を行ううえで必要となる曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義の継承≠セけなのではない。牧口常三郎初代会長の「認識せずして評価すべからず」との言を知っているのか。血脈相承の中には、当然、これらの意義も含まれるであろうが、さらに御内証における法体相伝の深意が存することは、前に述べたとおりである。またこの三つにおいても、その実義は松岡の捉えている意義とは、天地雲泥の開きが存することは言うまでもない。
 ましてや、唯授一人相承の根本的な意義は、信徒の一生成仏を支えつつ広宣流布を目指すところにある。右に挙げた三つの意義も、日蓮仏法による一切衆生救済という大目的から派生したもの≠ネどは、松岡をはじめ池田大作・創価学会独特の慢から生じる、あまりにも身勝手な自分中心の考えである。派生≠言うなら、それは創価学会の方である。派生≠オて邪教異流義と化した松岡らの言い分は、本末転倒の三悪道剥きだしの狂乱であると呵しておく。
 唯授一人の血脈相承とは、日蓮大聖人が仏法常住のために残された秘儀であって、その意義は万古不易である。これに変遷があると見えるのは、松岡や創価学会員の頭が狂っているのであり、まさに顛倒の妄見である。




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