3 『三宝抄』の三宝一体義について≠フ正義を示す

 汝は当方が、『邪誑の難を粉砕す』において、日寛上人が『三宝抄』において御指南される「三宝一体」の意義が御歴代上人をも含めて論じられるべきであると指摘したことについて、またしても『三宝抄』の文意を牽強付会の邪義をもって難癖をつけている。つまり『三宝抄』において「三宝一体」の意義が御指南されるのは、日興上人までであるというのである。
 まず、『三宝抄』の「三宝一体」の現文であるが、
問う、三宝に勝劣有るや。
答う、此れ須く分別すべし。若し内体に約せば実には是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり故に一念三千即自受用身と云い、又十界互具方名円仏と云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約せば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為すが故なり。故に法宝を以て中央に安置し仏及び僧を以て左右に安置するなり。(歴全四―三九二頁)

という御指南である。つまり日寛上人は、僧宝が「三宝一体」の意義において尊信されるべき理由として「一器の水を一器に写すが故」であるとされているのである。もう一方で日寛上人は『文底秘沈抄』に、
今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し (六巻抄六六頁)
と御指南されている。そこで『邪誑の難を粉砕す』では、
日寛上人は「一器の水を一器に写すが故に師弟体一・三宝一体」(三宝抄)であると仰せられているのであるから、「一器の水を一器に移す」(文底秘沈抄)御歴代上人をも三宝一体であると仰せられていることは明々白々である。(一八九頁)
と、『三宝抄』における「三宝一体」の御指南は御歴代上人も含めて拝すべきであると指摘したのである。
 この単純にして明快な指摘に対し、汝は三宝の一体性と差別性を「分別」したうえで三宝を安置する形式を論ずる、という『三宝抄』本来の文脈から外れ、法主の内証の尊厳を示すために同抄の三宝一体義を用いています≠ネどと、邪難している。また『三宝抄』に、「別体三宝式」の本尊奉安形式に触れられていることを根拠に、では、お聞きしますが、あなた方は歴代法主をも信仰対象としての僧宝とみなすのですか≠ネどと、御歴代上人に「三宝一体」の意義を論ずるのなら、「信仰対象としての僧宝」、つまり御本尊の傍らに御安置される日興上人と御歴代上人が同等なのかと言い掛かりをつけている。
 これらの邪難が本心からのものであれば、汝の文章読解能力は愚劣・低劣と言わざるを得ない。
 たしかに日寛上人は「三宝一体」を述べられた後、本尊奉安形式について言及されるが、その文は内体に約して「三宝一体」ながら外相に約して「任運勝劣」であるとされ、その「勝劣」の意義が具わる例として本尊奉安形式に触れられるのである。従って内体に約する「三宝一体」の語において、御歴代上人を外して日興上人にのみ限定されるのでないことは明らかではないか。汝の問は、この内体と外相の両義を強いて混同せんとする誣妄の言である。
 また汝は、三宝安置のあり方が長々と論じられ≠ニ、文章の多寡によって「三宝一体」の御指南が日興上人に限定したものであるとしたいようである。しかし、あくまで重要なのは文義であり、文章の多寡は問題ではない。日寛上人が続いて三宝安置のあり方を述べられるのは、御本尊に向かって、左右対称に仏(大聖人)と僧(日興上人)が安置されていても、そこに差別があるという意義を「右尊左卑」等の国風や、南北など、本尊の面する方角によって、左・右に上座・下座の区別が自ずと具わることを述べられたのである。
 つまり汝が曲解する『三宝抄』の文は、三宝は一体に約す内証の意と「任運勝劣」の外相の意義が具わることを述べられるに際し、その外相の具体例として本尊奉安形式をもって説明されたものである。よって「三宝一体」の文をわざわざ日興上人に限定して解釈しなければならない根拠は全くないと共に、外相の上の僧宝についても日興上人のみとする道理はない。むしろ日寛上人は、
所謂僧宝は日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なる故なり。(歴全四―三八五頁)
等と『三宝抄』全般を通じ、日興上人は僧宝の「首」であるとされ、さらに僧宝たる理由が「秘法伝授の御弟子」つまり唯授一人の血脈相承にあることの上から、それ以下の血脈付法の御歴代上人をも僧宝であるという意義を明示されているのである。
 以上述べたとおり、当方が『邪誑の難を粉砕す』に、
日寛上人は「一器の水を一器に写すが故に師弟体一・三宝一体」(三宝抄)であると仰せられているのであるから、「一器の水を一器に移す」(文底秘沈抄)御歴代上人をも三宝一体であると仰せられていることは明々白々である。(一八九頁)
と主張したことは、まさしく日寛上人の御正意を述べたものであり、御歴代上人は僧宝に非ずとする汝の主張こそ牽強付会の暴論であると断ずる。
 考えてもみよ。日寛上人が『三宝抄』と『文底秘沈抄』に述べられた「一器の水」の文意に如何なる内容の相異が存するのか。どちらも御本仏大聖人の血脈法水という意外に解釈のしようがないではないか。そして『三宝抄』に示される三宝一体の理由はあくまで「一器の水を一器に写すが故」なのであり、すなわち御歴代上人においても「三宝一体」と拝することが日寛上人の御意なのである。
 次に汝は三点に亘って邪難を構えているが、汝の三点の邪難は全て、『三宝抄』の「三宝一体」の御指南について、三宝の一体性と差別性を「分別」したうえで三宝を安置する形式を論ずる、という『三宝抄』本来の文脈≠ネどと、日寛上人の御指南を三宝を安置する形式≠論じたものだと曲解、断定し、その虚構の上に展開している。
 先に童子にも分かるよう『三宝抄』の御指南の意義を懇切に述べたところである。つまり、『三宝抄』の御指南は三宝を安置する形式を論ずる≠アとに主眼があるのではなく、あくまで、三宝は一体にしてしかも勝劣があるという趣旨の中で、特に勝劣の具体例として別体三宝式の本尊奉安形式に触れられているのである。汝の三点の邪難は、『三宝抄』の文脈を無視し、文意を曲解した虚構の上に展開するものであり、全てが的外れなものであることをまず指摘しておく。その上で、第一に、あなた方は、三宝の一体性と差別性を「分別」したうえで三宝を安置する形式を論ずる、という『三宝抄』本来の文脈から外れ、法主の内証の尊厳を示すために同抄の三宝一体義を用いています。三宝安置論とは別の次元で『三宝抄』の三宝一体義を引用することは明らかに恣意的であり、いわゆる「切り文」の謗りを免れません≠ニの邪難についてであるが、先般の『邪誑の難を粉砕す』に述べた『三宝抄』の御指南の解釈と、今回如上の汝の誤りに対する指摘が正当である以上、恣意的≠竍切り文≠ネどという批判が全く見当違いであると共に、汝の本来の文脈§_こそ、恣意的な切り文そのものとなっているではないか。可笑可笑。
 さらに、ちなみに、『三宝抄』の中で日寛は、「予が如き無智無戒も僧宝の一分なり」と述べています。「僧宝の一分」という日寛の自己認識は、とりもなおさず“法主は僧宝たる日興と同等ではない”と彼が考えていたことを示すものです。三宝という教義の根幹にかかわるのですから、「僧宝の一分なり」との日寛の自己規定を、簡単に謙遜表現として片づけるわけにはいきません。謙遜は謙遜、教義は教義、と立て分けられるような問題ではないのです。もし「そうではない」とあなたが言うのなら、日寛における謙遜と本意とをどうやって区別するのですか。循環論法を用いずに、それができますか≠ネどという邪難も、先の『三宝抄』の御指南が、三宝を安置する形式≠フみを論じたものであるという汝の勝手な思いこみを元に生じている。汝が指摘するまでもなく、三宝には「任運勝劣」があるのであり、個々の御歴代上人におかれても、それぞれに師弟の区別があらせられる。しかし、御歴代上人が御内証に受け継がれる血脈法水には勝劣・区別はないのであり、その意義では「一体」なのである。
 汝は日寛上人の「予が如き無智無戒」の言辞を、謙遜∴ネ外の意味に解釈し、法主は僧宝たる日興と同等ではない≠ニいう意義を示されたものであるとしているが、このような曲解を平然としておいて、博士≠気取るなど、笑止千万である。汝の文書理解力はまことに無能というほかない。「予が如き無智無戒」の言辞は謙遜表現以外の何ものでもないのである。また、「僧宝の一分なり」との日寛の自己規定を、簡単に謙遜表現として片づけるわけにはいきません≠ネどと、少々意味不明のことを述べているが、日寛上人が御自身を「僧宝の一分なり」と仰せられたのは事実を述べられたのであり、何も謙遜表現ではない。先に指摘したように、『三宝抄』の中で日寛上人は、日興上人を「僧宝の首」であると仰せられ、そしてさらに日寛上人御自身も「僧宝の一分」であると述べられるのである。これは日寛上人御自身が僧宝の中に加わっていることを明確に主張された御指南である。
 また汝は、日寛における謙遜と本意とをどうやって区別するのですか≠ネどとも述べるが、日寛上人御一人の御境界中において、謙遜は謙遜、本意は本意御自由であり、これをあえて区別しようとする汝の頭こそ雑乱の極みである。よってこのような邪難は全く当たらない。
 次に汝は、第二に、かりに牽強付会の解釈によって法主を「三宝一体」の中に含めたとしても、あなた方の主張は日寛教学の規定から外れています。2で論じたように、日寛は、究竟果分の仏は日蓮一人に限られる、と述べています。そこからすると、「三宝一体」の内証の次元でも、仏宝たる日蓮と僧宝たる日興との間には、なお「一体の中の区別」があるとみるべきでしょう≠ネどと、得々と述べているが、前にも述べたように因分果分の御指南は、下種仏法の教相上の立て分けである。従ってこの主張は、どれもが全く当てはずれである。先に指摘したように、日寛上人は内証に約して「三宝一体」とも「一器より一器」とも仰せられ、大聖人の血脈法水が唯授一人で継承されてきたことを明確に御指南されている。つまり、御歴代上人は御本仏大聖人の血脈法水を御内証の上に継承遊ばされるのであり、器は変われども、法水に些かの相違も無いという意義が明らかである。つまり、内証の次元において大聖人及び日興上人以下の御歴代上人に差別がないことは、『邪誑の難を粉砕す』で述べたとおりである。
 しかるに汝は性懲りもなく、あなた方の三宝一体義は、むしろ三十一世・日因の法主信仰を受け継ぐものです≠ネどと述べて、日寛上人の仰せは大石寺門流のものとして正しいが、日因上人の仰せは間違っているというのである。汝はこの正邪の区別を何によってしているのか、明確に示してみよ。
 汝のような売僧・堕落僧に、御歴代上人の御指南につき、それが大石寺の伝統法門か否かを判断する資格も、その能力も、微塵も存在しないということをよく自覚せよ。血迷うなかれと呵しておく。
 先般の『邪誑の難を粉砕す』において当方は、室町時代の日有上人が、
手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり云云。(聖典九七四頁)
と御指南されていることを挙げて、
日有上人の御指南は、御歴代上人を「僧宝」として尊信せよと仰せられたものであり、日俊上人の御指南は、これと軌を一にするものである。松岡よ、大石寺門流において七百年来、御歴代上人を僧宝と拝してきたことは紛れもない「事実」なのであり、松岡がいかに邪智を凝らして大石寺門流では、江戸時代の檀家制度が定められた頃、それまでにはなかった三宝論の強調が始まった日俊における住持の僧宝論は、檀信徒に現実の僧侶を崇敬させ、檀家制度の定着をはかるための思想装置として導入された≠ネどと述べても、七百年来の僧宝尊重という厳然たる歴史を否定することはできないのである。(邪誑の難を粉砕す一八四頁)
と破折したことに対し、汝はだんまりを決め込んでいる。『邪誑の難を粉砕す』に指摘した日有上人の御指南と、今回汝が引用する日因上人の御指南、僧宝尊重・血脈尊重の日有上人・日因上人の御指南は意義において何らの相違もないのである。
 また、客観的にみると、創価学会が日寛教学を厳格に受け継ごうとするのに対し、あなた方は日因の法主信仰に帰ろうとしている、と言えます。したがって、あなた方が三宝一体義によって法主への尊信を説き勧めたいのならば、日寛の諸文書を「正依」とする現在の宗規は変更し、正式に日因系統の宗派となる旨を公的に表明すべきでしょう≠ネどとも悪態をついているが、見当違いも甚だしいものである。『邪誑の難を粉砕す』で徹底して指摘しておいたにも関わらず、似非学者の汝は何らの弁解もせずに客観的にみると、創価学会が日寛教学を厳格に受け継ごうとする≠ネどと、まさに顛倒の悪言をはいている。重ねて指摘するが汝らの主張する日寛教学≠ヘ日寛上人の御指南を恣意的に切り文して作り上げた、虚偽・虚構の「改変された日寛教学=vであると断ずる。『邪誑の難を粉砕す』の一部を再度、左に挙げるので紙背に徹して読むべし。
日寛上人は、
南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じて、唯当に南無妙法蓮華経と称え(六巻抄二二五頁)
と、本宗の信仰における三宝、就中僧宝は、御歴代上人を僧宝として拝して信心しなければならないことを明確に御指南されている。この厳然たる血脈の筋目を無視し、あろうことか邪教団体創価学会が御歴代上人をないがしろにし、
僧宝の日興に連なる≠ネどという意義があろうはずはないのである。(二〇〇頁)
ここに指摘してあるように、汝の主張は日寛上人の御意志に悖ることは勿論、大石寺の伝統法義に大きく外れた邪義なのである。
 宗規は変更≠ネどの愚言も、日蓮正宗は七百五十年来、教義上些かの変化もないのであり、余計なお世話であると言っておく。
 次に、さて第三に、宗務院文書が掲げた『文底秘沈抄』の文は、日寛が身延山最勝説を批判する中で出てくるものです。対外的論議において、大石寺の法主である日寛が、自門の血脈相承の歴史の恥部に触れるわけがありません。しかし、日寛の本音は違ったのではないでしょうか≠ネどと、あたかも日寛上人が本音と建前を使い分けていたかの如き悪言を吐いているが、つまり汝は『文底秘沈抄』の、
今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり。(六巻抄六六頁)
との御指南が都合悪いため、これは対外的論議≠ナあり、日寛の本音は違った≠ニ言いたいのである。まさに日寛上人に対する甚だしい難癖と愚弄であり、錯乱者の世迷い言というほかない。汝は先般の悪書において、
六巻抄が長らく貫主直伝の秘書とされてきた
その内容が特に他門の目に触れぬよう、厳重に秘匿されるべきは当然である
(邪誑の難を粉砕す八五頁)

などと述べ、『六巻抄』が唯授一人相承の教義の理論的開示≠ナあると主張する時には貫主直伝の秘書≠ニいい、大石寺の唯授一人血脈相承の重要性・正統性を御指南されている箇所は対外的論議日寛の本音は違った≠ニいうのである。この一事をもってしても、汝自らその論旨の矛盾ぶりを如実に顕しているではないか。
 『六巻抄』は門弟に対して甚深の奥義を説示されたものであり、そこには何ら対外的論議≠ツまり建前の論議など存在しない。全て日寛上人の信念・信条において著されていることは当然である。
 先に汝は、日寛における謙遜と本意とをどうやって区別するのですか。循環論法を用いずに、それができますか≠ネどと息巻いていたが、汝に都合の悪い日寛上人の御指南は建前≠ナあり、本音≠ヘ違うというのならば、建前と本音をどのように判断し区別をつけるのか、汝のいう循環論法≠ニやらを用いずにそれができるのか、意見を聞きたいものである。
 汝にとって日寛上人の御指南には、どうこじつけても不都合な部分があり、それを本音≠ニ建前≠ニして言い逃れているのである。
 また日寛上人が『当家法則文抜書』に日精上人の『日蓮聖人年譜』を抜書され、そこに、
  精師且らく他解を述ぶ。是れ則ち日辰の意なり。故に本意に非るなり(研教九―七五七頁)
  他解なり。正義に非るなり(同七六三頁)
等と註記されていることについて汝は、日寛は日精本人が邪義を説いていることを承知のうえで強引に日精をかばった、とみるしかありませんたとえ抜書文書の類であっても、あからさまな日精批判ができなかったのでしょう≠ネどと言っている。要するに日寛上人は、日精上人に少なからず教義的な誤りがあったと認識されていたが、正面切っては批判されなかったと言いたいのである。しかし、この汝の主張は成立しない。なぜならば汝も述べる如く、日寛上人は直接日精上人の謦咳に接しておられるのである。また日寛上人御在世には直接日精上人の御化導に触れた方々が多くおり、それらの方々から日精上人の大曼荼羅正意・要品読誦の御化導の実態を聞いて当然承知せられていたのである。何より総本山客殿安置の御影は日精上人の造立であり、また御影堂、六壺などの御本尊を造立された日精上人の御本意が大曼荼羅正意にあることは火を見るよりも明らかなのである。その上から日寛上人が「本意に非るなり」と註記されているのであり、その註記が日精批判≠ネどでないことは当然である。むしろその文面通り、日精上人の大曼荼羅正意・要品読誦の「本意」を踏まえた上での註記なのである。
 次に汝は、日寛は、歴代先師の言に対しては、慎重に直接的批判を避けていました。一例を挙げます。九世・日有は、大石寺門流の「文底の大事」とは『法華経』寿量品の「如来秘密神通之力」の文の底を指す、と考えていたようです。ところが、この日有の説を「日有上人雑々聞書」として抜書した日寛は、寿量品の「我本行菩薩道」の文の底にこそ当家の「文底」の義があると考えていました。これでは、「文底の大事」という重要な問題について、歴代先師である日有の説に反対することになります。そこで日寛は、日有の文底義の抜書の後で「大貳云く云云」と記し、あえて自説の披露を遠慮する姿勢をとったのです≠ニ述べ、日有上人と日寛上人に「文底」について見解の相違があったかの如く主張し、日寛上人が日有上人の御教示に批判的な考えを持っていたとしている。
 まず、日寛上人が抜書された『日有上人雑々聞書抜』であるが、その元は誰が日有上人から承って書したものかなど、詳細は分かっていない。また日寛上人は汝が挙げる「大貳云く云云」の他にも註記されている。少々長い引文になるが同書に、
一、当宗の即身成仏は十界互具の御本尊の当体なり。其の故は上行等の四菩薩の脇士に釈迦多宝成りたまふ所の当体大切なり。上行等の四菩薩の体は中間の五字なり。此の五字の脇士釈迦多宝と遊ばしたり。此の五字の脇士釈迦多宝と遊ばしたる当体をしらずして上行等の四菩薩を釈迦多宝の脇士と沙汰するは中間の妙○経の当体を上行菩薩と知らざるこそ、やがて我即身成仏を知らざるにてあるなり云云。
大貳云く、此の義観心に約する歟。報恩抄も恐らくは爾らざる歟。既に本尊抄に云く、釈尊の脇士には上行等の四菩薩云云。末法相応抄の如し。(研教九―七七二頁)

とあり、日寛上人は御本尊の当体について、聞書との見解の相違には忌憚のない意見を述べられているのである。故に汝の、日寛上人が歴代先師の言に対しては、慎重に直接的批判を避けていましたあえて自説の披露を遠慮する姿勢をとった≠ネどとの言は『日有上人雑々聞書抜』の実態に反した言であり、恣意的な解釈であると断ずる。このことについてまた汝は、日亨上人が『研究教学書』の当該部分に註記されていることを取り上げ、これについて、堀日亨氏は「有師の説と本師(日寛)の主論と徑庭(けいてい)甚だしきが故に冗説せざるか」と註釈しています日寛の付記に関しては、相承の先師に対する日寛の遠慮、というものを念頭において理解しなければなりません。そうするならば、日寛は、同抜書において婉曲的な言い回しながら日精の邪義を手厳しく弾劾している、という真相がはっきり見えてくるのです≠ネどと述べているが、日亨上人は註記を付されたものの、「冗説せざる歟」と自ら決せざる「歟」の字を付されているのである。つまり日寛上人は文底義については「云々」としか述べられていないのであり、その「云々」の意味するところは何人も断定しえないのである。しかし、これについての日有上人と日寛上人の文底上の正意は後において述べる。
 汝の、日寛上人の註記についての議論が実態を無視した虚偽の論証である以上、日精上人の『日蓮聖人年譜』の抜書に記された「本意に非る」等の註記を、汝が妄想たくましく恣意的な判断をもって日精の邪義を手厳しく弾劾している≠ネどと忖度することは全くできない。
 そして汝は当項の結論的意見として、私は、日寛が本心では“完全無欠な大石寺の法水写瓶”という見方に懐疑的だったのではないか、と思います≠ネどと述べているが、縷々論証したとおり、汝の主張は虚偽の仮定を繰り返した挙げ句、最終的に恣意的な結論を導き出そうとするものであると断ずる。
 最後に汝は、またしても無節操な主張を繰り返してこの項をくくっている。すなわち、『文底秘沈抄』の文が外部向けの言説であるのに対し『当家法則文抜書』の方は個人的な記録文書であること、日寛に歴代先師に対する遠慮があり、とりわけ日精に対しては恩義も感じていたことなどを総合して考えれば、日寛は『当家法則文抜書』で婉曲的に日精を批判した、と結論せざるをえないのです≠ニ述べている。しかし、このような結論は推測の域を出ないのは勿論、的外れの妄言である。先にも挙げたが汝は先般の悪書で、
  六巻抄が長らく貫主直伝の秘書とされてきた
  その内容が特に他門の目に触れぬよう、厳重に秘匿されるべきは当然である
と述べていたではないか。それを今度は六巻抄を、外部向けの言説≠ナあると、自分の都合に合わせて、主張をころころ変えている。まさに似非学者の面目躍如たるものがある。
 このように汝の主張は全く虚偽の議論であると指摘するものである。



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