四、要法寺出身者が法主に対する崇拝を強要
                         との愚言を破す



 汝はここで、総本山第十九世・日舜(にっしゅん)上人御登座に関して悪言を吐いている。まず、日舜上人が大石寺に晋山(しんざん)された当時、大石寺が廃寺の危機に直面した≠ニの言であるが、当時大石寺では、日精上人が敬台院を御教導されていた。敬台院は徳川家康の養女で、阿波藩主蜂須至鎮(はちすかよししげ)の正室という止事無(やんごとな)き身分の上、御影堂を寄進するなどして押しも押されもせぬ、当時の大檀越であった。しかし敬台院は、後に日精上人の御教導を聞き入れなくなっていき、その上折に触れ大石寺に影響力を行使するようになっていった。そして日精上人は種々の状況を鑑(かんが)み、常在寺に住されたのである。当時徳川幕府の朱印改めの定めにより、朱印を受ける必要があり、その件に関して日量上人は後世において一応「廃寺の危機」と述べられたが、現実に大石寺が廃寺の危機≠ノ追い込まれたなどということは全くない。むしろ塔中・山内の僧侶が大石寺を守護し、日精上人は常在寺において血脈付法のお立場から一宗を指揮しておられたのである。
 また汝は日舜は、寛永18年(1641年)に大石寺に入った。日舜はその後、御本尊を書写するなど、相承もないのに法主の務めを行った≠ネどと中傷している。汝は『続家中抄』に日精上人から日舜上人への血脈相承が正保二年の十月二十七日とあることから、正保二年正月八日と同二月二十八日の二幅の御本尊が不当に御書写されたものであると邪推するのである。しかし、このような考えは汝の頭の錯乱から生じるのである。即ち寛永十八年の日舜上人の大石寺入山に関しては、その以前の事実として『続家中抄』に、
下谷(したや)常在寺に詣(まい)り精師に拝謁(はいえつ)し師資の契りを結び山に還る。(聖典七六三頁)
とある如く、日舜上人は日精上人の意を得て総本山に晋山されているのであり、「師資の契りを結び」とはまさしく血脈の内付があったことを示している。そもそも日舜上人が寛永十八年に大石寺に晋山されてから正保二年までの四年間、御相承を受けておられないということ自体考えられないことであり、むしろ正保二年十月以前に日舜上人御書写の御本尊が存するということは、日舜上人が御相承を受けてから大石寺に晋山されたことの証拠として拝されるのである。『続家中抄』の記事における、正保二年十月の日精上人より日舜上人への御相承は、総本山に於いて儀式として行われたものであり、実質的な御相承はそれ以前に行われているのである。まさに汝の言は素人丸出しの邪難であると断ずる。
 次に汝は日感は、大石寺の有力檀家に日舜への無条件の服従を説き勧める。若年の日舜を軽々しく思ってはならない。どんな僧であっても相承を受けた人は生身の釈迦日蓮である。これが、開山・日興上人の御本意であり、大石寺一門の信徒の肝要なのである≠ネどと述べた手紙を、日感は4人の有力檀家に宛てて送っている。これは、いかなる法主でも無条件に崇拝せよ、と檀家に強要するもので、まさしく「法主信仰」と呼ぶしかない。そもそも日感は、大石寺ではなく要法寺出身の僧である。その日感が、「法主信仰」を日興上人以来の大石寺の〈伝統〉に仕立て上げてしまったのである≠ネどと言い、法詔寺日感師が、大石寺の檀越に日舜上人に対する崇拝を強要したのであり、それは本来の大石寺の教義ではないというのである。
 何度も述べるように、汝の斯様な主張こそ、大石寺の伝統を無視した独断と偏見であり、是が非でも御法主上人を否定し、創価学会に大石寺の正統があるとこじつけるための屁理屈である。
 大聖人は二祖日興上人に血脈相承を遊ばされるに際し、
背く在家出家共の輩は非法の衆たるべき(新編一六七五頁)
と日興上人に背く僧俗が大聖人に対し奉る背逆・非法であると厳戒され、九世日有上人は、
手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし(聖典九七四頁)
と、御歴代上人の御身には御本仏大聖人の御内証がもぬけられ、宿られるのであるから血脈付法の「我に信を取るべし」と御指南されている。
 法詔寺日感師は大石寺と要法寺の通用が既に確立された中で出家し、その書状も大石寺と要法寺の通用開始から六十年を経て出されたものである。即ち日感師は大石寺の伝統や法義を充分理解し、その上で若年で御登座された日舜上人のお立場を気遣われ、「大石寺は金口の相承と申す事候て、是の相承を受く人は学不学に寄らず生身の釈迦日蓮と信する信の一途を以て末代の衆生に仏種を植えしむる」と大石寺門流の立場から大石寺の教義信条を指導したのであり、汝の日感が、「法主信仰」を日興上人以来の大石寺の〈伝統〉に仕立て上げ≠スとの言は、事実を無視した言いがかり以外の何ものでもない。
 以上述べた如く、御法主上人への信伏随従は大聖人、日興上人以来の宗是たることは赫々たる事実であり、汝が如何にあれこれ邪智を廻らしても、厳然たる本宗の血脈は絶対に否定できないのである。




ホーム    目次   前頁  次頁