三、立宗三月・四月説は相伝の深義
貴殿ら創価学会と離脱僧は、立宗三月説の根拠となる御書についてはいずれも大聖人の御真蹟が現存せず、反対に立宗四月説を裏づける大聖人の御書『聖人御難事』『諌暁八幡抄』には厳然と大聖人の「四月二十八日」との御真筆が残されている。この一事をとってみても、四月二十八日のみに立宗会を修することが門下の道である≠ネどと、相変わらず身延ばりの御真蹟偏重の戯論を述べている。当方が、御真蹟の無い御書でも、例えば『開目抄』のように、御書はその意義内容を根本として尊重しなければならないと教えた意味がまるで理解できていないのである。貴殿らの頭の悪さ頑迷さには呆れ返る。
また貴殿らは、立宗三月説について、近代の先師の説にない新奇さをあえて追い求め≠ニいうが、立宗三月説は何も新奇な説ではなく、宗門に古来から存した。先の自称『憂宗護法同盟』の稚拙な落書には「『堀米猊下は虚空蔵菩薩縁日を重視して、三月説正意欺(か)との主意であった。但し、その何れかを論断し難い。』(小川慈大遺稿集本)」と、ご丁寧にも日淳上人が三月説を正意と考えておられたかのように引用している。また貴殿らは先師方が、日興上人・日道上人の御書物に『三月』とあることを充分承知されていた≠ニも述べているし、後文には、日達上人も三・四月両説を踏まえておられたことを自分たちで挙げているではないか。立宗三月の説は何も新奇な説などではないのである。それを新奇と言い張るのは、貴殿らの悪質な言いがかりであると指摘しておく。
日蓮正宗に於て、大聖人の御法門を論ずる場合、御歴代上人の御指南を度外視することはあり得ない。御書の文面上にある記述以外は認めようとしない貴殿ら創価学会と離脱僧の姿勢こそ、日興上人以外の五老系と同轍であり、本宗相伝の教学に違背することに何の痛痒も感じない不埒漢、そしてまことに薄っぺらな驕慢児≠フ典型である。
以前に送付した『離脱僧らの邪難を粉砕す』でも徹底して述べたが、大聖人自ら宗旨建立について「三月」と「四月」の両方を記されておられることは動かしがたいのである。それを会通する上で、根本としなければならないものは、大聖人と唯我与我の御境界にまします日興上人の御指南であり、また日興上人から直接的に御指南を賜った日目上人、日道上人の御指南であることは至極当然の道理なのである。そして申すまでもなく、宗旨建立七百五十年に当り、その道理の上から御指南を拝されたのが、御法主日顕上人猊下の御説法である。
貴殿らのように、あくまでも御真筆の存・不存のみをもって四月二十八日のみに立宗会を修することが、どこまでも宗祖の史実に忠実たらんとする伝持の門下の道であろう≠ネどという癲狂の論は、身延流の邪義か物怪の所為としか言いようがない。第一、我が日蓮正宗に於て正しい根拠に基づいて行う法要を、兎や角云う権利も必要も、貴殿らにはまったく存在しない筈ではないか。血迷う勿れと言っておく。
次に貴殿ら創価学会と離脱僧は、日寛上人をはじめ、近代の法主のすべてが立宗四月説であり、血脈相伝の大事を声高に叫びながら、歴代御先師の行跡を貶めることは滑稽極まる自家撞着である≠ニ御法主上人を誹謗している。
先に送付した『離脱僧らの邪難を粉砕す』でも述べたが、繰り返し言う。日寛上人が立宗の四月を仰せられても、それは三月を否定するものでは断じてないのである。貴殿らの主張は、立宗を「四月」のみに限定しようとする誠に偏った論理であると指摘するものである。
次に法主以外にも故柿沼広澄(日明)師は、「大石寺に現存の真蹟、諌暁八幡抄には四月廿八日とあるから、百千の議論もいらず四月廿八日と致すべきである」(『大東院全集』第二巻)と断言している≠ニして得々と大東院贈上人の言葉を引用している。しかし、大東院贈上人の遺稿集には、宗旨建立に関する考察が数箇所見受けられるが、貴殿らの疑難は、その一部分を悪辣な解釈をもって紹介しているに過ぎない。贈上人は何も三月説を否定されているわけではない。贈上人の見解には、
「但し遺文全編に渡って、三月説を四月説に訂正することは、尚疑義充分な所があるとみえる」(大東院全集二―二〇)
との考察もあり、また、先に『憂宗護法同盟』が藁をもすがる思いで、三月説否定の根拠に担いだ日諦の「三」が四の古字「」の写し誤りだとする説についても、
「静岡県駿東郡の根方の蓮興寺に安置する、日興上人の御本尊が、嘉暦年とあるのを拝観した時、を三と読み間違えて三月説が出たという推量は本当に文字通りの当て推量で、そう、現今の人が思う程を三と誤るものではないとの感想を得た」(同二―二一)
と日諦の説が「当て推量」であると、厳しく指摘されているのである。さらに、
「『三』の字が『』の誤植でないとするならば、内証の立宗日が、三月二十八日であったかもしれません」
(同四―七七)
とも述べられているのである。大東院贈上人の沢山の遺稿中、一部を以って全体的な見解だとするのはまさに、木を見て森を見ない類である。後にも述べるが、大東院贈上人は富士年表作成委員会の委員長を務められており、その最初の検討委員会において、まさに「宗旨建立三月二十八日」の項の記載が決定されたことには、日達上人の御指南はもとより、かかる大東院贈上人のお考えも当然反映されていると思われるのである。
貴殿らは、大東院贈上人の遺弟方がどのように思っているかなどと言うが、そんな心配をする前に、自分たちの愚かしさを顧みるべきである。貴殿らの言い分には大東院贈上人の遺弟方も失笑を禁じ得ないこと請け合いである。