九、布教書籍の内容は信徒の信行増進のため

 ここでは貴殿らは、本宗の書籍、『法華講員の心得』『日蓮正宗入門』中に「三月宗旨建立」の記述がないのは何故かとの貴殿らの質問について、当方から信徒向けの書であるから、主体たる四月二十八日のみを記載し、三月二十八日は記載していないのである≠ニ回答したことに対し、信徒向けの書だから三月二十八日は記載しないというのなら、なぜ三月二十八日に、「開宣大法要」を奉修し、全国から信徒を集めたのか≠ニ言いがかりをつけ、時代錯誤の信徒差別、封建的な信徒の愚民化政策≠ニ誹謗している。更にまた三十万総登山でも、数千人規模の信徒が来ることはわかっているのに、仮設トイレの長時間待ちは当たり前、家畜並の扱いだ≠ニ悪口雑言し、更にまた、僧侶に対して、言いたい放題の謗言を書き連ねている。そしてその挙げ句は、我々は、自分たちを学会員の同志の方々とまったく平等な存在だと思っている≠ネどと、平気で学会に媚び諂っているのである。
 はじめに、一般信徒向けの書籍と、専門的書籍が、その内容において相違があるのは至極当然のことである。しかも、その専門的な書籍の『富士年表』『日蓮正宗要義』『日蓮大聖人正伝』は、信仰の向上により学解の進んだ御信徒が購入しようとすれば、すべて購入して研鑽することが可能なのである。別に「宗旨建立三月二十八日」を隠している訳ではない。初心者も購読する機会の多い書籍においては、記載内容の簡略化をはかることは、けっして信徒差別などではない。ましてそれを封建的な信徒の愚民化政策≠ニは、貴殿らの何とも滑稽な被害妄想狂的発想には思わず呵呵大笑してしまった。
 また「三月二十八日」の「開宣大法要」は、宗旨建立七百五十年の開幕を告げる重要な大法要であり、僧俗一致して厳修し奉ることが、何よりの御報恩の故に僧俗が集ったのである。当日の大法要に参加した僧俗は、その荘厳な儀式と、甚深の御説法に歓喜勇躍して、三十万総登山の完遂をお誓い申し上げたのであり、貴殿らのような、卑しい「なぜ集めた」などという発想は、地涌眷属の我らには一切無縁であると申しておく。
 また総本山のトイレを心配しているようだが、各宿坊のトイレ、山内各所の屋外トイレ、更には三十万総登山用の仮設トイレなど、事前にできる限り登山者の便宜は図られているので、御心配は無用である。貴殿らも脱会すれば、登山できるので、実際にその目で確認したら如何か。
 また次に貴殿らは、日蓮正宗の僧侶に対して、口汚い誹謗を繰り返している。貴殿らは本当に日蓮大聖人の弟子ではなく、池田大作の弟子になってしまっている。本末顛倒も甚しい迷乱である。
 もし日蓮大聖人の弟子であるなら、『四恩抄』の「僧の恩」を忘れる筈はない。そして僧に対してこのように声高に悪口罵詈し、咎ありなどとあげつらうこともあり得ないであろう。
 しかも、貴殿らの批判は的外れであり、論外と言っておく。貴殿らは相変わらず円頂方袍の僧形をしているようであるが、肉食はしていないか、妻帯はしていないか、禁酒しているか、創価学会から月給・ボーナスは貰っていないか、自らの所業を振り返るがよい。更には新興宗教創価学会の有給職員もどうなのか。髪はつけていても、法要を執行する専門の聖職者だそうだが、相当乱れた生活が聞こえてくる。他の悪口を言う前に、少しは自らを反省してはどうか。
 邪宗諸宗はたしかに持戒を修行の方軌とする。しかし、それらの邪宗の持戒は、末法においては、結局すべてが無惨な破戒に繋がることは御金言であり、また貴殿らを含め、全世界の邪宗教に共通する実相なのである。
 それに対し、本門の大円戒たる金剛宝器戒のみが、真に一切衆生を煩悩の苦しみから救うところの戒法である。我ら大聖人の下種仏法を正しく持つ日蓮正宗僧俗は、一切衆生成仏、煩悩即菩提の大法を固く信じ持っているのである。その功徳は必ず一閻浮提広宣流布、一切衆生救済の真実の道を開くことを、確信をもって貴殿らに宣言する。