十、創価学会には六師外道も顔負け

 次に貴殿ら創価学会と離脱僧は、当方の「日精上人は宗旨建立を一往四月とされているが、それだけではなく別に三月にも宗旨建立のあったことを御教示されている」との答弁を、偽りの抗弁≠ニ非難している。
 貴殿らは頭が悩乱しているために、何もかもが歪んで見えるらしい。哀れなことである。日精上人の記述と、これに対する日因上人の御意の拝考は別に難しいことではない。素直に拝せばよいのである。日精上人は宗旨建立を四月とされながらも、正直に四月とは違う記述の三月とされた御書や他の文献もあることを紹介されている。
 これに対し日因上人が『三四会合抄』の中で日精上人の宗旨建立に関する記述を取り上げられる箇所は二箇所ある。
 一つは『三四会合抄』の大段の第一「正に三月四月の会合を明かす」中の「初めには三月二十八日の真文を引く」中である。ここでは第四世日道上人・第六世日時上人・第十四世日主上人の「三月二十八日」とされる記述を列挙されているのである。そしてこれに対する異文として日精上人の四月との記述を挙げられるのである。そこでは日因上人が「近代日精上人の御年譜の上に四月二十八日と曰う也」と述べられた後、日精上人が四月説に立たれたことは大石寺所蔵の『諌暁八幡抄』によると推測され、ついで「古来の伝記を忘れさせたまふ者か。更に詳らかにせよ」と述べられているのである。「古来の伝記を忘れさせたまふ者か」というのは日精上人が異文の三月説を挙げられた中に、日因上人のように第四世日道上人・第六世日時上人・第十四世日主上人の記述を挙げておられないからである。しかし日精上人が御書の『清澄寺大衆中』の三月を異文として挙げておられる以上、三月を全く無視しているともいえないから、その御真意を即断することを避けて「更に詳らかにせよ」と述べられているのである。
 貴殿らはこの日因上人の「更に詳らかにせよ」の文字を目を大きく見開いて読むべし。日因上人が自分自身に対して「更に詳しく考えてみる必要がある」と自戒されているのである。都合のいい記述だけ採って、都合の悪いところは切り捨てる。創価学会の伝家の宝刀「切り文」はここでも活躍している。
 つぎの箇所は『三四会合抄』の大段の第一「正に三月四月の会合を明かす」中の「次には四月二十八日の正文を引く」の中である。ここではその六番目に日精上人の『日蓮聖人年譜』の文を引かれている。ただし、日因上人の日精上人の記述に対する見解は前段と同様であるが、日精上人が『清澄寺大衆中』の三月の御文を異文として挙げられているところまで引用せられている。その上で日精上人が三月と四月の会合はされていないと述べられているのである。三月と四月の会合は日因上人がはじめてされたのであるから、それも当然である。そして六老僧の系統が多く三月に依るのに対して、日精上人が四月を中心とされることについて、「京都・西国・江戸等には多く四月二十八日に依る」と述べられている。要するに日因上人は、日精上人が大聖人の宗旨建立の御指南に三月も存することを意識しておられるものの、両説の会通まではされていない、と仰せなのである。
 しかるに貴殿ら創価学会と離脱僧は、更に日精上人につき、造仏・一経読誦という、宗史に残る大謗法を犯した悪法主≠ニ呼び、日精上人を謗法者と断定し、「法華経の敵を見て責め罵り」と大聖人が仰せのごとく、正法の敵日精を「責め罵」ることこそ、正しい信心である≠ニする。そして御法主日顕上人猊下をとことん誹謗し、挙げ句は、法主と言えども人間であり、誤り多き凡夫である。我々は、信行の模範たりうる法主と仏法破壊の法主とを、厳格に立てわけなければならない≠ニ我れ賢しの僻論を吐いているのである。
 日精上人に対する貴殿らの誹謗が全く的はずれであり、宗内の日精上人に対する誤解はすでに解けていることは先に述べたとおりである。日因上人・日亨上人の日精上人に対する論評は誤解に基づくものであり、日顕上人の御指南によってそれが払拭されたのである。貴殿ら不信心謗法の者には永遠にわからないことである。
 さて貴殿らは、例によって堀日亨上人は『富士宗学要集』第九巻に、「殊に日精の如きは私権の利用せらるる限りの末寺に仏像を造立して富士の旧儀を破壊せる」との一文を記載され、日精の正法破壊を歴史にとどめられている。また日因法主も、「日因云く精師御所存は当家実義と大相違也具に二十六代日寛上人造仏読誦論返答抄末法相応抄に分明也」と書き残し、日精の謗法を呵責するとともに、日寛上人の『末法相応抄』は日精の謗法を破折したものだ、と示唆している≠ニ日因上人・日亨上人の記述を挙げて日精上人を誹謗するが、日因上人・日亨上人の論評が誤解に基づくものであることが判明した現在は、これらの記述が誹謗の材料とならないことは、貴殿らも知悉しているはずである。何の意味もないことを重々承知の上で、しかし宗門を攻撃しなければ自分の立場がなくなるという強迫観念から誹謗を繰り返す姿は、まさに創価学会の飼い犬となって宗門に吠えかかる狂犬そのものである。おとなしく創価学会の会館の門前につながれておれと呵しておく。
 ただしこの件について一言すれば、要法寺からの九代の御法主上人が宗門を董された慶長元年(一五九六)からの約百年の間はもとより、それ以降も要法寺との通用は続いたのである。当然、御法主上人は富士門家の棟梁として、大石寺と要法寺の全体を一門として董されるわけである。当時の要法寺には大石寺流の正義を信奉された僧俗と日辰流の造読思想に染められた僧俗が混在していた。要法寺との通用とはその全体を善導することを意味するのである。日辰流の邪義がすぐに改められないからと言って、その者を即座に破門するわけにはいかない。大きく包みながら慈折善導していくのである。
 日精上人に対する造仏読誦の邪難はこのような状況を無視するところに生ずるのである。そもそも『開目抄』に、
「末法に摂受・折伏あるべし。所謂、悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国の当世は悪国か、破法の国かとしるべし」(御書五七六)
と仰せのように、末法にも摂受折伏の二門がある。この末法の摂受と正像の摂受を混同して、単に摂受は謗法と考えるのは行き過ぎである。四悉檀のうち世界・為人は摂受だからである。敬台院の法詔寺建立の時の造仏に対する真俗の批判とそれに対する日精上人の反論を綴られたのが『随宜論』であるが、この御化導に対する門徒の真俗の疑難は一面当然ともいえるが一面未熟ゆえの行き過ぎであることも事実である。
 また要法寺の寿円日仁や北山日要も日精上人が造仏をしたかのように言うが、彼らの記述は大石寺誹謗を目的としたものであることを考慮しなければならない。
 日因上人の誤解はこれらに御自身の『日蓮聖人年譜』の誤読が加わったものである。日因上人の記述の中には日精上人が関東や奥州の寺に造仏したかのような記述があるが、これも一考の余地がある。なぜならば日因上人が出家され御法主として活躍された時代は、要法寺との通用もすでに百年が経過して、要法寺に対して大石寺からの不造不読の影響が充分に行き渡り、さらに時を得て日寛上人が出られて要法寺の造読を徹底的に破折された後のことだからであり、それに対し日精上人の時代は通用の初めの、最も造読を摂受しながら、不造不読へと漸次教導しなければならない時代だったからである。
 また新寺建立があればその状況も考えねばならない。弘通者が誰なのか。願主は誰なのか。弘通者住職や帰依する信徒の信条は大石寺系なのか要法寺系なのか。日精上人御自身は『日蓮聖人年譜』で日辰を破折されておられるから、全くの大石寺の正義であられたことは動かない。先にも常泉寺も帰一当初は仏像が存したかもしれないと述べたが、日精上人が新寺建立または帰依させた寺の僧俗に造読があれば、それは日精上人がなされたことになるのである。このように要法寺と通用すれば、要法寺の本末を含むすべての責任が大石寺の御法主上人にかかってくるのである。日因上人の記述に日精上人が造仏したとあれば、記録や伝承等それなりの根拠が存するのであろうが、しかしそれをもって日精上人が造読を唱導したとするならば、それは行き過ぎと言わなければならないのである。
 まして貴殿ら腐りきった邪僧どもが、ただ五欲に著した生活のためにこれを悪用することは断じて許されないのである。