12
(笑止、これが「創価学会教学部長」の実態。斉藤克司の浅識)

一、しかも、日尊・日印・日大の伝記は、日寛上人が六巻抄・文段等の随所で破折された要法寺系の論客・広蔵日辰の著「祖師伝」のほぼそのままの引用である。そのため、この三師の伝には、富士の立義と異なる記述が散在する。
 中でも目立つのが、要法寺の造仏・読誦の義に対する破折がないことである。
 富士と要法寺の立義が異なる点として、重要なのが、造仏・読誦に対する態度である。富士では日興上人の遺誡に従い造仏・読誦を禁じたのに対し、要法寺では容認しさらには勧奨した。
 「家中抄」の日印伝には、日尊存命中に日印が造仏を主張した書状が転載され、それに対した西山の日代が反論した書状も転載され、造仏義が破折されている。
 ところが驚いたことに、この後に、さらに日辰が自論を展開した部分も引用されているのである。
 即ち「日尊立像等を除き久成釈尊を立ツる故記録に背かざるなり」と。
 ここでは、日代の書状で造仏義の破折のために引かれた「御遷化記録」の文を強引に会通して造仏を容認する主張を行っているのである。しかもここで伝記は終わる。日精自身による再反論やコメントは一切ないのである。
 これによって、全体の結論は造仏容認・推奨へと反転してしまったままである。
 これでは、読む人に造仏容認・推奨が是であるという誤解を与えてしまうばかりである。素直に読めば、この件だけでも日精が造仏論者であったことは明白である。
 貴殿は、このように読む人を邪義へと導く書を著し平然としている日精に対して、どのように感じているのか。仮にも自ら法主と名乗り人々を教導すべき座にありながら、謗法を見て置いて呵責することをしないのか。もしそうなら、宗祖・日蓮大聖人の御金言に照らせば、謗法与同の罪は免れ難く、仏弟子としての資格を失うものではないのか。

 貴殿は『家中抄』の日印伝が「祖師伝」のほぼそのままの引用である≠ニ言っておきながら、日精自身による再反論やコメントは一切ない中でも目立つのが、要法寺の造仏・読誦の義に対する破折がない≠ネどと難癖をつけている。また貴殿はこれによって、全体の結論は造仏容認・推奨へと反転してしまったままである。これでは、読む人に造仏容認・推奨が是であるという誤解を与えてしまうばかりである。素直に読めば、この件だけでも日精が造仏論者であったことは明白である≠ネどと言っているが、この見解こそ支離滅裂な暴論と断ぜざるをえない。
 『家中抄』に、
日尊日印日大ノ三師ノ伝は全く日辰上人ノ祖師伝を書写する者なり(富要五―二三九頁)
と記されるとおり、三師に関する記述は日辰の『祖師伝』を「書写」したものである。このように日精上人は、大石寺の伝承や日精上人の説ではなく、要法寺の伝承を日辰が記したものであることをわざわざ断られているのである。これは、大石寺との見解の違い、法義的な違いを見ほどけとの日精上人の注意を喚起されるお言葉にほかならない。要するに、その人物の著述をどのように扱うべきか、評価すべきか、判断は別に存するのである。
 日精上人の日辰の教義に対する評価は、『日蓮聖人年譜』に「相違甚多」と造仏義を破折されるごとく、富士の正義とは大いに違っているとするものである。ならば日辰の引用と示される以上、「富士の教義とは大相違の造仏論者の著述である」との評価をもって、引用を見ほどけば良いのである。つまり「日辰の著」と示されているのだから全く何らの不可も無いのである。
 また貴殿は「家中抄」の日印伝には、日尊存命中に日印が造仏を主張した書状が転載され、それに対した西山の日代が反論した書状も転載され、造仏義が破折されている≠ネどと言っているが、これは貴殿の内容の取り違えである。
 斉藤克司よ、これが貴殿の大失態の第一号であると言っておく。
 『家中抄』日印伝に引用された日印より日代への書状には、
粗聞し食され候覧、当院仏像造立の事、故上人の御時誡め候の間、師匠にて候人仰せられ候ひ畢ぬ、今は造立せられ候の間不審千万に候(富要五―二三五頁)
とあるように、この書状は、日印が造仏を主張した≠フではなく、日印が師匠である日尊の造仏に疑問を抱き、日興上人の直弟子の中でも長老株であった西山日代に教示を仰いだ書状である。
 したがって釈尊と十大弟子像を造立したのは、日印ではなく、日尊なのである。
 これも尊門の正確な歴史を知ることなく、要法寺系の諸師が一貫して造仏家であるとの誤った先入観の上から諸文献の解釈を試みるために、このような単純な間違いを起こすのである。この見解は、貴殿が編集委員会の委員長を務めた『仏教哲学大辞典』(第三版)の、
京都要法寺(中略)第二代日尹は釈尊十大弟子の像を造っている。また要法寺第五代日印が造仏読誦を行っている。(同書一二七九頁)
の記述を踏襲したものであろうか。ここにも恥ずかしい限りの浅識を露呈している。ちなみに言っておくが、「第二代日尹」と「要法寺第五代日印」は同一人物である。笑止。これも、斉藤克司の大失態である。
 貴殿は「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」との格言よろしく、謗法の害毒によって「愚者」の象徴的な体たらくに陥っており、邪意邪見による主観的な見方でしか物事・歴史を判断できないのであろう。歴史には貴殿の浅く短い経験だけでは理解できない複雑な状況があることを教えておく。
 また『家中抄』について、読む人を邪義へと導く書≠ネどと誹謗しているが、貴殿は日精上人が『家中抄』を編纂された御意が微塵も理解できていない。
 『家中抄』は日精上人が血脈の深義に基づく正義を基本として、当時伝承されていた可能な限りの史実を書き留められた畢生の書である。しかし江戸時代の不便な状況の中、何分にもお一人での編纂であったがために、用いられた資料そのものが不正確な場合もあり、『家中抄』の内容がそのまま正しい記述であるとは限らない。今日、『家中抄』の内容について、後年発見された諸文献や諸師の指摘等によって史実と相違すると判断された場合、認識を改めているのは貴殿も承知のことであろう。しかも、日精上人は『家中抄』のなかで、
恨ムらくは御筆記文は多く天下の大乱に散失し或は国々門徒へ持参し所伝の法門は住侶闕減に習ひ失ひ唯見聞の及ぶ所、纔に之を記録して未だ精密ならざるなり、豈ニ(ことごと)く興師の道を尽すにたらんや、庶幾は所所散失の御筆并に本尊記文等見聞にしたがつて之を記して其ノ缺を補ひ給はゞ是レ吾カねがふ所なり。(富要五―一八〇頁)
と後世の補筆を願われているが、これは編纂における基本理念を明確に仰せになったものである。
 『家中抄』に、多少精密を欠く資料をもって記載されていたとしても、その意味するところは、当時に伝承した史料を紹介し、さらに後世に伝える性格をも併せ持つものである。いうなれば、日亨上人が『富士日興上人詳伝』や『富士宗学要集』等で他門における謬説を、そのまま参考史料として掲載されていることをもって、貴殿はその内容全てが法義上、日亨上人の正意であると解釈するのであろうか。そんなはずはあるまい。日精上人が日辰の『祖師伝』を引用されたのは、史料的価値を鑑みられた上からの御判断なのである。非難すべきことは全くない。
 『続家中抄』を編纂された第四十八世日量上人は、
我カ先師日精尊者、当門歴史三巻を編輯し家中抄と号す、上巻は開山師一代の行業、中巻は目聖已下本六新六の事跡、下巻は其余の賢哲及び正嫡にして第五世より第十七代に至るの伝記なり、実に末世の亀鏡門家の至宝なり(富要五―二六七頁)
と仰せになり、日精上人が『家中抄』を編纂なされた御功績を絶賛遊ばされている。貴殿は謗法悩乱の頭でもこの意義をよくよく注視し、正義正見を肝に銘ずべきである。
 思うに、当時より遡ること四百年、その間の宗門史をただお一人で編纂遊ばされた日精上人の御苦労は想像を絶するものであったと拝される。
 悲しいかな、悪意と嫉妬に満ちた貴殿らは、『家中抄』を宗門攻撃のあら探しのためにしか読まないであろう。しかし、日精上人が本書を御述作遊ばされた意義を拝すれば、この『家中抄』こそ、宗門上古を拝察できる数少ない史伝書であり、実に唯授一人の血脈法水を伝持された御歴代上人方の御功績を顕揚せんがために御述作遊ばされた書と拝せられるのである。
 この甚深なる意義を無視するばかりか、根本命脈たる血脈相承に対する悪口誹謗の材料に悪用するとはなんたる所業であろうか。貴殿の誹謗は宗開両祖をはじめ、御歴代上人に対する侮蔑(ぶべつ)以外の何ものでもない師敵対の大謗法であり、堕獄必定の大罪と知れ。
 貴殿こそ宗祖・日蓮大聖人の御金言に照らせば、謗法与同の罪は免れ難く、仏弟子としての資格を失≠チた当人であると断じておく。

ホームへ   目次   前頁   次頁