10〔訴訟〕
「自らのスキャンダル疑惑を晴らす」として提訴 なのに完全敗訴とは……≠フ虚言を指弾(しだん)

「その方法論において、今日は法治国家のなかでの裁判という手段もありますから、一往、世法の形を利用してきちんとけじめをつけるということであります。だから、あくまで精神は仏法の正義を顕すことにあります」(平成5年8月26日・全国教師指導会)
 と裁判について発言しているが、自分が法治国家にいることがやっと分かったらしい。至極ごもっともな言である。しかし、それはあくまで「仏法の正義を顕すこと」にあるとのこと。
 それはともかくとして、訴訟について以前は次のようにその見解を述べていた。
「本来、大聖人様の大法を受持信行する僧侶において、世間の刑法等による訴訟によって裁きを受けるなどということは、まことに情けないことに思うのである。それ以上の高く深い境界を、また法の姿を勉強し行じていくところに僧侶の行体があるわけであるから、その僧侶がずっと低いところの世間法のなかで訴えを起こして、それによって自分の考えの是非を判断を委ねておるということは、どこかに狂いがあるからである。そこを大いに考えなければならないのであります」(昭和63年8月24日・第35回行学講習会閉講式)
 本当に阿部師の考え方には一貫性がなく、ご都合主義である。前言をひるがえすのはいつものこと。
 裁判訴訟といえば、律令の時代からあり、当然日蓮大聖人の時代にも存在した。ゆえに訴訟問題についての御教示も御消息のところどころに見られる。訴訟に判断を委ねることを「どこかに狂いがあるから」などの意味では全く仰せになっていない。
 阿部師は、宗門の裁判制度である監正会の裁決をも無視して正信会僧侶全員を処分したくらいだから、訴訟にはそれほど重要性を認めないし、このような一八〇度違う見解に直面しても驚くにはあたらない。
 これは何もいまに始まったことではなく、生来のものなのであろう。これはこの妄語録全体にわたって随所に見ることができる。
 その訴訟についての認識はともかくとして、晩年になって、いわゆる「シアトル裁判」で窮地に立たされたのは何とも皮肉なことである。それも阿部師がつねに見下す庶民も滅多にしないであろうスキャンダル裁判である。自分が恥ずかしい思いをするのは自業自得であるから仕方ないにしても、周りの人間にまで累を及ぼすのはやめて欲しいものだ。嘘でも宗門の頂点に君臨するならなおさらである。
 今まさに「世間の刑法等による訴訟によって裁きを受けるなどということは、まことに情けないことに思うのである」と自ら言うところの「ずっと低いところの世間法」である裁判によって裁きを受け、しかも不名誉な完全敗訴の判決が下った現実をどうするのだろうか?「ハレンチなことは何もしてない」と強弁しても、虚しく聞こえるだけ。誰も信じない。
 彼は生まれてこの方、嘘で塗り固めた人生を歩んできたし、これからも生きて行かなければならないのだろう。

 貴殿らは、裁判訴訟といえば、律令の時代からあり、当然日蓮大聖人の時代にも存在した。ゆえに訴訟問題についての御教示も御消息のところどころに見られる≠ニ言っている。
 この訴訟問題についての大聖人の御教示はどのようなものであるかといえば、たとえば『滝泉寺申状』は、熱原の法難に当たって滝泉寺の院主代・行智の不法を訴えるために問注所に提出された訴状である。これらの御教示は、正法を持つ者への外部からの迫害に対するものであり、かつ事件そのものは世法の次元のものであった。
 これに対して自称正信会の者の提起した管長訴訟は、血脈という仏法の大事について、その裁断を世法の裁判所へ仰いだものであり、大聖人御在世における訴訟とは根本的にその意味が異なるのである。御法主日顕上人猊下には、貴殿ら自称正信会の者の提起したこのような訴訟は、全く世法次元の裁判にはなじまないことを御指南されたまでである。
 裁判提起のつい数カ月前までは、御法主上人に信伏随従しているかの如く振る舞い、自分の意見が通らないと察するや、自らの主張を正当化するために、宗祖日蓮大聖人以来連綿として伝持せられる唯授一人の血脈相承に疑義を構え、日顕上人の血脈を否定した上に、それを裁判に訴えるという暴挙に出た貴殿らの態度は、本宗信仰の上から決して許されぬものである。
 常に一貫した主張もできず、後先をも顧みず、自らの野望を達成させるためなら何でも利用するという貴殿らの行動は、池田大作のそれに驚くほどよく似ている。まさに、万死をもっても償えぬ大逆行為である。
 故に貴殿らの言う本当に阿部師の考え方には一貫性がなく、ご都合主義である。前言をひるがえすのはいつものこと。(中略)彼は生まれてこの方、嘘で塗り固めた人生を歩んできたし、これからも生きて行かなければならないのだろう≠ニの誹謗は、問題の内容に正しい区別とけじめをつけられない、貴殿らの杜撰な見解によるものであり、日顕上人のお言葉は、終始一貫仏法の本義に基づく御指南であるのだ。自らの邪心を省みず、憎悪の炎をもってする貴殿らの悪口こそ、地獄行きの通行証であると示しておく。
 ところで貴殿らは、阿部師は、宗門の裁判制度である監正会の裁決をも無視して正信会僧侶全員を処分した≠ニ言うが、ここで、貴殿らの言う監正会の裁決≠ノついて述べておく。自称正信会は、昭和五十五年八月二十四日、宗務院の中止命令をよそに、反学会一色に染まった第五回全国檀徒大会を強行開催した。この檀徒大会に当たって宗務院は、七月三十一日付の院第一四五号において、大会主催者に対して、
「一、七月四日全国教師指導会における御法主上人猊下の御指南の旨を全面的に遵守し創価学会に対する誹謗中傷的言辞は一切行わないこと。
 二、万一、上記の件を守ることが出来ない場合、もしくは出来ないことが予想される場合は、同大会を中止することを命ずる」(大日蓮四一五‐三)
という通達を出した。宗務院としては、御法主上人の御指南の旨を遵守して檀徒の信心増進のための会合なら許可するとしていたのである。しかし大会主催者は、宗務院の説得を全く聞き入れなかった、そこで宗務院は、八月十一日付の院第一四九号、同十九日付の院第一五八号をもって主催者に大会の中止を厳命したが、主催者は、再三にわたる宗務院の説得を無視し、さらに日顕上人の御指南に真っ向から反目して大会を強行開催した。よって、宗務院の命令に反したとして、やむを得ずその大会に関与した僧侶には、その度合によって、九月二十四日、宗門より処分が下された。中でも主催者である自称正信会の中心者たち五人は、住職罷免の処分を受けたのである(後に擯斥)。
 ここで貴殿らのいう監正会の裁決≠ニは、渡辺広済他五名から九月十七日付で監正会宛に、「檀徒大会出席者に対する処罰は一切してはならない。正信覚醒運動に参加している者に対する差別待遇は一切してはならない。池田大作が御本尊八体を模刻した件については事実とみとめられるので、擯斥または除名処分にすべきである」との提訴状が提出されたが、監正会が同月二十五日にこの提訴状と全く同内容の裁決をなしたので、前日二十四日になされた僧侶懲戒処分は無効になった≠ニいうものである。しかし、当時の常任監正員であった岩瀬正山・藤川法融らは、九月二十四日付懲戒処分によって監正員の資格を喪失しており、二十五日に開催されたと称する監正会は、その構成上から、正規の監正員によるものでなく、且つ提訴状にいう内容は監正会の権限に属さない事項であるので、二十四日の懲戒処分の効力にいささかも影響を与えるものではなかった。さらに、監正会会長であった岩瀬正山は、前記裁決≠ノ先だつ二十四日、「右提訴は本宗の法規に違反するものであるから却下する」旨判断し、その旨の裁決文まで作成し、押印も通知の発送準備も完了していたにもかかわらず、翌二十五日に至り、突然、違法・無効を承知の上で、前記裁決≠強行したのである(詳細は大日蓮四一七‐八、院第二一七号参照)。このように、日顕上人・宗務院は宗規の規定を遵守されており、貴殿らの言い分こそ欺瞞そのものである。
 次に貴殿らは、いわゆる「シアトル裁判」で窮地に立たされたのは何とも皮肉なことである∞「ずっと低いところの世間法」である裁判によって裁きを受け、しかも不名誉な完全敗訴の判決が下った現実をどうするのだろうか?≠ニ述べているが、これは所謂「クロウ裁判」の経過を何ら理解せず、あるいは故意に歪曲した上での誹謗でしかない。たしかに宗門は、第一審東京地裁の不当判決により敗訴したが、我が国の裁判は三審制であり、第一審判決の誤りが高裁や最高裁で是正されることはいくらでもある。現に「クロウ裁判」の場合は、第二審である東京高裁の強力な勧告により裁判上の和解が成立したのであるが、この和解により第一審判決はすべて無効とされたのである。のみならず、創価学会はこの和解において「クロウ事件」に関する報道の差し止めを誓約させられたのである。他方、宗門側は「クロウ事件」について、事実はなかった≠ニ否定することは差し支えないとされた。これが「クロウ裁判」の最終結果なのであって、いずれの勝利に帰したものか、誰の目にも明らかであろう。しかるに、貴殿らは、すでに無効となった第一審判決の新聞記事を、あたかも最終判決のように見せかけて掲載するなど、創価学会から相伝でも受けたかの如き、汚い手法で御法主日顕上人猊下を貶めようとしている。しかし高等裁判所の強力な勧告によるこの和解により、第一審判決は無効とされ、創価学会は「クロウ事件」が存在するとの主張・報道をすることすら放棄せざるをえなくなったものであり、宗門にとっては、勝訴判決以上の大勝利を得るという名誉回復の大成果を上げたものである。
 御法主日顕上人猊下は、極悪謗法の創価学会を破門して仏法の正義を守られたために、創価学会から悪口罵詈せられている。のみならず貴殿ら自称正信会からも悪口罵詈せられていることは、まさに法華経の忍難弘通の御文の一分を身読遊ばされているのである。

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