11〔低次元〕
こどものケンカにも劣る老醜二人の大喧嘩!≠フ放言を叱る

「今、世間では、宗門と創価学会は喧嘩をして悪口を言い合っているというような見方をする向きもあるようですが、これは明らかに違います。創価学会は間違いなく正法を悪口・誹謗しておりますが、宗門は誤りは誤りとして、謗法は謗法として、その間違いを糾さなければ、その者達が地獄に堕ち、さらに迷う者が出ますので、慈悲の立場から堂々と論破し、教導しているのであります。そこに世間の者達には解らない、宗門の正しく高い境界があるのです。
 したがって、私が口から血を吐いて死ぬというようなことは絶対にありません」(平成4年6月21日・東北第一布教区)
 宗門と創価学会の見聞きするに耐えない醜い紛争は「これが仏教か。それも唯一正当正法を主張する者の言い方か」と耳目を疑いたくなるような言葉を口汚く相手に浴びせかけてとどまるところを知らない。阿部師は宗門が正、学会は邪と決めつけ、「そこに世間の者達には解らない、宗門の正しく高い境界があるのです」とうそぶいている。
 さらに「創価学会は間違いなく正法誹謗している」が、宗門は「慈悲の立場から堂々と論破して教導している」と言っているがはたしてそうだろうか。その機関誌を見る限りどっちも低次元で目クソ鼻クソを笑う@゙のケンカにしか見えない。
 はては、オマケに「したがって、私が口から血を吐いて死ぬというようなことは絶対にありません」とオチまでつけているのには思わず吹き出してしまう。
 また、つぎの語録に出会うと読者はさらに吹き出し、何とも阿部師の卑小な心に憐れみをおぼえるであろう。
「池田大作がこの摧尊入卑の元凶なのです。創価学会の者達と話すときにはこれをきちんと言ってもらいたい。謗法の者に対しては徹底して破折しなければいけません。
 それを、宗教家として人格を疑われるというような考えから、尊称を付けて池田大作を呼ぶ人がいるようですが、正邪をはっきりと峻別する上からは呼び捨てでいいのです。
 『池田大作はこのような誤りを言っているが、これは摧尊入卑なのです』と堂々と破折するべきなのです」(平成6年8月24日・第43回全国教師講習会)

 表題にこどものけんかにも劣る老醜二人の大喧嘩≠ニあるが、これは全くの欺瞞であり、事実とは大いに相違する。謗法の創価学会に対する宗門の対応を喧嘩とみるのは眼が腐っている証拠である。貴殿らは、日顕上人の御指南を挙げて、宗門と創価学会の見聞きするに耐えない醜い紛争≠ニ言い放つが、この日顕上人の御指南のどこを拝せば、そのようなふざけたことが言えるのか。
 また、貴殿らは、宗門の教導と、それに対する創価学会の誹謗とを、これが仏教か。それも唯一正当正法を主張する者の言い方か≠ニ蔑み、耳目を疑いたくなるような言葉を口汚く相手に浴びせかけてとどまるところを知らない≠ニ第三者的な論評を加えているが、創価学会より先に、宗門より出て行って不知恩にも宗門を口汚く詈ってきた集団こそ自称正信会ではないか。自分達のことを棚に上げてよくも言えたものだ。厚顔無恥とはまさに貴殿ら自称正信会の者たちに対する言辞というほかない。
 さて、日顕上人は、御親教の砌、『開目抄』の御講義中、
「この無垢論師は小乗の論師で、大乗をたいへん憎んで悪口を言いましたので、しまいには口から血を吐いて死んだという伝記があるのです。正法を悪口誹謗すれば、その罪障により血を吐いて死ぬことになります。今、世間では、宗門と創価学会は喧嘩をして悪口を言い合っているというような見方をする向きもあるようですが、これは明らかに違います。創価学会は間違いなく正法を悪口・誹謗しておりますが、宗門は誤りは誤りとして、謗法は謗法として、その間違いを糾さなければ、その者達が地獄に堕ち、さらに迷う者が出ますので、慈悲の立場から堂々と論破し、教導しているのであります。そこに世間の者達には解らない、宗門の正しく高い境界があるのです。したがって、私が口から血を吐いて死ぬというようなことは絶対にありません」(大日蓮五七四‐五〇)
と仰せである。すなわち、宗門が創価学会に対して行ってきた教導は、この御指南に尽きるのである。要するに、宗門の破折は、慈悲の境界より出た謗法厳誡の大折伏なのである。しかるに、その善行を、目クソ鼻クソを笑う類≠セとする貴殿らの主張こそ低劣と言うほかない。また、日顕上人が「私が口から血を吐いて死ぬというようなことは絶対にありません」と仰せられたことは、無垢論師の事例を出された上で仰せになられたことであり、首尾一貫、些かも矛盾は存しないのである。にもかかわらず、オチまでつけているのには思わず吹き出してしまう≠ニは、このところも故意に切り文をもって、御法主上人を侮辱しようとしているのである。その心底、誠に卑劣極まるもので、憐憫の情に堪えない。
 また、日顕上人が、「尊称を付けて池田大作を呼ぶ人がいるようですが、正邪をはっきりと峻別する上からは呼び捨てでいい」と仰せられたことについて、卑小な心に憐れみをおぼえる≠ニ言うが、では念仏の法然を厳しく呼び捨てて破折遊ばされた大聖人をどのように拝するのか。何れにしても、貴殿らの主張には全く根拠がなく、道理を無視して、ただ単に非難中傷するだけのお粗末な内容と言うほかはない。
 さて、この日顕上人の御指南は、創価学会の者たちに話をするとき、その首魁である池田大作こそ三宝破壊の大謗法の元凶であることを徹底して破折する上で、正邪をはっきりと峻別するために池田大作を呼び捨てにせよ、と仰せられたのであり、あくまで謗法厳誡に主眼が存する。その上からはむしろ呼び捨てるべきなのである。よく御書を拝せ、どこに目を付けているのかと言っておく。この日顕上人の大慈悲による謗法厳誡の深義を拝せない、否故意に拝そうとしない貴殿らこそ、師敵対の卑小な謗法者であることを自ら示すものである。

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