13〔池田の指導力〕
還著於本人とも知らず節操のない阿部師の御都合発言≠フ偽言
(ぎげん)を糾弾す

平成5年6月20日、北陸親教で阿部師は、
「池田大作は、あの正本堂建立の時に、世間迎合の色々な姿のなかから、バチカンのキリスト教関係者をその祝いの席に招いております。この一つだけをもっても、あの大作という男の考え方のなかには、法が一切の根本ということではなく、むしろあらゆる謗法を招き寄せながら、結局、世間に迎合する形のなかで仏法の流布を考えておるところに、その根源的な誤りが存しておるのであります」
と言い、
同年6月27日、新潟親教では、
「キリスト教の者どもの歓心を買い、あちらこちらに行って勲章をもらって喜んでいるような姿、そういう大聖人様の信徒としてまことに恥ずかしい、名聞名利のみに執われたような姿が現れてくるのも、一切は大聖人様の仏法を我見をもって解釈し始めたことから起こっておるのであります」
と言った。
 本人はもう忘れてしまっているようだが、このつい三年前の平成2年1月7日には、
「九月に総講頭・池田先生の発願によりまして、まだこれは内定でありますが、だいたい判っておることは、大文化祭をちょうど広くなったこの客殿の前の広場で行うことになっています。これにはずいぶん大勢の外国の人達もみえることになっておりまして、池田先生の構想においては下種の意味においてはできるだけ世界の著名人も聖域に参加させ、この盛儀を見させたいというようなこともあるようでありまして、やはりこれが将来の正法世界広布の大きな因縁となっていくものと私も感ずるのであります」
と言って、同感の意を表しているのである。「あの大作という男の考え方のなかに――あらゆる謗法を招き寄せながら、結局世間に迎合する形のなかで仏法の流布を考えておるところに、その根源的な誤りが存しておる」のなら、阿部師も同じということだ。ハハ〜ン、道理で正本堂の中にバチカンの神父を招き入れたことについて、何十年も見て見ぬふりをしてきて、一度も「あれは間違っています」と注意しなかったわけだ。
今ごろそれを言い出して、還著於本人とはこのことである。
 また、このたび竣工した奉安堂の落成式には多数の旧華族(非信徒)を招き入れているが、これは問題ないのか?

 正本堂完工式に、バチカンの外交官を招いたことは何ら問題ないことである。日有上人の『化儀抄』にも、
「法華宗の御堂なんどに・他宗他門の人参詣して散供まいらせ華を捧る事有り之を制すべからず、既に順縁なるが故なり」(富要一‐一五六)
との仰せもあり、また日亨上人の、
「『散供まいらせ』通例御賽銭と云ふもの此時代では通貨でも米でも仏前に蒔き散らすが普通の例であつた、此は丁寧なる儀式でないが却つて信謗の区別なき一般的のもので順縁とも云ふべきであるから禁制に及ばぬと仰せらるのである」(同)
との註解もある如く、不信の人であっても総本山に参詣することは順縁を結んで将来の入信に繋がるのであるから、その意味をもって何ら不都合はないのである。故に宗門としては、大御本尊御遷座前でもあり、お披露目の意味もあるので、来賓については信・不信に関わらず招待することを可として、出席者をほぼ学会側に一任したのである。
 しかし池田大作が完工式に呼んだバチカンの外交官が、キリスト教の神父であったということも事実である。宗門的には信徒ではなくても順縁を結ばせるべく、折伏の念をもって「バチカンの外交官」を呼ぶことには差し障りがないが、広布第二章の伏線として、外道との迎合、外道礼賛を目的に「キリスト教神父」を参加させるというものであれば、それは邪教をまき散らす仏敵を呼び寄せることであり、到底看過することはできない。
 要は池田大作が「バチカンの外交官」を正本堂完工式に呼んだのか、「キリスト教神父」を呼んだのか、その真意がどちらかということである。池田大作は正本堂完工式において、
「日蓮正宗は第一章をここに終わり、本日より第二章に入ったわけであります。あくまで民衆のために」(大日蓮三二二‐五七)
と挨拶している。このように正本堂落慶後、「民衆のため」という美名のもと、「広布第二章」という路線が始まったが、これは、正本堂の建立によって日蓮正宗の広宣流布を目指すことは終わりとし、以後は池田の考えを基として創価学会の拡大を目指すという路線であった。それによって、学会の逸脱、とりわけ池田を神格化し、賛嘆する路線が顕著となっていったのである。当時の状況からいっても、間違いなく池田大作は外道の神父などの「愚人」からも賞賛を受けたいという「迎合」を目的にバチカンの外交官を呼んだであろうことは明らかである。しかしそれらの謗法は昭和五十二年路線の収束と共に、日達上人が池田大作の反省懺悔の上に一旦寛容遊ばされたことなのである。
 「反省した」と言っている者を「お前の反省は本物ではない」となじり、どこまでも攻撃するという、貴殿ら自称正信会のとったような態度は、仏法者の慈悲の精神に悖ることであり、なすべきことではない。
 しかし、池田大作は平成二年十一月十六日、
「五〇周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から馬鹿にされ」(大日蓮号外・学会問題の経過と往復文書二三)
とスピーチした。支離滅裂ではあるが、要するに「会長を辞めさせられ」「もう宗門から散々やられ」と発言したということは、池田大作が反省をして五十二年路線を収束させるため、責任を取って会長を辞任したことの意味を明らかに否定するもので、これは当時の池田大作の謗法を許された日達上人の慈悲を踏みにじるものであることは当然であり、池田大作は昭和五十二年路線における謗法そのままの状態に戻ったことを自ら明かしたのである。このような状況になれば、五十二年路線に立ち返って池田大作の謗法を追求することは破邪顕正の精神に叶っているのである。
 要するに日達上人が昭和五十四年五月に正式に創価学会の謗法を全て許され、創価学会問題を収束遊ばされた後も、学会攻撃を繰り返した貴殿ら正信会は、日達上人、日顕上人への師敵対の故に謗法である。また平成二年の末以降、御法主上人を侮辱し、本宗の根本命脈たる本門戒壇の大御本尊と血脈法水を否定するようになった池田大作とそれに同心する輩は、謗法への反省を反故にしたのであるから、かつての謗法をも責めるのである。学会への対応は状況により変化することは当然である。
 また貴殿らは池田大作の、世界の著名人を招待して大石寺開創七百年記念の文化祭を行いたいとする考えについて、「下種の意味においてはできるだけ世界の著名人も聖域に参加させ、この盛儀を見させたいというようなこともあるようでありまして、やはりこれが将来の正法世界広布の大きな因縁となっていくものと私も感ずるのであります」と言って、同感の意を表しているのである≠ニ日顕上人が池田大作の考えに同調していたかのように述べている。しかし日顕上人は、たとえ信徒でなくても「下種」、つまり折伏の意味において招待することはよいことだと述べられているのである。先に挙げた日有上人の御指南と全く同意義ではないか。日顕上人の御指南と池田大作の謗法与同・外道礼賛の魂胆とは本質的に全く次元が異なるのである。
 さらに、奉安堂の落成式には旧華族(非信徒)を招き入れている≠ネどと揶揄しているが、奉安堂竣工式に招いた来賓と、池田大作のように邪教徒の礼賛を受けたいなどという不純な気持ちで招いた来賓とでは天地雲泥の相違がある。何よりお披露目の席であり著名人にも奉安堂を見ていただいたまでのことである。また大石寺は、今回招待した来賓方の先祖と深い関わりの中で発展を遂げてきたのである。大石寺と先祖との歴史が機縁となって未入信の来賓方であっても将来入信されることがあるかもしれないのである。
 池田大作が正本堂の完工式に、バチカンの外交官を呼んだことと、奉安堂の来賓とを混同することによって、何も知らない自称正信会の檀徒を錯覚させることができるかもしれないが、それはとんだ偽言でしかない。
 宗門の学会に対する方針は、その都度、大所高所から宗門を教導される御法主上人より明確に打ち出され、宗門の主張や言動は常に時機・道理に照らして法界の運行に叶っているのである。それに比して貴殿らの主張こそ、自らの意に叶えば学会の主張であろうと平気で用い、また意に叶わないことは、血脈を否定して宗門から擯斥されてもどこまでも我意・我見を押し通す、わがままで身勝手なものなのである。

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