16〔法華講総講頭〕
池田氏を総講頭に復活させた失政はまったく省みず≠フ横言(おうげん)を摧破す

 平成2年12月27日、暮も押しつまったあわただしいとき、阿部師は急遽臨時宗会を召集し、『宗規』の改定を行った上で即日、池田大作氏の法華講総講頭職及び秋谷栄之助氏らの大講頭職の資格も喪失せしめた。
 これについて宗門側では一応「任期制導入に伴う資格喪失」としたが、従来の宗規にあった「総講頭の退職した者を名誉総講頭と称する」という規定を削除したり、信徒の懲罰規定に新たに「言論、文書等をもって管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき」除名を含む処分が出来るという一項を設けたり、あるいは「附則」まで設けて「この変更した宗規は……即日施行する」としたことはいかにも性急で、そこには池田氏や秋谷氏の総講頭・大講頭職を、有無を言わさず剥奪したいという阿部師の強い意志があった。
 そもそも池田氏は、昭和五十二年に一度、創価独立謗法路線を仕掛けたのだが、そのときは決起した若手僧侶(のちの正信会)の反撃に遭って挫折、止むなく宗門に恭順を装って昭和54年4月総講頭職を自ら辞任、日達上人に院政を敷くこともしなければ、表面に出ることも差し控えると誓って事態はひとまず収まったのであった。
 ところが昭和59年1月2日、阿部師は池田氏を再び「法華講総講頭」に任じたのであった。云わく、
「そこで最も大切なことは、今まで法華講の組織のなかにおいて総講頭という重要な役職が欠けておりましたので、本年のこの新しい発足の時に当たりまして、創価学会の池田名誉会長を本年の一月二日に、法華講総講頭として任命をいたしました。――これからの宗門の様々な前進の事態に備えることにいたした次第でございます」(昭和59年1月4日・法華講連合会初登山)
 アラジンの魔法のランプではないが、折角封じ込んだ池田大魔王を、阿部師はまた表へ引き出したのである。
 それから七年、池田氏はまた宗門を支配せんとして驕りだした。そして阿部師と衝突。阿部師は池田氏の総講頭職剥奪を自らせざるを得なくなったというわけだ。云わく、
「池田大作が総講頭になっておりましたけれども、任期は定められておりませんでした。つまり、総講頭に任命されたならば、一生、総講頭なのです。悪心をもって宗門を支配せんとする人間が死ぬまで信徒の代表である総講頭という立場にあるなどということでは将来にわたって困りますし、信徒の役職において任期がないということもおかしいことです」(平成8年4月16日・正蓮寺)
「悪心をもって宗門を支配せんとする」前科を持った人間を、再び信徒の代表である総講頭に据えたのは一体誰なのか。阿部師には自らの失政を省みるという気はさらさらないようだ。このことが宗門の一番の不幸であり災いの原因なのだ。

 貴殿らは、池田氏や秋谷氏の総講頭・大講頭職を、有無を言わさず剥奪したいという阿部師の強い意志があった≠ネどと述べているが、これは剥奪などというものではない。この件については、平成二年十一月十六日の創価学会本部幹部会における、御法主上人を愚弄した池田大作の、
「全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ。ドイツ語聞いてるみたいにね。それで『俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者』って。そんなのありませんよ、この時代に。時代とともにやればいい、学会は」(大日蓮号外・学会問題の経過と往復文書二〇)
との発言等につき、宗務院がその真意を質したのである。申すまでもなく日蓮正宗の根本命脈は本門戒壇の大御本尊と血脈法水である。貴殿らも血脈否定をした者の末路がどのように無惨なものか骨身に染みているだろう。その時の学会の対応は、徹底した狡猾と反抗の姿勢そのものであり、到底かつての反省懺悔の名残りも見当たらないものであった。このような誠意のない在り方を放置しては、将来における宗門に重大な結果を招くことが考えられたので、法華講本部に関する宗規を改正して、一旦総講頭・大講頭の資格を喪失させ、いい加減な対応では済まされないということを態度に示したものである。この宗規改正によって池田らはその資格を喪失しただけで、懲罰として総講頭・大講頭職を剥奪されたわけではない。その証拠に何ら事態に関係のない法華講員の大講頭も同時に資格を喪失したのである。懲罰ではないのだから学会側の態度次第では再任される可能性をも残した、いわば温情的措置だったのである。
 さらに、学会の五十二年謗法路線が、決起した若手僧侶(のちの正信会)の反撃に遭って挫折≠オたとは何たる言いぐさか。学会を破折されたのは御先師日達上人であられる。そして多くの僧侶も日達上人の御指南を受け、分々に学会を破折したのである。そして日達上人が昭和五十三年六月三十日・同十一月七日の二度にわたる学会の反省を容れられ事態を収束されるや、多くの僧侶はそれに信伏随従して学会を見守る立場に転じたのである。その御指南に従わず暴走を続け、ついには血脈否定にまで至った挙げ句の果てが「日蓮正宗」を詐称する自称正信会のあさましい姿ではないか。
 また貴殿らは前科を持った人間を、再び信徒の代表である総講頭に据えたのは一体誰なのか。阿部師には自らの失政を省みるという気はさらさらない≠ネどと言い、池田大作の総講頭再任が日顕上人の失政≠セと難癖をつけているが、これは失政などではない。その時の趨勢である。
 なぜならば、池田大作の反省を基に学会の誤りを許し、創価学会を善導する路線を打ち出されたのは日達上人であられる。池田大作及び創価学会は、宗門に恭順の態度を示し、信徒団体としての本分を一応は守っていたのである。反省をしたならばその反省に応えてやることが、仏法の慈悲の精神でもある。また、役職を与えることにより信仰が深化され、命が改まるということもあるのである。日顕上人には諸状況を鑑みられ、再度池田大作を総講頭に任命して、功徳を積む機会を与え、池田大作の信行増進を願われたのである。時には寛容に、時には峻厳に人を導くということは、勧誡二門の仏法の道理に叶った大所高所からの御教導であり、失政などではない。
 そこで失政≠フ最たるものを指摘しておく。貴殿らが正信会会長に選出したかつての領袖久保川法章、その選出こそ失政ではなかったのか。久保川は今では甲斐阿日源などと仰々しい名前を騙り、自称正信会からも離反し、恐れ多くも本尊まがいのものまで書写するという悩乱ぶりである。領袖に選んだ人間がその団体から離反する、これこそ失政≠ニ言わずして何と言うのだ。
 この一事こそ、貴殿らが言う如き、相承は基本的には、周知徹底して儀式の形態で行われること。それができなかった時は宗制宗規によって次期管長法主を選定すること。それで充分である=i『虚言集』九頁)などと言うことが、いかに荒唐無稽の横言であるかを如実に顕していると言えよう。
 日蓮正宗の管長法主が血脈相承を御所持されないなどということはありえない。逆に言えば、日達上人より血脈を承継遊ばされた日顕上人だからこそ、二十五年もの長きにわたり宗門を正しく教導遊ばされているのである。また、日顕上人は御仏智を体し、あらゆる諸問題を正しく対処してこられたからこそ、今日の宗門がある。この厳然たる事実を伏して拝信せよと呵すものである。

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