17〔池田の指導力〕
外遊の評価一つとっても天から地ヘ≠フ愚言を論破す

 阿部師は平成5年2月24日、東中国布教区親教の折に、池田氏のことを次のようにこきおろした。
「彼は今、『民衆だ、民衆だといって、ノーベル賞が欲しいのだかなんだか知りませんけれども、あちらこちらの国へ行ってお世辞を使い、色々と努力をしている姿があります。あれもみんな世間的な名誉を得たいからでしょうが、世間的な名誉を得たいという心の中には、仏様に対する信仰は少しもないのです。仏様に対する信心があるならば、世間的な名誉などまったく欲しくないはずです。それが、仏様の照覧をおそれず、世間の人間に良く思われたい、立派な人だと思われたいという世間的な名誉欲だけで生きているのが今の池田大作です」
 ところが、これより九年前にはどう言っていたか。昭和59年4月6日の御虫払の折の発言はこうであった。
「今日、この一切衆生即身成仏の大法たる妙法が日本ないし世界に弘まり、創価学会インターナショナル会長・池田大作先生は、広く世界にその足跡を印し、正法広布の指導と激励、さらには世界平和の大目的に向かって正宗信徒として、偉大な精進努力を重ねておられることは、まことに本仏大聖人の聖意に適う姿であると信じます」
 さらに六年前の昭和62年5月23日、蓮覚寺落慶式では、
「明日は法華講総講頭、名誉会長・池田先生がソ連からヨーロッパに向かって出発をされる日であります。これは一つには、いわゆる核の廃絶ということが人類のこれからの大事な命題であり、ソ連という国、しかもその首都のモスクワにおいて『核の脅威展』が行われるという、まことに人類史上有意義な行事のためにおいでになるわけであり、また一つには、ヨーロッパにおける正法の正しい順序次第をもっての発展を願われ、色々な面からの一層の正法の護持、興隆を目指して、その指導に行かれるということをうかがっておるのであります。――一閻浮提広宣流布に向かって勇猛精進される先生の姿はまことに皆様信徒の模範であり、尊いものと思うのであります」
と語っていた。
 そのほか、池田氏の外遊を世界平和と広宣流布のために意義あること、すばらしいことと賞めちぎった言葉は枚挙に暇がない。おまけに池田氏の出国、入国の際には、阿部師夫人、藤本総監夫妻等、宗門中枢が夫人連れで必ず空港まで出向いたものだ。
 その頃からだって池田氏は、世界各国の勲章漁りをしていたのだが……。
 結局阿部師は、池田氏と「慈無くして詐り親しんでいた」ということを自ら吐露していることになるのでは?

 貴殿らは、池田大作に対する日顕上人の評価について、外遊の評価一つとっても天から地へ&マわっているなどとしている。ここで、貴殿らの挙げている日顕上人のお言葉を、子細に拝することとする。
 まず、昭和五十九年のお言葉は、「『核の脅威展』の開催と正法の護持、興隆を目指しての指導」に対して評価されたものである。また昭和六十二年のお言葉は、「正法広布の指導と激励、世界平和に向かっての精進努力」に対して評価されたものである。
 日顕上人がこのようなお言葉をなされた当時は、「昭和五十二年路線」の収束と池田大作の法華講総講頭・創価学会会長の引責辞任を経て、創価学会が日蓮正宗の信徒団体としての再起を誓い、宗門の外護と広宣流布への前進を表明していた時期であった。昭和五十四年には「創価学会会則」が制定されたが、学会は、『大白蓮華』に、
 「(会則には)日蓮正宗の信徒団体としての創価学会の基本性格が、一段と明確にうたわれており『日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする』(第三条)と明言している」(大白蓮華昭和五十四年六月号三二)
と、この会則についての基本方針を確認し、さらに会長・北条浩は、
「私どもの願う広宣流布とは、申すまでもなく、日蓮正宗の正法正義を世界の民衆に知らしめていくことであります」(同四六)
と言明した。
 こうした状況の中、日達上人は創価学会の反省懺悔を受け容れられ、昭和五十四年五月三日、第四十回創価学会本部総会において、
「どうか今後は、信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸び伸びとご活躍を願いたいのであります」(日達上人全集二‐五‐六二一)
と御指南された。このように日達上人は、創価学会の再出発に当たって、信徒団体としての基本を踏まえた上での自主的な活動を温かく見守られたのであり、日顕上人も御登座後、日達上人の創価学会に対する善導和合路線をそのまま引き継がれた。
 その後、創価学会の逸脱問題が一応の収束を見た五年後の昭和五十九年一月二日、日顕上人は再び池田を総講頭に任命され、池田に再度の御奉公の機会を与えられたのである。
 日蓮正宗の信徒として、真に「正法の護持、興隆を目指しての御奉公」をするならば、それは賞賛に価することであり、日顕上人はこのような状況のもと、池田の活動を評価されたのである。
 しかし池田は、平成二年になると、再び驕慢謗法を起こし、宗門へ圧力を加える言動を見せ始めた。そして、同年十一月十六日に行われた第三十五回本部幹部会において、池田は野卑な暴言をもって、御法主上人ならびに宗門僧侶に対する誹謗中傷を行うに至った。その後、池田および学会は、宗門の度重なる教導に耳を傾けず、平成三年十一月、ついに創価学会は日蓮正宗から破門され、翌四年八月、池田は日蓮正宗から信徒除名処分に付されたのである。
 しかるに池田大作は、創価学会が破門され、自らも信徒除名されるに至っても、少しの反省も見せず、宗門への誹謗をますますエスカレートさせるとともに、海外各国からの名誉称号や勲章を受けようとする行動を以前にも増してとるようになった。こうした事態に立ち至って、日顕上人は、池田について、「仏様に対する信仰はなく、世間的な名誉欲だけで生きている」と、その行動の本質を指摘されたのである。
 このように池田の破門前と破門後とで、日顕上人の池田に対する評価が変わったといっても、それは、池田の仏法に対する姿勢が変化したためである。日顕上人は、悲ある故に善導されたのであり、慈ある故に破折されたのであるが、邪眼しかもたない貴殿らには、日顕上人のお振る舞いが慈無くして詐り親しんでいた≠謔、にしか見えないのである。

次項        目次
    ホーム