18〔池田の指導力〕
賞賛一転酷評信じられない落差 これを二枚舌という≠フ妄言を破折す

 阿部師と池田氏との争いの本質は、感情的対立以外の何ものでもない。
 昭和52年に起きた紛争は、創価学会が「池田先生は三徳兼備のお方」「『人間革命』こそ現代の御書」「池田先生こそ本門弘通の大導師」等と主張して池田本仏論を展開し、挙句、御本尊まで勝手に造っていたことに対して、正信会がそうした創価学会の謗法を指摘するというきわめて宗教的観点からの紛争であった。
 だが今回の争いは、きっかけはもちろんだが、その経過を見ても、これは阿部師と池田氏のいわば私怨の醜い争いでしかない。それは両者の互いを罵る言葉にその心根が現れている。
 創価学会が阿部師のことを「法滅の妖怪」「三毒強盛の極悪日顕」「嫉妬に狂う日顕」等と口を極めて罵れば、阿部師も負けてはいない。池田氏のことを「大謗法の首魁」「顛狂(ママ)の大謗法者」「吹き出したくなるような程度の低い者」「大莫迦者」「驕慢無類の莫迦者」「池田のように大謗法でくだらない下品な者が……」等々。
 これらの罵詈雑言のつい数年前まで、口を開けば「池田先生はすばらしい」と賞讃の限りを尽くしていたというのに……。
「日本ないし世界に今日までこれだけ正法が弘まり、護持の信徒も多数増えて、しかもその功徳が様々なところに顕れておりつつも、さらに一閻浮提広宣流布に向かって勇猛精進される先生の姿はまことに皆様信徒の方々の模範であり、尊いものと思うのであります。その先生の指導によってまた日本ないし各国の信徒の方々が、謗法・邪義を正直に捨てて、正直に正法正師の正義を信心しておられるということがまことに心強い次第でありまして、これからますます広宣流布の道が開けていくものと思うのであります」(昭和62年5月23日・蓮覚寺)
「そしてまた、そのあとを現在の法華講総講頭、名誉会長・池田先生に引き継がれて、その十倍という大きな広宣流布が成し遂げられたということも、初代、二代、三代の会長の方々の熱烈なる正法流布の信念とともに、その人格の勝れたところによるものと思うのであります」(昭和62年9月10日・大宣寺)
 この落差、これを世間では二枚舌という。

 二枚舌とは『広辞苑』によれば、「前後の矛盾したことを言うこと。嘘を言うこと」とある。貴殿らは池田の指導力 賞賛一転酷評信じられない落差 これを二枚舌という≠ニしているが、要するに御法主日顕上人猊下の池田に対する評価が、平成二年以前と以後では全く違う、二枚舌だと言いたいのであろう。しかし、御法主上人猊下の言を二枚舌と呼べるかどうかは、その御言葉が真実であるか嘘かにかかっている。すなわち一般に、時間的に前と後で述べたことが異なっている場合、前に述べたことと、後で述べたことが事実に矛盾せず、どちらも真実である場合は、それは二枚舌とは言わない。たとえば前にあのリンゴは青いと言い、後にあのリンゴは赤いと言った場合、述べた言葉が青から赤へと変わっても、実際にリンゴの色が青から赤へ変わったのなら、それは事実に即して真実を述べたものであり、決して嘘でも二枚舌でもない。しかし、リンゴが相変わらず青いのに、あのリンゴは赤いと言えば、それは前後で矛盾し、真実と反することになる。それを「嘘」「二枚舌」と言うのである。
 それでは御法主日顕上人猊下のお言葉はどうか。二枚舌なのか。正しいのか。
 この場合、リンゴの色とは、池田大作の信心の正邪に当たるといえよう。池田大作の信心が正なる時に、これを正と言い、邪なる時にこれを邪と言うことは真実であり、二枚舌ではない。池田大作の信心が正しい時に正しいと言いながら邪となった時にも正しいと言う、或いは正しい時に邪と言いながら邪となった時に正しいと言う、それを二枚舌というのである。
 そこで貴殿らが引く御法主日顕上人の御言葉だが、いずれも昭和六十二年の折の御指南である。この当時、池田大作・創価学会は御先師日達上人へのお詫びを守り、総本山・末寺を外護し、日蓮正宗の信徒団体としての活動に励んでいた。故に御法主上人は、池田大作の信心が正しい時に正しいと評価されたものである。
 次に池田大作・創価学会が再び謗法を犯し、三宝破壊の邪教と化したのは平成二年からのことである。よって平成二年以降に、池田大作・創価学会を邪として破折遊ばされることは、邪なるものを邪として、真実を述べられたものであるから、これも正しい。
 したがって御法主日顕上人猊下のお言葉は、池田大作の信心が正なる時に、これを正と言い、邪なる時にこれを邪と言われたのであるから、全く真実を述べられたものであり、二枚舌などではないのである。これは小学生にもわかる簡単な道理である。
 しかるに貴殿らは二枚舌でないものを二枚舌という。これを称して虚言、妄言というのだ。わかりやすく言えば貴殿らは「ウソつき」ということだ。貴殿ら自称正信会の言は、常にその類であると断じておく。
 さて貴殿ら自称正信会は、阿部師と池田氏との争いの本質は、感情的対立以外の何ものでもない∴スいはこれは阿部師と池田氏のいわば私怨の醜い争いでしかない≠ニ言うが、そもそも平成二年以降の創価学会問題は、池田大作が第六天の魔王に蹂躙され、三宝破壊の大謗法を犯すに至ったことが根幹に存する。故に、御法主日顕上人猊下には池田大作の大謗法を厳然と破折遊ばされたのである。すなわち今回の創価学会問題における池田大作の大謗法は、昭和五十二年路線の謗法を遥かに凌駕したものである。御本尊の問題一つ取り上げても、当時における七体の模刻どころではなく、今回は御本尊を偽造し、大量に複写し頒布するという極大謗法を犯しているのである。既に貴殿らは、大聖人・日興上人以来の唯我与我の血脈相伝を信ぜず、大謗法者と成り果てているから、池田創価学会の大謗法が全く見えなくなっているのだ。誠に「臭きを溷厠に忘る」の大莫迦者と言うほかない。
 その御法主日顕上人猊下による厳然たる謗法破折を単なる争い∞感情的対立≠ニしか捉えられない貴殿ら自称正信会は、貴殿ら自身が池田大作と同じ謗法者であることを証明しているのである。
 また貴殿らは、自称正信会による昭和五十二年の創価学会謗法破折は、きわめて宗教的観点からの紛争であった≠ニ自賛している。しかし貴殿らの創価学会破折は、結局のところ驕慢謗法に陥ったのである。なぜなら貴殿らはあくまで御先師日達上人の下で御奉公させていただいた立場以外の何ものでもないからである。それを貴殿らはいつの間にか、自らが手綱を握っていると思い上がったのだ。だからこそ貴殿らは御先師日達上人と御当代日顕上人猊下の御指南に背き、大それた血脈否定の裁判などを起こすこととなったのである。
 更に貴殿らは、日顕上人猊下の池田大作に対する謗法破折の言辞と創価学会が御法主日顕上人猊下を種々誹毀讒謗することとを同一視しているが、とんでもないことである。何度も言うが、日顕上人の御指南は、あくまでも池田創価学会の謗法を破折し善導するためのものであるのに対し、池田大作や創価学会の罵声は、あくまで貴殿らと同様、私怨と嫉妬からのものにすぎない。このことは、法滅の妖怪∞三毒強盛の極悪日顕≠ネどの低俗な誹謗が証明している。日顕上人の慈折善導と池田創価学会の悪口罵詈とを同一視することは、玉と石を混同する愚と告げておく。

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