21〔大謗法〕
「広宣流布のため、大いに必要な団体であり、人物」ではなかったのか?≠フ僻言(へきげん)を笑う

「しかしながら、あの創価学会のように、ただ数さえ増やせばいいというような、実にめちゃくちゃな在り方は、今日においてはむしろ大謗法になると思います」(平成8年11月20日・大石寺)
阿部師はこう発言した。
 ここでいう「今日においては」とは、一体いつからのことなのであろうか?
 創価学会は昭和三十年代以来、折伏大行進と称して常に阿部師のいう「めちゃくちゃ」な、会員相互に成果を競わせ、無理やり入会者を獲得する手段をとってきた。
 そのため、退転した人々の返却御本尊が毎月大石寺には山積みされ、それがどの様に処理されていたかは、教学部長であった阿部師が誰よりも良く知っていたはずである。
 「ただ数さえ増やせばいい」というやり方が大謗法であるならば「今日においては」ではなく、最初から大謗法だったことになる。
 昭和52年9月2日、大石寺学寮に於ける会談の中で教学部長の阿部師は、僧侶の練成について
 「創価学会の方々の骨身を削る(折伏の)苦労がわかっていない。若い僧侶をどう教育したらいいのでしょう、一緒に折伏に行かせるのがいいのでしょうか?」
と、池田氏に指導を仰いでいる。
 教学部長という要職にある者が、折伏の在り方の教導もせずに、逆に池田氏に媚びて指導を仰ぐ。
 阿部師もまた、そんな「めちゃくちゃ」な会員獲得を容認し煽って来た張本人ではないのか。
 過去の発言の、ほんの一例を見てみよう。
「池田名誉会長の過去における七百八十万世帯までの未曾有の折伏を果たされた指導性、平和文化に関する世界的な実践等を考えるとき、将来の世界に渉る広宣流布の為、大いに必要な団体であり、人物である」(昭和55年4月6日・代替式)
「近年、創価学会の勇猛精進の大折伏により、この正法正義が世界に広布することは、まことに釈尊の予言、宗祖大聖人の御金言、符節を合するところであります。此の正法流布の功徳はまた、算数譬喩も能わざるところであります」(昭和61年11月20日・御大会)
「創価学会インターナショナル会長・池田大作先生は、広く世界にその足跡を印し、正法広布の指導と激励、さらには世界平和の大目的に向かって正宗信徒として、偉大な精進努力を重ねておられることは、まことに本仏大聖人の聖意に適う姿」(昭和59年4月6日・御虫払)
 池田先生礼賛≠フオンパレードを繰り返したのは、他ならぬ阿部師であったことは明白である。いまさら大謗法もないものだ。

 貴殿らは、かつて御法主日顕上人猊下が、学会・池田について「広宣流布のため、大いに必要な団体であり、人物」と仰せになりながら、現在は「大謗法」とされることに落差があるとしている。
 創価学会は草創期以来、所謂折伏大行進を推し進め、その間には様々な問題もあったが、昭和五十五年四月六日に奉修された御代替奉告法要において御法主日顕上人は、貴殿らの引く部分の前に、
「近代に至って創価学会の死身弘法の折伏により血脈の正義たる三大秘法の広宣流布が前代未聞の様相を以て進展したことは何人も否定出来ぬ事実であります。又その時機に当られた総本山御法主日昇上人、日淳上人、日達上人は創価学会を従来の宗門伝統の在り方にあてはめようとされず、信徒としての要点を把握される外は自由な活動を諒解され、暖くその発展をお守りになったのであります。これは仏勅による広宣流布の重大な意義を鑑み給う配慮に外なりません。
 但し、創価学会の余りにも急激な広布への展開の中には、古来の宗門伝統の思想や形式にたいし種々の特殊性があり、違和的な問題を包蔵していたことも事実と思われます。それが正本堂建立以後に於て顕著に現れ、宗門対創価学会の間に様々の不協和を生じました。その主要原因として、本来根本である宗門を外護しつつ広宣流布を推進する信徒団体であるべき立場を更に超え、広布の為には学会主、宗門従という本末転倒の指向性が特に現れた時から、様々の問題が一時に噴出した感があります。従ってその頃の学会の方針や指導には確かに行き過ぎがあったと云えます。しかしそれは広宣流布という大聖人御遺命の実現を念願する余りの事であり、根本的な悪意による逸脱ではなかったと信ずるのであります。
 これらの一切を鑑み、当時の責任者であった池田名誉会長は、特に今月二日の聖教新聞に『恩師の二十三回忌に思う』と題する所感を投じ、過去の種々の面を総合的に含み、且つ要点を括って根本的な反省を致されております。私はこれをまことに誠意と勇気に充ちた、また深い信心を根本とする仏祖三宝への懺悔と受けとめるものであります。
 大聖人の御書の精神に照すとき、一時の誤りはあっても懺悔があればその罪が消えることは明らかであり、まして現に正法を受持信行する人達に根本的な謗法はありえないのであります。正法広布の大実績を持つ唯一の信徒団体である創価学会の逸脱は、それを改めなければ謗法に帰する意味はあっても、既に改めんと決意し、行いつつある以上、現在において謗法をあげつらう事は大きな誤りであります」(大日蓮四一一‐一四)
と仰せられた。ここで御法主日顕上人は、六十四世日昇上人、六十五世日淳上人、六十六世日達上人は創価学会の自由な活動を諒解され、その発展を守られたことを指摘され、さらに、学会には行き過ぎや誤りがあったが、逸脱を改めようとしているので、ことさらに学会の謗法をあげつらうことは誤りであると御指南されたのである。
 また貴殿らは、日顕上人の「あの創価学会のように、ただ数さえ増やせばいいというような、実にめちゃくちゃな在り方は、今日においてはむしろ大謗法になると思います」とのお言葉について、「ただ数さえ増やせばいい」というやり方が大謗法であるならば「今日においては」ではなく、最初から大謗法だったことになる≠ニ、お言葉の真意を故意にねじ曲げ、創価学会の折伏の在り方が今日大謗法であるならば、最初から大謗法であったとしている。
 しかし創価学会の草創期においては、会長戸田城聖氏が日昇上人、日淳上人の御指南を体し、会員を正法に善導していた。また池田大作も会長就任当初より平成二年までは、種々の逸脱等の経緯があったにせよ、何はともあれ日達上人、日顕上人の御指南に随従し、また会員にも日蓮正宗の信仰を行わしめたのである。実際問題、今日の日蓮正宗信徒の多くも、創価学会による折伏を機縁として入信された方が大勢おられ、またそれによって全国各地に寺院が建立された。そのことの意義が全て否定されることはない。また、その折伏弘通は、『諸法実相抄』の、
「力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(新編六六八)
との御金言を拝しての純粋な信仰心から生じた折伏活動であり、これまた断じて間違いではない。であるから、学会による折伏を、日昇上人、日淳上人、日達上人、また御当代日顕上人も諒解されておられたのである。
 現在の創価学会は、昭和五十三、四年における反省懺悔を全く省みず、本宗の血脈を否定し、ニセ本尊を作製するなど、正法を受持信行するとは全くいえない状態となってしまった。しかし日蓮正宗の信仰の何たるかを信解していた学会員は邪教化した創価学会を脱会して、日蓮正宗の信仰を貫いているが、今日多くの学会員は一度は日蓮正宗に入信したものの池田大作の大謗法化に伴い、正法から退転し邪教徒になってしまったのである。こうした状況において、今もって邪教創価学会の勢力拡大のみを図ろうとする在り方を指して、御法主日顕上人は、「大謗法」と仰せられたのである。また、御法主日顕上人の、「あの創価学会のように、ただ数さえ増やせばいいというような、実にめちゃくちゃな在り方は、今日においてはむしろ大謗法になると思います」とのお言葉には、続いて、
「これからの広宣流布の在り方は、けっしてあせらず、また、数だけを増やし、その力によって、わがまま非道なことや自分の我欲・我見を通していくという創価学会のような考え方は絶対にあってはならないと思うのです。我々は、大聖人様の正しい教えによって、正しい人生の目的を確立し、真に幸福になっていくために妙法をしっかりと護持し、さらに世界中の人々をもその尊い境界に導いていこうという慈悲の心によって、真心をもって、正直に、誠実に、着実に、この妙法を説いていくという姿勢を持たなければならないと思うのであります。そのために、一年に一人が一人を折伏していくということを申し上げているのであります。
 しかし、これもけっして多くの数を望んでいるわけではありません。一人が一人を折伏しようという、その心をもって日々夜々の唱題行に励むことにより、そこに本当の広宣流布の地盤が着々と築かれてくると存ずるのであります。上の幹部から号令を掛けられれば、まるで盆の上の豆が、盆を右へ傾ければ右へ、左へ傾ければ左へ、勢いよく転がり落ちるように、自分自身の意志を持たず、ただ言われるままになるような、いつの間にかそんな変な集団になってしまった創価学会とは違って、一人ひとりが正しい自覚のもとに信心の強盛なる意義をもって進んでいくことこそ大切であると思うのでございます」(大日蓮六一一‐六八)
と御指南されている。つまり個々の信徒に、日蓮正宗の信仰、就中その根幹たる本門戒壇の大御本尊と血脈法水にどこまでも随順するという在り方を徹底して、どのような魔にも各人の信心によってそれを打ち破ることができるよう信仰を深め、着実に広布を推し進めるべきであると御指南されたのである。その真意は、「非道なことや自分の我欲・我見を通していく」池田大作の謗法に無批判に追随するような信徒が大勢つくられてはならないとの意である。学会問題の反省に立てば至極当然の御指南ではないか。
 また貴殿らは、昭和五十二年九月二日、大石寺学寮に於ける会談の中で教学部長の阿部師は、僧侶の練成について、池田氏に指導を仰いでいる≠ニしている。しかし、この時の記録は、先にも述べたが、当時の宗務院藤本庶務部長によるものと学会側によるものとがあり、その内容は微妙に異なっている。学会側の記録には、阿部教学部長の発言として、
「創価学会の方々の骨身をけずる労苦が僧侶には分からない。どうしたらいいでしょうか」(創価学会機密文書その二‐五六)
と記され、池田の発言として、
「僧侶に対する教育、訓練が大事です」(同)
等と記されている。しかし藤本庶務部長による記録には、阿部教学部長の発言として、
「学会の人の骨身をけずる労力と精神を知らない。それが自然にギャップ、これをどうしたらよいか」(宗務院・学会記録文書一〇〇)
と記されている。このように、どちらの記録を見ても、日顕上人は、若い僧侶をどう教育したらいいのでしょう≠ネどとは発言されていない。勝手に文言を捏造して、誹謗するものではない。
 また一緒に折伏に行かせるのがいいのでしょうか≠ニいう発言は、学会側の記録には、
「僧侶一人一人に学会員と一緒に折伏の経験をさせることがいいのか」(創価学会機密文書その二‐五八)
と記されているが、藤本庶務部長の記録には、
「或ることで先般、早瀬総監若い時から苦労、法華講、僧侶の折伏、学会の場合は不思議な……」(宗務院・学会記録文書一〇一)
と記されており、貴殿らの言うような直接の文言は見当たらない。
 このように、両者の記録は異なっているが、藤本庶務部長の記録は、会談の内容を丹念に記されたものである。これに対し、学会側の記録は、藤本庶務部長の記録にあるにもかかわらず記載されていない内容も多く、その反面、文章が整っている。学会側の記録は、後日発言を整理し、しかも自分たちに都合のよいように記した文書であるといえよう。そのような記録に、はたして真実が記されているといえようか。
 この会談で、日顕上人がこれに類する話をされたとしても、それは若い僧侶の中には学会員の苦労がわからない者がいることを話された中で、「どうしたらよいか」と自問する形で、あえて言えば、池田に意見を徴されたことがあったかもしれない。しかしそれは、大折伏を展開した弘通者に対しての態度であったというべきである。現在、自称正信会に走っている者には、当時信徒として信仰に励む学会員を軽蔑し見下した者が多かったのではないか。胸に手を当てて考えてみるべきである。
 またこの会談で日顕上人は、厳然と、
「創価仏法という言葉、これは間違いだと思う」(宗務院・学会記録文書一〇二)
と池田に対し、注意すべきことは注意し、クギを刺されていることを知らねばならない。このことを知らない振りをし、一言も触れない貴殿らの態度は卑怯である。
 御法主日顕上人は御登座以来、学会および池田のことを理解する御指南をなされたが、それについて日顕上人は、『諸君』の寄稿において、
「先師日達上人は、五十四年五月創価学会の本部総会において、その間の総決算というべき発言をなさいました。池田をはじめとする創価学会首脳がそれまでに犯した過ちを正直に反省することを前提として、前非を悔い、信徒としての正しい道を進むのであれば、一切を水に流す――といった趣旨の講演でした。これで、問題は終結したかにみえたのです。
 この年、日達上人がご遷化なさり、私が登座いたしました。後に、創価学会を尖鋭的に攻撃する僧侶たちもいましたが、宗門は先師の最後の処置を守り、学会をも包容していきました。このような経緯において池田と創価学会は、一応宗門への外護と奉公を誓ったものでした。(中略)
 私は、宗門と学会の融和を目指して、平和的な関係を築こうと努力した時期がありました。池田を理解して、称揚する発言に努めたこともあったのです。
 しかし、総講頭に再任されて以降、次第に宗門を軽んずる言動が目立ち始めました。わがままな傍若無人ぶりが、より一層助長されてきたのです。私はその誹謗を耳にしながらも、決して批判をすることなく、あくまでも創価学会と僧俗和合を図ろうとしました。ただ、池田にすれば私の賛嘆の度合いが少ないと感じたのでしょう。池田側近たちへ洩らす彼の不満や私たちへの不平が次第に大きくなりました」(諸君平成十三年八月号一三二)と仰せになっている。日達上人は、昭和五十四年五月、学会・池田の反省を受け容れられて一連の問題に終止符を打たれたが、日顕上人も御登座後、日達上人の敷かれた学会に対する善導和合路線をそのまま継承された。この御指南を拝し、貴殿らも少しは頭を冷やして、客観的に自分たちの取ってきた態度を反省懺悔する便(よすが)としてはどうか。


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