22〔広宣流布の団体〕
閻魔もあきれる阿部師の二枚舌≠フ悪言を懲らしむ

「自分が少しばかり海外へ行って信徒が増えたからといって、キリスト教も仏教もみんな一つであるという内外一致の考え方を持ち――文化運動とか平和運動というような安っぽい考えをもって」(平成4年9月27日・北海道第一布教区)
「今日、平和運動とか文化運動とかいうようなことを言っておりますけれども――池田大作の見解によるところの、その曲がった心が元になっておるが故に、彼等の在り方において、大聖人様の正法によるところの正しい世界平和
の達成はあり得ないということを、私は信ずるものであります」(平成4年11月29日・大阪布教区)
 阿部師は今になって、平然とこんなことを言っているが、池田氏が「世界平和旅」などと称して海外へ大名旅行に繰り出しては、財力にものを言わせて勲章や名誉称号を買い漁り、さも世界中の国々や人々が彼を賞賛しているように仰々しく自己宣伝するのは今に始まったことではない。
 しかも池田氏の信仰をよそおう仏法利用の邪見が、正本堂にバチカン市国ローマ法王庁の神父二人を招待、入場させるという謗法の姿ともなったのである。
 当時教学部長の要職にあった阿部師は、「将来の世界広布に向かって、正本堂落慶の盛儀を見て頂こうとの一心で、各国の大使や著名人に招待状を出したが、バチカン市国がそういう国であることもまさか神父が来る等ということも全く知らなかった」等と言い訳をして責任逃れを図っている。
 しかし、平成2年9月に大石寺で大文化祭を行いたいという池田氏の構想を聞いた時も、阿部師は大いに賛同し、正月早々から、
「池田先生の構想においては下種の意味においては出来るだけ世界の著名人も聖域に参加させ、この盛儀を見させたいというようなこともあるようでありまして、やはりこれが将来の正法世界広布の大きな因縁となっていくものと私も感ずるのであります」(平成2年1月7日・衆和会)と、はしゃいでいる。
 阿部師は教学部長時代も、法主を詐称してからも、一貫して池田氏の私利私欲のための海外大名旅行を賞賛し続けてきた。
「池田大作先生はその御金言の実践の意味において、タイ国あるいは東南アジア諸国に行かれ、正法がいよいよ広宣流布をして、多くの信徒の人々が安心して正法を受持し、また、その功徳を顕すことができるように大きな楔を打ちこんでこられまして、つい先日、無事お帰りになりました。まことに御苦労さまと思います。仏祖三宝にもその実践に対して深く御嘉賞いたされ……」(昭和63年2月24日・安明寺)
「池田大作先生が今日、世界広宣流布の指揮を執られ、先般もアメリカにおいて広布の一つの段階、礎を定められ……」(平成2年3月8日・啓道寺)
とまあ、歯の浮くような、池田礼賛・学会礼賛のおもねりの発言は、それこそ枚挙に暇がない。
 じつにこれまた池田氏同様、仏法利用の法師の皮を着けたる阿部師の御都合まかせの二枚舌。閻魔大王もあきれはてるところであろう。

 先にも指摘したが、貴殿ら自称正信会は、正本堂にバチカン市国ローマ法王庁の神父二人を招待、入場させるという謗法の姿≠ネどと述べ、正本堂完工式にバチカンの外交官が出席したことを謗法だと述べている。しかし、正本堂完工式は大御本尊御遷座の前であり、来賓の宗旨を問わないということは日達上人におかれても了承されていた。日蓮正宗の寺院においても通常、御厨子は御開帳申し上げてあり、御宝前に不敬がない限り、未入信の人々が来ても何の障害もなく参詣できるようになっているはずである。これは、信仰に関わらず御本尊に結縁することを許されるという、日有上人の『化儀抄』にも示される本宗伝統の化儀だからである。
 では日顕上人が仰せられている池田大作の謗法とは何かといえば、外道の聖職者などからも自分が賛嘆されたい。そのためには外道との迎合もある≠ニいうその考えが謗法であると仰せられているのである。
 また貴殿らは、日顕上人が正本堂落慶の盛儀を見て頂こうとの一心で、各国の大使や著名人に招待状を出した≠ネどと述べているが、何を根拠にこんな文献を作り出したのか。証拠を出してみよ。宗務院の一部署としての教学部長であられた日顕上人は、バチカンの外交官など、来賓招待の一切を決定するお立場では全くなかったのである。当時、正本堂関係の行事の一切を取り仕切っていたのは創価学会であったことを貴殿らも知らぬはずはあるまい。
 また、繰り返しになるが、バチカン市国という国にあっても将来日蓮正宗を布教していかなければならないことは当然である。故に将来の折伏につなげるための布石としてバチカンの外交官を招待することは、折伏を表としてのものであり、その趣旨からも謗法ではない。しかし、キリスト教の神父を招待して、外道の愚人らからも賞賛を得たいと考えてその者達を招き寄せるのなら、その行為は謗法である。要は、その真意がどちらにあるか、ということである。
 同じことを行うにしてもその根本の在り方によって、謗法か、否か、が決せられるのである。その好例が貴殿ら自称正信会の者どもである。貴殿らが日蓮正宗に所属していたときに行っていた勤行と、今行っている勤行は、所作自体は同じであろう。しかし、最も根本の血脈に背反し行うそれは、姿形が同じであっても全く中身が違うのである。
 日興上人は唯授一人の血脈を承継されるお立場から次のように御指南されている。
「なをなをこの法門は、しでしをたゞしてほとけになり候。しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也」(歴全一‐一八四)
つまり、貴殿らが今現在行っている、御法主上人に対する誹謗をはじめ、勤行など、所行の一切が無間地獄に堕ちる業因なのである。
 それと同じく、かつて池田大作が日蓮正宗の信徒団体の幹部として、その信仰を主体として行った文化活動や各国訪問自体は謗法ではない。なぜなら、それにより実際問題として折伏が展開され、日蓮正宗の信徒が増えたからである。しかし、日蓮正宗から破門されてもなお、世界各地を徘徊している池田大作の所行は、信仰的価値が一切ないのみならず、日蓮正宗の布教の妨害行為なのであり、害悪蔓延の基でしかない。
 つまり、池田大作の各国訪問も、傍目には同じ行為でも、信仰の状態や、その主義・信条により、仏法上の意義に天地雲泥の差が生ずることは当然である。その時々に善と悪の明確な区別があるからである。
 貴殿ら自称正信会の者と、学会・池田大作とは御法主日顕上人の御指南に従わず、剰え血脈までも否定し、仲良く無間地獄に堕ちるのであるから同じ穴の貉である。そのような輩は大悪であり大謗法者である。よって徹底した破折を加え、以って一人でも成仏に導くべく慈悲の折伏を行うのである。御法主日顕上人の御指南が二枚舌≠ノ見えるのは正に一水四見である。自らの悪業の所見と知れ。御法主日顕上人猊下は衆生を成仏に導かんと、一貫した慈悲の御教導をなされているのである。

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