26〔不変〕
変節者が不変を説くとは……まず自分の発言に責任を持て!≠フ罵言(ばげん)を破責す

「だから法華経が本当に正しい教えであるという所以は、常に変わらないところにあるのです。どんなに昔でも、それからある時代でも、現在でも、また未来でも、永久に変わらないところが大真理です。ところが、今は成仏できるけれども、来年になったら駄目なのだというのでは、とても正しい教えとは言えないのです。正しい教法というものは全く変わってはいけないのです。それが基本的な教えの内容であります。だから絶対安心して信頼してください」(平成3年5月10日・妙盛寺)
 法華経が不変であるが故に正しいということを言っているのであるが、法華経をたとえに出すまでもなく、仮にも一宗を代表する僧侶の発言が、自分の都合や状況によってコロコロと変わってしまうようでは、自宗の信者を迷わすのみならず、社会的にも信頼できない宗門≠ニいう汚名を着せられる。
 この冊子に指摘しているように、阿部師の創価学会・池田大作氏に対する評価が、平成3年のある時期を境に全く正反対に変わっている。ほんの一例を挙げれば、
「ここに今日、創価学会が大折伏を敢行され、特に戦後においては法華講総講頭、またSGI会長として池田大作先生が今日、世界広宣流布の指揮を執られ、先般もアメリカにおいて広布のひとつの段階、礎を定められてきたように承っております。この姿もことごとく、僧俗一致して正法を護持興隆していくところの真の人類の未来への功徳が存するということを実証するものと思うのでございます」(平成2年3月8日・啓道寺)
「やはり創価学会が誤っておるということを私は感ずるのであります。その一番の根本は、今の創価学会、特に指導者の池田大作という人の考えの中に本末転倒の考え方が存在し、それが大きな指導力をもって多くの人々の頭の中に色々な形で入り込んで、今日のいたずらな宗門批判、僧侶批判となって現れておると思うのであります」(平成3年7月21日・全国教師指導会)
というような極端な変貌ぶりである。
 「正しい教法というものは全く変わってはいけないのです」との発言からすれば、阿部師の御指南そのものが自ら正しくないと公言しているようなものである。
 おそらく阿部師は前後のことを考えないで、その場その場の思いつき、感情(勘定)のおもむくままに発言をしているのであろう。だから、すぐ自己矛盾に陥ってしまう。
 「絶対安心して信頼してください」と言われても、残念ながらとても信頼はできないのである。
 そう言えば、宗門のある老僧が『大日蓮』誌に以下のような特別寄稿を寄せていた。
 先に池田大作氏の昭和35年と56年当時の「法主への従順・御奉公」の発言をあげ、次に池田氏のことを、
「いかに立派な指導者だと学会員から讃歎されても、『過去の発言・指導』と『現在の態度・言動』とが、あまりにも違いすぎて、これでは自分の言ったことに全く責任を持たない二重人格者そのものであって、宗教上だけでなく、社会的にも全然信用できない指導者との非難を受けるのは当然ではないか」(平成14年8月号)
と述べている。
 さてさて、この老僧と大日蓮編集兼発行人の勇気に敬服するものである。
 何故なら、この老僧の発言は池田大作氏に対しての非難のはずが、そのまま、その内容がすべて阿部師にもぴったり当てはまってしまうからである。
 この老僧、池田氏にこと寄せて阿部師を批判するつもりだったのかもしれない……。

 さてさて相も変わらず貴殿らは悩乱の罵言を繰り返している。何度も何度も同じ謬言を繰り返す貴殿らの悩乱ぶりは、常軌を逸していると感じていたが、ここまできてハタと思い当たった。貴殿ら自称正信会の者たちは、御法主日顕上人猊下について、恐らく自語相違あたりの同じキーワードで大勢の者が一斉に駄文を綴ったに違いない。だからこのような同じ謬言を何度も繰り返す無様な文集が出来上がったのだ。しかし、折角ここまで破折してきたのだから最後まで付き合うことにしよう。
 表題には変節者が不変を説くとは……まず自分の発言に責任を持て≠ニあるが、御法主日顕上人猊下をこともあろうに変節者とは、この罰当たりが、とまず呵しておく。これまで繰り返し述べたように、御法主日顕上人猊下には変節者≠ネどの謗言は全く当たらない。
 なぜなら、御法主日顕上人の平成三年五月十日の御指南は、法華経、すなわち南無妙法蓮華経は永遠の正法であるとの不変の真理を説かれたもので、それを創価学会に対する過去と現在の御指南とに混同するところに、貴殿らの救いがたい欺瞞・ずるさがあるのだ。
 貴殿らは、御法主日顕上人の御指南が、平成3年のある時期を境に全く正反対に変わっている≠ニ言うが、それこそ当然である。
 すなわち、昭和五十二年の謗法路線の時は、池田大作率いる創価学会は自らの謗法を認め反省懺悔し、唯授一人血脈付法の御法主日達上人のお許しをいただいたから、御当代日顕上人は、正法外護の行業を温かく見守られ、またその上から善導されたのだ。
 しかし、平成二年以降における第六天の魔王に魅入られた池田創価学会の謗法は止まるところを知らず、血脈否定とニセ本尊作製・販売という三宝破壊の大謗法を犯すに至り、ついに本物の邪教集団と成り下がってしまった。故に、日顕上人は、慈悲の上から創価学会に対する大折伏を敢行遊ばされたのである。
 故に御法主日顕上人の御指南は、自分の都合や状況によってコロコロと変わって≠オまったのでも、その場その場の思いつき≠ナ変わったのでもない。変わったのは御法主日顕上人の御心ではなく、池田創価学会が正から邪へ変わったのである。
 最後に、貴殿らは、宗門のある老僧の言として、『大日蓮』の記事を挙げ、その内容は池田大作を指しながらも実は日顕上人を指しているのであると嘯いているが、全く何の根拠もない言いがかりである。
 特別寄稿文書の内容は、池田大作の過去における日蓮正宗に信伏随従していた時の発言と、現在の言動とがあまりにも違いすぎ、全く信用できない指導者であることを指摘したものである。
 要するに、過去の池田大作の正しい信仰を述べた語と、現在の邪悪な心とが天地の如く相違していることを述べたものであり、それは日顕上人の御指南どおりの現況に適した破折内容である。
 悩乱した貴殿らには、そのような道理すら理解できないのかも知れぬが、日顕上人の御指南の変化は、この池田大作と創価学会の、正義から邪義への激烈な変化に対応して、破折遊ばされたものであることは、特別寄稿文書の著者も、宗内僧俗一同も充分に了解していることを伝えておく。

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