27〔現証〕
人間性疑う現証発言 罰論は創価学会から相承か?≠フ邪言を撃破す

「最近、創価学会員の不思議な死に方が各方面から聞こえておりまして、私はここのところ、本当にびっくりしているのです。
 例えば、藤沢のほうで、おばあさんが学会を脱会して法華講に入った。それを今度は、七、八人で押しかけておばあさんに談判をし、そのおばあさんに学会を脱会しませんという趣旨の誓約書を書かせて、意気揚々として帰ってきた。そのなかの一番上の立場の人、この人はたしか地区部長だか支部長だったかと思いましたが、まだ若く、四十ぐらいの壮年の人です。その人が、なんと、新橋駅で、ホームに入ってくる電車に吸い込まれるように、スーッと線路の上に落ちて亡くなってしまったのです」(平成5年5月30日・静岡南布教区)
「ブラジルの創価学会のメンバーのなかで、毎年、上位を争うようにして、創価学会の財務に多額の寄付をしていた人の子供、やはり学会員がこの飛行機に乗り合わせ、亡くなっております。また、墜落現場の側の建物で仕事をしており、全身火だるまになって助けを求めながら亡くなった人も熱心な学会員で、その人が拝んでいた『ニセ本尊』とともに写真入りで一般の新聞にも載ったそうです。
 このことを見ても、法華講の正しい信心による功徳と、創価学会の誤った姿とでは、実にはっきりとした利益と罰として顕れておるということがお解りになると思います」(平成8年11月20日・大石寺)
「北海道の西部に当たる奥尻島という島で大地震による大津波が起こり、それによって多くの人々が亡くなりました。この時、不思議にも法華講の人が実によく護られておるのであります。実に不思議な姿であります」(平成5年8月21日・第二回海外信徒夏期研修会)
「普賢岳が、池田大作の謗法現証の翌日に大噴火を起こし、長い間、噴火を続けておりました。
 その後、さらに平成七年の一月に、神戸等の地域において御本尊焼却等の大謗法を行ったあと、即座にあの大惨事が起こったのであります。
 仏法の眼から考えますと、池田大作を中心とするところの創価学会の大謗法が、まさしくあのような惨事を引き起こしたと言って、けっして過言ではないと私は信ずるのであります」(平成10年8月22日・第二回海外信徒総登山)
 池田氏に対しては「増上慢」「邪見」「根本的に狂っている」等の痛烈な批判をしている阿部師ではあるが、戸田第二代会長に対する評価はまずまず好意的である。そんな訳ではあるまいが、戸田氏の指導の中心であった罰論を相承されたかのような、とても一宗を代表する者が発言したとは思えない、聞くに堪えない発言である。
 ともあれ、創価学会を批判する割には、所詮その創価学会教学から抜け出ていないようである。

 ここでは貴殿らは、現証≠ニ題し、創価学会員に現れた罰の現証に関して御法主上人猊下の御指南を誹謗し、御法主上人猊下の御指南を戸田氏の指導の中心であった罰論≠フ踏襲であるとしている。
 莫迦も休み休み言え。どうやら正信会の者は全く御書を繙いたことが無いらしい。罰と利益は厳然たる御本仏日蓮大聖人の御指南ではないか。『聖人御難事』に、
「大田親昌・長崎次郎兵衛尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるゝか。罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰四つ候。日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるゝは総ばちなり。やくびゃうは冥罰なり。大田等は現罰なり、別ばちなり」(新編一三九七)
と仰せのとおりである。罰論は何も戸田城聖氏の創作ではない。大聖人の御金言からも、仏法は罰と利益としての厳然たる因果の裁きを示すことが正しいのである。そのことは、次の『神国王御書』の、
「師子王を吼ゆる狗犬は我が腹をやぶる。釈子を殺せし波琉璃王は水中の中の大火に入り、仏の御身より血を出だせし提婆達多は現身に阿鼻の炎を感ぜり。金銅の釈尊をやきし守屋は四天王の矢にあたり、東大寺・興福寺を焼きし清盛入道は現身に其の身もうる病をうけにき。彼等は皆大事なれども日蓮が事に合はすれば小事なり。小事すら猶しるしあり、大事いかでか現罰なからむ」(新編一三〇五)
また『諌暁八幡抄』の、
「有る経の中に、仏此の世界と他方の世界との梵釈・日月・四天・竜神等を集めて、我が正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が、人王・人民等の身に入りて悩乱せんを、見乍ら聞き乍ら治罰せずして須臾もすごすならば、必ず梵釈等の使ひをして四天王に仰せつけて治罰を加ふべし。若し氏神治罰を加へずば、梵釈・四天等も守護神に治罰を加ふべし。梵釈又かくのごとし。梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし。若し然らずんば三世の諸仏の出世に漏れ、永く梵釈等の位を失ひて無間大城に沈むべし」(新編一五三二)
等の仰せからも明らかであり、仏法僧の三宝に敵対する者は、厳然たる諸天の罰を受けることが法界の因果の理法なのである。創価学会員が御法主日顕上人猊下をはじめ、日蓮正宗の僧俗を口を極めて誹謗したことは厳然たる事実であり、平成二年十一月十六日の池田大作の誹謗発言の翌日に起きた雲仙普賢岳の噴火以来、日本各地を襲った様々な災難と社会の不幸な姿こそは、これらの御金言を拝するとき、創価学会や自称正信会の下種三宝誹謗に対する厳しい罰の姿であることは明々白々たる事実である。
 これ程言っても、自称正信会の者にはまだピンと来ないであろうから、もう少し明確に述べておこう。あの阪神大震災の折、神戸市内の日蓮正宗寺院である、法恩寺、妙本寺、浄教寺の所属法華講員、更には法恩寺預かりとなっている堅持院支部法華講員も含めて、何百世帯という方々が災害より厳然と護られた姿。これこそ仏法の明らかな現証なのである。


 創価学会では四条金吾殿御返事の、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」の御文を曲解し、「仏法は勝たなければ」などと言い、常に「創価学会は勝った勝った」と吹聴している。
 阿部師の「現証」発言も創価学会の発想と何ら変わらず、あたかも〈法華講員は勝った。創価学会員は負けた〉という低次元の中傷合戦にすぎない。
 四条抄の御文をもう少し先まで拝読していくならば「仏法と申すは道理なり」とハッキリ仰せられている。
 もう少し道理に基づいた御指南とやらができないものであろうか。
 しかも、震災によって多くの方達が犠牲となり、また大変な被害を被っておられる状況を考えると、阿部師の言い草はあまりにも被災された方達に対して無神経な発言であり、人間性を疑わざるを得ない。
 どうやら人間性においては、自己中心的で非情なところは、同じ独裁者の池田氏も阿部師も同根のようである。

 貴殿ら自称正信会は、この程度の能天気な仏法理解だから、平気で謗法を犯すのであろうが、「道理」を持ち出すのなら、その道理について大聖人は『三三蔵祈雨事』に何と仰せか。
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(新編八七四)
と明白に、結局は仏法は現証こそが大切と仰せられているではないか。
 宗旨建立七百五十年の大佳節にあたり、奉安堂を建立申し上げ、本門戒壇の大御本尊を御安置し奉り、法華講三十万総登山を完遂して僧俗一致の末法広宣流布の礎を築いた日蓮正宗僧俗と、大佳節に登山も叶わぬ自称正信会とを比較すれば、現証の上からも仏法上の勝負は余りにも明白ではないか。
 更に言えば、大震災の犠牲となった多くの人々のためにも、災難の起こりを直視し明確にすることが、これらの方々への真実の回向となることは当然である。
 貴殿ら自称正信会の者は、創価学会の「人間主義」の向こうを張り、しきりに「人間性」などと気取っているが、創価学会の「人間主義」が、標榜する言葉とは正反対の池田の金権体質の鼻持ちならぬ隠れ蓑であることは周知の事実である。貴殿らの言もそれと全く同様であり、謗法者の集団は同じような臭気を漂わすものだと感心するばかりである。
 真実の人間性とは、わがまま勝手な我意我見に凝り固まった謗法の徒輩にあろうはずはない。仏法僧の三宝に対する尊崇を根本とした日蓮正宗僧俗の厳正なる信仰の中にのみ存在すると告げておく。


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