28〔臆病〕
臆病でやる気がなかったのは阿部師!≠フ毀言(きげん)を嗤(わら)

「学会からの嫌がらせ・攻撃等が怖いために、全く学会破折を行わない僧侶がいるらしいということであります。これを私は信じたくはありません。まず、いないと思います。しかしながら、心配の種としてはあるわけでありますが、これは何が原因かといえば、臆病な心だと思います」
「結局、臆病で、やる気がなくてやらないということであれば、たいへん卑怯な、僧侶にあるまじき姿だと私は思うのであります」(平成6年5月26日・全国教師・寺族指導会)
 この発言は、阿部師の性格がよく出ており興味深い。はじめは「学会破折を行わない僧侶がいるらしい」と疑い「私は信じたくない」と一応否定し、「まずいない」と断定したのに「心配の種としてはある」と再び疑い、最後は「臆病でやる気がない…卑怯で僧侶にあるまじき姿」と断じている。疑心暗鬼のいつも揺れている阿部師の心を垣間見ることができる。それにしても学会を破折しなければならないと気づくまで阿部師は一体何年かかったのか。
 かつて日達上人は「いかに今迄間違った教儀(ママ)を宣伝されておっても、未だに平気な顔をしている僧侶もおります」(昭和54年1月・大石寺)
「たとえ会長であろうが、副会長であろうが、間違ったことを言ったならばどんどん指摘していかなければ、これからは日蓮正宗の僧侶ではない」(昭和54年3月・大石寺)
 と仰せられ、学会の謗法を糾すよう御指南された。阿部師もいつも横で聞いていたではないか。にもかかわらず、以下の発言のように池田学会を執拗なまでに擁護していた。
「先般、創価学会名誉会長・池田法華講総講頭には宗門に対し、二百ヶ寺の寺院を建立寄進の発願をせられました。これはまことに偉大な浄業であります。
 その第一号として本日、この江戸川の地に法光山大護寺を御寄進くださいまして、このことは仏祖三宝尊には深く御嘉賞あそばされ給うところと拝するのでございます。池田先生、まことに有り難うございました」(昭和59年10月19日・大護寺)
「第二代会長・戸田先生、第三代会長・池田先生等、引き続いて多くの人々を、正しい仏法を根幹として、しかも正しい利益を得せしめて、それによって本当の幸せを得、確立していくということが強く指導されてきたのでございます。これは大聖人様の御法の広宣流布の姿として、実に正しく、また尊いものであったと私は常々考えておるのでございます」(昭和60年12月4日・法益寺)
「私は『創価学会はけっして新興宗教ではありません』と常に申しております。
 それはなぜかというならば、仏教の根本を一切の信行の中心として信仰し、修行し、そして護持しておるところの宗団は創価学会をおいてほかにはないからであります」(昭和63年1月22日・妙永寺)
 その他、阿部師が池田氏を絶賛した言葉はいくらでもある。法主詐称後も自身の安泰を願い、学会を誉め続けてきたではないか。そして「学会は怖い所だ」と回りには言いながら、「創価学会は末法にあって今後も出ない団体」と称賛し池田氏の教学の展開、すなわち創価仏法について「完璧であると思います」と賛辞をおしまなかったのである。
 まさしく阿部師は日達上人のお心に背いて、創価教の協力者、同調者になりきっていたのである。それは裏を返せば学会に対して臆病であったからにほかならない。

 昭和五十四年五月三日、創価学会のお詫びと誓いにより、それ迄の種々の謗法を許された御先師日達上人の御化導を踏襲され、創価学会を善導遊ばされた御当代日顕上人猊下のお振る舞いに対して、貴殿らは臆病でやる気がなかった≠ゥらだと主張するが、一体、貴殿らは御先師日達上人と御当代日顕上人の御化導をどのように拝してきたのか。まるでその当時宗門にいなかった者のようなことを平気で言う、その神経が全く理解できない。貴殿らは、昭和五十四年五月三日以前の日達上人の御指南を持ち出して、創価学会を破折する根拠としているが、実に狡猾な引用の仕方である。そこまで引用するなら、昭和五十四年五月三日、創価学会第四十回総会における日達上人の御指南を何故引用しないのか。貴殿らは、自分達に都合の良い御指南だけ引用して、都合の悪い御指南は引用しない、誠に卑怯極まりない者達である。貴殿らが隠す、昭和五十四年五月三日の御先師日達上人の御指南の一部を拝すれば、
「この数年間、まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることはまことに喜ばしいことであります。(中略)私は日淳上人のもとで創価学会の宗教法人設立に立ち合った一人であります。宗門の外護団体としての創価学会の理解者の一人であったし、今後もそうありたいと念願しております。どうか今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。その上で自主的な指導と運営で伸び伸びとご活躍を願いたいのであります」(日達上人全集二‐五‐六二〇)
とあり、また昭和五十四年五月二十九日の御指南を拝せば、
「学会が正しく日蓮正宗の教義を守り、正しい信心をして、また世間の人を折伏していくのならば、我々はそれに準じてどこまでも学会を守り、学会を信徒団体として受け入れていかなければならないのであります(中略)いまになっても『学会が、ああではない、こうではない』と、こちらから言うことはいけません。(中略)ですからみなさまが相変わらず今年の五月三日以前のような態度であっては、宗門としてはまことに困るのであります。やはり宗門の僧侶は、僧侶としての足並みをそろえて宗門を守り、宗門を発展させていかなければならないと思うのであります」(日達上人全集二‐七‐三三九)
とあり、明らかに昭和五十二年創価学会逸脱謗法路線の終息と再出発を宣言遊ばす御意が拝せられる。御当代日顕上人猊下におかれては、当時教学部長として、常に御先師日達上人のお側におられ、当日のこの御指南も直接拝聴されたのである。当然、貴殿らも、この日達上人の御指南を拝しているわけである。にもかかわらず、貴殿らは、何故この日達上人の御指南に背いたのか。何故この御先師日達上人の御指南を踏襲された御当代日顕上人に背いたのか。
 答えは簡単である。貴殿らこそが、実は臆病≠セったからである。それにしても、貴殿らの、謗法を懺悔して謝ってきた者を足蹴にする度量の狭さ、肝っ玉の小ささには驚嘆する。否、度量が狭いのではなく、真実のところは、色々とやかましく憎い創価学会を救っていこうという勇気がなかっただけのことである。それを臆病といわずして何と言おうか。すなわち、本当の臆病者こそ、実は貴殿ら自称正信会の者達なのである。
貴殿らは、その他、創価学会が正しい信仰をしていた時の御法主日顕上人猊下の慰撫教導の御指南を引用しては、やれ自身の安泰を願い%凾ニ悪口罵詈するが、いずれも的はずれな単なる誹謗中傷であり、既に破折し尽くしたところである。
また、臆病でやる気がなかった≠ネらば、日蓮正宗の教学部長という重職が、十八年もの長期間にわたり勤められるわけがなかろう。貴殿らはその当時の阿部教学部長を目の当たりにしており、そのような疑問があるならば、何故その時に何も言わなかったのか。また、日顕上人を教学部長に任命されたのは日達上人である。貴殿らの主張に拠れば、そのような臆病でやる気の無い者を日達上人は教学部長に任命されたことになる。日達上人に対するこれほどの愚弄があろうか。その場その場の思いつきで揶揄中傷するものではない。故に、貴殿らの主張は、どれをとっても辻褄が合わないのである。
最後に、貴殿らは、阿部師は日達上人のお心に背いて♂]々としているが、誹謗中傷もいい加減にせよ。日達上人のお心に背いているのは、日達上人の御指南と日顕上人に反逆した貴殿ら自称正信会の者達である。しかして、日達上人のお心を寸分の違いもなく承継遊ばされた方こそ、唯授一人の御相承を稟けられた御当代日顕上人猊下であり、それは宗内一同合掌して尊信し奉るところである。反逆者が何を言おうとも、痴犬の遠吠えであると言っておく。

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