29〔諂曲〕
「汚さ・ずるさ」は阿部師自身のこと!≠フ非言を教誡す

「それから『心諂曲に』というのは、へつらい、おもねることです。これは、皆さん方にもそういう諂曲の命があります。つまり、強い者とか利害関係を握っている者に対してはペコペコして、たとえそれが間違っていると思っていても、『はい、さようでございます』と答えるような、そういう卑屈で卑怯な考えがある。そのかわり今度は、弱い者と見たならば、もう徹底していじめる。つまり、弱きに対しては強く、強い者に対しては諂うわけであります。
 これもまた、創価学会の職業幹部に当てはまります。
――そういう人間が、正しい法を持つ者に対してあらゆる策謀を凝らして迫害し、それでいて、池田大作みたいな人間に対しては服従するのです。池田大作というのは魔の棟梁ですから、大作のためを思って一生懸命にやるような人間は、悪の同気、相通じて、ちゃんと判るのです。反面、そうでない者は徹底していじめて、ついには首を切ってしまうらしいのです」(平成5年5月23日・中部布教区)
 ここで言っている「ペコペコして、はい、さようでございます」という姿はまさしく池田氏に取った阿部師自身の態度であった。そして「弱きに対しては強く、強い者に対しては諂う」のも阿部師なら、「正しい法を持つ者に対してあらゆる策謀を凝らして迫害し、それでいて池田大作みたいな人間に対しては服従する」のも阿部師であった。そして正信会僧俗を「ついには首を切ってしまった」のだ。池田氏のことをとやかく言う前に自分がしたことを考えてみよ。

 貴殿ら自称正信会の者達のことを『松野殿後家尼御前御返事』には、
「東を西と見、北を南と見る事をば、我等衆生かしこがほに智慧有る由をして、勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ。得益なき法をば得益あると見る、機にかなはざる法をば機にかなう法と云ふ」(新編一三五五)
と仰せである。
 御法主日顕上人猊下は、五十二年路線の反省を誓った池田大作等に対して、当時として、日興上人御遺誡の「随力弘通」の文に任せて、相応の礼を尽くされたのである。それが貴殿らには単なるペコペコ≠ノ見えるらしい。情けない哀れな根性である。
 また貴殿らは首を切≠轤黷スのではない。貴殿らが自分で自分の首を絞めたのである。御法主日顕上人猊下の血脈を否定し、宗制宗規に違反したために、処分されたに過ぎない。しかも笑えるではないか。貴殿らの中心者であった五人は、大言壮語を吐きながら住職罷免すら従容と従えなかったではないか。住職罷免すら従容と受け止められないで反抗する姿は、処分を承知で違反しながら、実際に処分を受けると見苦しくも半狂乱になる者と同様である。
御法主日顕上人は強い者に対して諂≠チたのではない。迷える信徒を救おうとなされたまでである。貴殿らこそ、創価学会・池田大作が弱ったら、徹底的にいじめようとしたのである。どちらが諂曲≠ゥ歴然としているではないか。

しかも以下において学会を直すと立派な発言をしているのである。
「本当の正しい教導であればこそ、中途半端なところでやめたならば何の意味もないことになってしまうのです。そのような行為は大悪になります。仏法の破滅は、まさにこの中途半端というところから起こるのであります。
 ですから、昨年の暮れ以来、創価学会の誤りを正しておりますが、これは絶対に中途半端な形や、いい加減な形での解決を図るということはいたしません。また、それは大きな誤りであり、大悪であり、仏法破壊につながるものと私は確信するのであります」(平成3年7月21日・全国教師指導会)
 昨年(平成2年)以来、学会の誤りを正していると発言しているが、阿部師の発言は正しているのではなく学会に対して文句を言っているだけ。日達上人が、「たとえ会長であろうが副会長であろうが、間違っていることはどこまでも指摘しなくてはいけない」と宗門僧侶に訴えられた時に、しらんぷりして師敵対しておきながら、今さら阿部師がいくら学会を善導すると見得を切っても、誰も耳を傾けない。時すでに遅し。

 貴殿らは、昨年(平成2年)以来、学会の誤りを正していると発言しているが、阿部師の発言は正しているのではなく学会に対して文句を言っているだけ≠ニ言うが、日顕上人・宗門からの、平成二年十一月十六日の池田大作スピーチに対する『お尋ね』文書に端を発し、正本堂に関する御教示やその後の時局文書等も含め一連の創価学会に対する教導は、全て池田大作・創価学会の謗法を糺そうとしたものである。それを文句≠ニ言って貶める、その品性の下劣さには、全くあきれ果てる。
昭和五十二年九月二日に総本山学寮において、早瀬総監・阿部教学部長(現日顕上人)・藤本庶務部長(現総監)と池田大作等の学会幹部が対談した際、池田大作が「学会教学です。云々」と言ったとき、日顕上人は「創価仏法という言葉、これは間違いだと思う」と明白に述べておられる。これは日顕上人が会長に対して間違っていることを厳然と指摘された言葉である。御先師日達上人と御当代日顕上人とは、その御境界一体不二にまします。この御発言こそ日顕上人が日達上人の心を心としておられたことの例証である。それをしらんぷり≠オたと言うのは、ウソである。貴殿らは誠に狡猾だ。
日達上人は昭和五十四年五月二十九日の御指南に、
「学会が正しく日蓮正宗の教義を守り、正しい信心をして、また世間の人を折伏していくのならば、我々はそれに準じてどこまでも学会を守り、学会を信徒団体として受け入れていかなければならないのであります(中略)いまになっても『学会が、ああではない、こうではない』と、こちらから言うことはいけません。(中略)ですからみなさまが相変わらず今年の五月三日以前のような態度であっては、宗門としてはまことに困るのであります。やはり宗門の僧侶は、僧侶としての足並みをそろえて宗門を守り、宗門を発展させていかなければならないと思うのであります」(日達上人全集二‐七‐三三九)
と仰せである。貴殿らこそ日達上人のこの御指南を、しらんぷり≠オたのではないか。
また今さら阿部師がいくら学会を善導すると見得を切っても、誰も耳を傾けない。時すでに遅し≠ニ言うが、学会の大謗法に対して、きちんとした処置を執られたことが、そのまま未来永劫の上に学会を善導することであり、その結果正しい宗門の方向性を示されたことに、宗門の僧侶は勿論のこと、全信徒が信伏随従している。耳を傾けないのは貴殿ら自称正信会の者どもだけである。昨年、宗旨建立七百五十年の佳節に当たり、法華講三十万総登山が大成功裏に終了したことは、僧俗全員が大歓喜の信心に住して前進している現証である。貴殿らのように、何ら正当な目標を持ちえない者達からすれば、嫉妬する以外に為す術がないのであろう。哀れな者どもである。

 そして学会を直すこともできず却って池田氏の方から三行半をつきつけられたではないか。
 池田氏は「どうか、私たちは大聖人のほんと〜の直結の、ま、御本尊もちゃんとありますからなにも心配ありません。正々堂々と世界の創価学会、ね。世界創価宗、日蓮創価宗でまいりましょう。ね。永久に、永久に日顕宗とは訣別します」(平成4年11月14日)と公言してはばからない。

 貴殿らの莫迦さ加減にはあきれ果てた。創価学会の破門は平成三年十一月二十八日であり、池田大作の信徒除名は翌平成四年八月十一日である。つまり、この二者はこの時点で日蓮正宗から縁が切られているのである。貴殿らが言っている池田大作からの三行半は、平成四年十一月十四日ではないか。貴殿らは三行半の意味を知っているのか。厳密には「妻への離縁状」であるが、単に「離縁状」と言ってもよいだろう。したがって、すでに日蓮正宗から縁を切られた池田が出すものを離縁状とは言わないのだ。考えても見よ。すでに離縁せられた元妻が、元夫に離縁状を出すことなどありえない。これは要するに、日顕上人・宗門が池田大作等の圧力に屈せず、創価学会を破門にし、池田大作を信徒除名にしたから、池田が錯乱して言っているだけなのである。それを貴殿らがこのように言うのを何と言うか、「同病相憐れむ」というのである。座右の銘にするがよい。

 その後の阿部師は創価学会に対して善導どころか罵倒の連続である。
「今日、日本ないし世界最大の邪宗教は何かといえば、まさしく創価学会であります。これをはっきり肚に入れてください。」
「色々な宗教があるけれども、今日の創価学会ぐらい、あらゆるものが大謗法に当たっておる姿はありません」(平成6年5月26日・全国教師・寺族指導会)
「実は私が今、一番ずるいと思っているのは池田大作であります。あれほどずるい人間はありません。汚く、ずるい人間です。もっとも、池田大作のことを僣聖増上慢だと言うと、僣聖増上慢のほうが怒るかも知れません。けれども、僣聖増上慢の持っておる汚さ、ずるさは、まさに池田大作の行為・行動とそっくりであります」(平成5年5月30日・静岡南布教区)
阿部師の発言はすべて自分自身に当てはまっていることに気がついていない。滑稽を通り越して哀れでさえある。

貴殿らは謗法の毒が回って、日顕上人のこの御指南の読み方が判らないらしい。この御指南は、貴殿らの立場では次のように拝すべきであろう。
「今日、日本ないし世界第二の邪宗教は何かといえば、まさしく自称正信会であります。これをはっきり肚に入れてください」
「色々な宗教があるけれども、創価学会に負けず劣らず、今日の自称正信会ぐらい、あらゆるものが大謗法に当たっておる姿はありません」
「実は私が今、誠にずるいと思っているのは自称正信会であります。あれほどずるい者達はありません。汚く、ずるい道門増上慢です。もっとも、自称正信会のことを一番だと言うと、池田大作の僣聖増上慢のほうが怒るかも知れません。けれども、道門増上慢の持っておる汚さ、ずるさは、まさに自称正信会の行為・行動とそっくりであります」
判ったら、心肝に染めなさい。


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