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       「偽装相承」との誹謗を破す
                ─創価学会─



      御相承否定に躍起になる学会


 創価新報では、本年の初頭より、毎号で日顕上人猊下から日如上人猊下への御相承を「偽装相承」などと繰り返し誹謗している。そこでは御相承の御事など知るよしもない離脱僧どもが、無責任な推測を、まことしやかに述べて、御相承に対する不信を煽っている。いわく、
「六十四世日昇上人から六十五世日淳上人への相承については、機関誌『大日蓮』に克明な記録が残っています(中略)日淳法主(六十五世)から日達法主(六十六世)への相承も、明確な記録が残っていますね」(二月一日付同紙)といった具合である。ここでは創価学会は、日昇上人から日淳上人、日達上人へと続く御相承を認めている。その理由は「記録がある」というものである。ところが、日達上人から日顕上人、日如上人への御相承は認めない。理由は、
「何を、どう相承したというのか。具体的に書けない(中略)日顕以前は、こんなことはありませんでした」(同)
である。この軽薄かつ邪悪な論理のインテキを暴いてみよう。


      御相承の記録について


 第一には、御相承の儀式の記録を、御相承の内容そのもののようにだましていることである。
 日蓮大聖人から日興上人に対する御相承を証明するのは、本門戒壇の大御本尊であり、また「二箇相承」である。しかし、御相承の内容についての「記録」はない。
 日興上人から日目上人への御相承も、御座替り御本尊や『日興跡条々事』等によって明白であるが、やはり御相承の内容についての記録はない。
 以下、御歴代上人の御本尊および『家中抄』や『続家中抄』等によって正嫡の御法主上人の御事蹟が伝えられており、御相承の日時や場所が記録されている場合もあるが、御相承の内容は全く記録されていない。
 近代の御法主上人の御相承の儀式は『大日蓮』等に記録されているが、やはり御相承の内容は、全く記されていない。これが御相承の記録の事実である。要するに御相承の内容を公開されることはないのだ。
 したがって創価新報のように「何を、どう相承したというのか。具体的に書けない」などといって、御相承を疑うことは、論理的に成立しない。


       御相承は唯授一人


 第二に、御相承の意義を意図的に混乱させようとしていることである。御相承は金口嫡々唯授一人血脈相承と称されるように、ただ御一人にのみ付嘱される。これは御本仏日蓮大聖人が、その御内証および仏法の一切を日興上人御一人に御相承されたところに始まる。日興上人以来の御歴代上人は、その時々における下種仏法の主、つまり所有者である。ただ御一人への御相承であるから、他に示されるはずがない。
 それを創価学会のように、御相承の内容が公開されて当然のように言うのは、仏法の所有権に対する侵害であり、筋違いも甚だしい法盗人の論理である。


       妙法は凡夫の思慮に及ばず


 第三に、御相承は妙法の継承という認識がないことである。『立正観抄』に、
「本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず、何に況んや菩薩・凡夫をや」(御書 七七〇頁)
と説かれるように、本地の妙法蓮華経は迹仏等の思慮に及ばない。まして凡人の思慮に及ぶことはない。唯我与我と説かれるように、御本仏の智慧を継承あそばされる御法主上人のみが、よく境智の妙法を思慮あそばされるのである。
 我々は、御隠尊日顕上人猊下から御相承を受けられた御当代日如上人猊下の御内証を、ただ有り難く拝して「無疑曰信」の信行に徹し、地涌倍増に向けて精進しようではないか。

大白法689(h18.3.16)号より転載



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