二、斉藤克司の邪問を悉く截断す

1、
(学会問題の本質を糺す。)

     質問状 「日精問題を質す」
 平成二年以来、十五年を経過する今回の宗門事件は、すべて貴殿の嫉妬(しっと)を淵源とする謀略「C作戦」から始まったことは明らかであるが、貴殿は本年年頭、法華講等を前にしての挨拶において、この十五年の貴殿らの所業を「破邪顕正」とこじつけ、事実を捻じ曲げながら学会批判を繰り返している。
 貴殿は今回の宗門事件は≠ニ言うが、考え違いも甚だしい。そもそも創価学会は日蓮正宗の信徒団体として派生したのであるから、「今回の創価学会事件は」というのが正しい呼び方である。
 日蓮大聖人の宗旨建立以来、宗門の七百五十年の歴史において、古くは五老僧に始まり昨今の貴殿ら創価学会に至るまで、「血脈の次第日蓮日興」の相承に背く在家出家の者達が多く出たが、所詮それらは十四誹謗により異流義と化した徒輩に過ぎないのである。
 貴殿は今回の問題の発端を「C作戦」だとし、言うに事欠いてその淵源を御法主日顕上人猊下の嫉妬だとするが、淵源を言うなら、それは全て池田大作の「慢」(きょうまん)「嫉妬」に起因することは次の日顕上人の仰せからも明白である。
あれ(池田大作)は本当に大狂乱の者でありまして、日達上人の時代から御相承の片鱗を聞きたいと思って色々に探りをかけておったようであります。実は私にも、「日達上人にこういう法門を聞いた」というように、人を介して探りを入れてきたことがあるのです。私も、直接聞いてきたならば、話してもよい範囲までなら教えてもよいと考えておりましたが、結局、自分自らは聞いてはきませんでしたので返事はしませんでした。
 とにかく、日達上人には色々と探りを入れて、なんとか聞き出そうとしたらしいのですが、当然、日達上人はこの金口嫡々、金紙の相承を在家の者にお話しになるはずはありませんので、その片鱗さえ知ることができなかったのです。
 つまり、池田大作はそこが得られないからおもしろくないのだと思います。そこに長い間に嫉妬が生じてきたのです。私のことを「嫉妬だ」などと言っておるようですけれども、実はあの者こそが嫉妬の塊なのです。そこに怒りを生じ、焦りを生じ、我見を生じ、そこから、「御書にも『血脈』という語はあるから、ここのところを利用して大聖人直結といこう」と考えたのであります。(大日蓮 平成四年十月号三〇頁)
との仰せのごとく、今回の問題は、池田大作の本宗深秘の血脈相承に対する嫉妬を淵源とするのである。
 日顕上人は昭和五十二年路線の教義逸脱問題において謝罪の意を示した創価学会を何とか善導しようと御教導遊ばされ、昭和五十九年には池田大作を再度総講頭に任じられている。これはとりもなおさず、池田大作の反省を信頼し、創価学会に外護の任を全うさせようとしておられた何よりの証拠ではないか。その甚大なる御恩を忘れ、自らの嫉妬と狂乱により御法主日顕上人に対し、現在に至るまであくなき悪口罵詈(あっくめり)・誹謗中傷を続けていることは、大謗法の中の大謗法である。貴殿らは永劫の堕獄を免れまい。
 また、貴殿は、謀略「C作戦」≠ニ言うが、日蓮大聖人の御命を奉戴(ほうたい)し衆生救済を旨とする宗門に謀略など存在しようはずがない。よって「C作戦」なるものも一切存在しなかったのである。事実は全く逆で、謀略「C作戦」≠創作して宗門に被せたのは、誰あろう創価学会、就中貴殿ら大幹部ではないか。

 膨大な情報操作によって覆い隠された、創価学会の謀略を破門事件の真相とは何か。
 あれほど信頼し合っていた日蓮正宗の僧俗の関係を嫉妬したのは誰か。
 不信と憎悪に創価学会員を狂わせたのは、いったい誰か。

 この問題の真相は、創価学会員の財力・集票力を支配することの旨味を知ってしまった池田大作や貴殿ら創価学会大幹部が、自らの醜(みにく)い名聞名利のために、一般創価学会員を宗門・御法主上人から切り離し、創価学会の意のままに操り続けたいという野望を遂げるために考え出したところにある。すなわち池田大作及び創価学会大幹部による、池田大作ら創価学会大幹部のための、創価学会独立作戦にほかならないのである。
 つまり謀略「C作戦」≠ニは、貴殿ら創価学会大幹部が、一般学会員に宗門に対する憎悪を植え付けようとして考え出した、創価学会員向けのキャッチフレーズであり、宗門を陥れるための謀略なのである。御当代日顕上人が、
今、ここではっきり言っておきます。「C作戦」などということを、考えたこともなければ、実行したこともありません。このことを皆さん方、はっきり覚えておいてください。ただ、宗門は、平成二年七月の連絡会議から表面化した今般の学会問題において、色々な経過から結局は現在のような形になりましたけれども、そこに至る宗門の一つひとつの対応は、すべてが正しい対応だったと思っております。そこにおいては、初めから「C作戦」というような計画を立て、学会をどうこうするという考え方は全くなかったということを、この際、はっきり申し上げておきます。(大日蓮 平成五年二月号六一頁)
と、「C作戦」などというものは宗門には無かったと言明されているとおりである。
 ところで、『善興寺明け渡し訴訟』における長野地裁松本支部の判決に、
なお、被告※1は、右対立状態に至った原因は、原告※2の画策実行したC作戦と呼ばれる作戦にある旨主張し、(中略)右主張に沿う部分があるが、これらはいずれも一方的な陳述の類であり、その内容も客観的根拠に乏しく、また、これらを補強し得る的確な証拠もないから、右証拠から直ちに被告の右主張を認めることはできない。(※1創価学会の操り僧吉川雄進 ※2宗門・平成十一年四月二十一日)
とある。このように裁判所が「一方的な陳述の類」「客観的根拠に乏しく」「的確な証拠もない」との指摘をもって「C作戦」を否定しているのである。
 平成二年末以降の宗門の創価学会問題に対する対処を見れば、宗門に「C作戦」などなかったことは一目瞭然である。宗門は、平成二年十二月二十七日、臨時宗会を開催し、予て懸案であった本宗の宗規の一部を改正し施行した。その付則の、
従前法華講本部役員の職にあった者は、その資格を失なう。(院第一九六四号)
との規定によって、法華講連合会の委員長・副委員長を含め、池田大作、並びに創価学会幹部の法華講本部役員は、一旦資格を喪失したのである。しかし、池田大作らが、昭和五十二年創価学会謗法路線の折の御先師日達上人に対するお詫びを忘れず、真摯(しんし)な反省懺悔と本宗の信仰を正しく受持する姿勢があれば、総講頭・大講頭に再任される可能性は十分にあったわけである。宗門は池田大作に対して、懲罰をもって処したわけでもなければ、解任したわけでもなかったのである。
 ところが、平成三年正月からの創価学会の宗門批判は、これが信徒団体はおろか、人間界の衆生の言葉かと耳目を疑うような、悪口雑言・罵詈讒謗の連続であった。宗門としては、懺悔並びに復職の機会を充分に与えたにもかかわらず、貴殿ら創価学会は、敢えてこの宗門の慈悲による猶予を逆手にとり、この時とばかりに「宗門は、池田名誉会長の首を切った」等と末端の会員に虚偽の情報を流し、宗門の慈悲の教導を全く無視する行動に出たのであった。
 そのような会員に対する洗脳により、宗門や御法主日顕上人の信用を失墜させると同時に、創価学会の独立旗挙げ計画も止むなしと末端の学会員に思い込ませるためにデッチ上げられたのが、大嘘の謀略「C作戦」≠フ実態なのである。
 しかして、昭和五十二年路線直後に発覚した北条文書・山崎八尋文書に見られる創価学会大幹部の邪悪な発言の真意を、平成二年以降の状況から立ち返って考えれば、今回の問題が創価学会による謀略(昭和五十二年逸脱路線で頓挫した独立計画)であることは自ずから明らかであろう。
 貴殿は日顕上人や宗門が「C作戦」を計画したと言い張るその根拠を提示すべきである。もし提示できなければ、「C作戦」は創価学会の策謀であったことを認めたものと断じ、宗門機関誌『大日蓮』並びに法華講連合会機関紙『大白法』に改めてその旨を公表することを告げておく。
 しかして、御法主日顕上人猊下は、平成二年以降、今回の創価学会謗法問題の一々に、正しく且つ御慈悲溢れる御教導を遊ばされたと拝する。その意味から、この十五年の宗門の流れは、一言で言うならば「破邪顕正」である。そして、その功徳が、一昨年の宗旨建立七百五十年における法華講三十万総登山・奉安堂建立による「法礎建立」として成就したのである。
 貴殿や池田大作は、宗門の僧俗一致の大発展がよほど悔しいのであろう。故に、元旦の御法主日顕上人の御指南が非常に気になって仕方がないのである。しかし、御法主上人のお言葉の中に、事実を捻じ曲げ≠ス箇所などあろうはずがない。何故なら、御法主上人は堕獄謗法の創価学会の邪義を正しく見抜かれて、正法正義の上から厳しく破折遊ばされているからである。故に、日顕上人の創価学会破折とは、貴殿が言う学会批判≠ネどという軽いものではなく、根本法体を承継遊ばされるお立場からの創価邪教に対する破邪鉄槌(はじゃてっつい)と拝すべきなのである。
 それに対し、貴殿ら創価学会によるあくなき宗門・御法主上人猊下に対する誹謗中傷こそ事実無根の捏造(ねつぞう)、針小棒大の歪曲(わいきょく)報道なのである。


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